それでも理想に恋をする その六
その日、体力を回復させたトールはいつもと同じ短パンのジーンズとジージャンを着ていた。そわそわしていたし、もっと変わった格好をしようかと迷ったが、結局相手はロキなのである。あの暗い瞳を思い出すと、一切の飾り気を無くしてやろうと思うほどにトールは一切の気遣いをしたくなくなっていた。
約束の場所であるアースガルズの公園に置かれている時計台の下で、トールは他の神々と共に待っていた。
「さて……本当に来るのか? 来なければ絶対に見つけ出して岩場へと貼り付けてやる……それも毒液を営々と垂らしてやる……」
既にロキが約束を反故にしてしまったかのようにフレイは一種の妬みを篭めたように口を開いた。
「ですけどぉ、悪神がぁ来たところでぇ、本当に解決するんですかぁ?」
未だに懐疑的だという風にブラギは言った。一週間の猶予があったところで何が出来るのかという風な挑発を抱いているようにも見えた。
「誓っているのだから必ず来る筈だ……絶対に来てもらわなきゃな……」
自分自身に言い聞かせるかのようにトールは言った。しかし確信のなさを同時にトールは感じていた。きっとロキが来るのは確実なのだろう。しかし、トールの来て欲しい『あの時のロキ』が本当に来るのだろうか……
「……おい、誰か来るぞ」
テユールは右手をポケットに入れたまま左手で先を指差した。同時に神々はそれぞれ指の先を見た……
そこには二人の姿があった。
一人は、ひときわ幼い身長を見せている幼女……間違いない、最高神オーディンである。遠めでも彼女の顔には不満が満ちているのが見えた。
そしてオーディンの前に立っているのは……
「「「…………なんだこの美少女はああああああああああああ!」」」
何てことだ!
神々は揃いも揃って叫び声をあげたではないか!
前を歩く少女は、清楚なワンピースを着こなし、綺麗に梳かれた黒髪を風に靡かせていた。その一本一本が美しく光に靡いている。澄んだ瞳や瑞々しい肌は、まるで穢れの無いエメラルドを覗いているような爽快感を与えていた。歩き方は妙に整い、品の良さを命一杯に出していた。これを見た女子の大半は負けを認めるか徹底的に貶めてやろうかという防衛本能のどちらかに陥ることだろう。
「あ、悪神か……」
我に返ったかのようにフレイは言った。
「……悪神ですねぇ」
続けてブラギも言った。
「悪神、だな」
続けてテュールも言った。
偉大なアースガルズの神々は、素晴らしいほどの美しい少女を見たことは確かだった。
しかし、一度それがロキだと思うと、話が変わって来る。
よく見れば身長はロキだし、髪の長さもロキであり、肌の色もロキである。ただあの淀んだ瞳はないが、どこかしらを見ている瞳に現実の色が無いのが何となく見て取れた。
こうなると……おお、もうロキでしかない。
だからもう、ロキを見ている神々に湧き上がる感情は一つ、『自分達を惑わそうとする悪神』への嫌悪感である。
「まったく、少しは慌ててみれば、結局は下らない落ちだったな……ん?」
我に戻ったテュールは、このくだらなさを誰かと共有しようとして、そして気がついた。
「あ、あれが、本当に悪神なのか……本当に……」
何てことだ!
トールだけが体を震わせて、顔を真っ赤に染めているではないか!
いや、まるでバケツをひっくり返したかのような汗を流し、ジーシャンの下のシャツが空けるほど濡らしていたし、その表情は求めていた宝石をやっと手に入れた海賊のような凄まじいほどの喜びが溢れていた。
「こんにちは、トールさん」
皆の前に来たロキは、いつもよりも若干高い声で微笑んだ。この業とらしい動作が、あまりにあざとすぎて神々はまた顔をしかめた。
「お、おう……よ、よく来たな……ろ、ロキよ……」
しかしトールには効果覿面だ! このまま何かに耐え切れずにトールの方が逃げ出してしまうのではと思うほどの緊張が神々にも酷く伝わり、トールの緊張の影響はミズガルズの温暖化を少しだけ加速させ農作物の成長を少しだけ早めた。
「我が『義理の』妹は、私が一週間かけて創った……本当に可愛い、マジで可愛いロキたんを……今でさえ回復のルーンが発動しているのだから、続くことだろう……ロキたん……ロキたんロキたんロキたん……駄目だ、やはりトールなどに超可愛いロキたんを渡すわけにはいかない……駄目だ、私がロキたんを守らなきゃ……グングニールよ、我が娘トールを貫け……そしてロキたんを……」
「み、皆オーディン様を取り押さえろ!」
やばいと思ったテュールの逸早い叫びによりアースガルズの神々は一斉のオーディンを拘束し、グングニールをその小さな手から強引に奪った。
「と、止めるな! このにっくき我が娘トールをこの手で討つのだ! 私は最高神だ! お前達、早くトールを捕らえてその首を差しだぜ! 超可愛いロキたんを取り戻すのだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「口を押さえろ! 大丈夫だ! 呼吸が出来なくなったところでオーディン様は死ぬことはない! オーディン様は御乱心だ! これ以上発言をさせてはならないし、今までの発言は全て無効だ! ロキたんなど言っていない!」
上司の恥部を必死に隠蔽するかのようにテュールも必死に叫んだ。
口を塞がれながらも叫ぶオーディンを背景にしていたが、既にトールには美しくなったロキしか移っていなかった。
「さて……デート、行きましょう。トールさん」
「あ、ああ……」
トールが返事をすると、綺麗なロキは少し視線を逸らした。何か気に障ることをしたのかとトールは不安になったが、小さく下で動く手を見てはっとなった。
恐る恐るトールはその手を握った。
途端に握り返すロキの掌の厚さにトールは今にも気絶してしまいそうだった。
「……行く場所は、私様に任せてくださいませんか」
「あ、ああ……頼む、こういうのには慣れていない」
「お任せください。ギャルゲ……こほん、小説で少しだけ心得ていますから」




