それでも理想に恋をする その二
アースガルズにあるヴァルハラの一室より、一人の少女が力無く出て来た。長く整った黒髪の少女は隈一つ無い澄んだ瞳でフラフラと廊下を歩きながらブツブツと呟いていた。
「くそ……何故私様があいつのせいでこんな目に合わなくてはならないのだ……大体、糞詩人幼女の時代遅れの詩なんざ、そんなに売れるわけねえだろうが……ってか、そもそも売るように命じた者達が一切買っていないではないか……だからアースガルズの神々は嫌いなのだ……ああ、もうマジで、絶対オーディンの機嫌取る為にふっかけただろ……」
最悪なことに四日間もロキは『ブラギの詩集が一週間に目標の巻数売り捌くように』という神々の無茶苦茶な命令を果せなかったことでオーディンの自室に監禁されていた。何度も色々な服を着させられ、恥ずかしい写真を大量に取られたロキは、疲労以外には普段よりも健康的に見えるに違いなかった。回復のルーンは普段よりも長い間使われていたし、服装だって高級な清楚なシルクのワンピースである。普段の汚れたジーンズとTシャツより見栄えは良いことだろう。
「くそ……くそが……ん?」
偶然のロキは廊下に飾られている剣に映る自分の姿を見た。大体オーディンの私刑が終わった後はこういう飾りで自分の姿を見ることがあるので珍しいことではない。だが普段より調子の良いロキには、図らずとも刃に映った自分の姿がはっきり見えていて、つい叫んでしまった。
「な、何だこの美少女はああああああああああ!!」
何てことだ!
まるで水面に映る自分を目にしたナルキッソスのように、ロキは自分を美少女だと認識してしまったのだ!
ペタペタと自分の頬や腕などを触りながら、その姿が自分なのだと認識すると、段々と不快感が登って来た。自分が綺麗だと思う自己愛が嫌だったし、何よりオーディンが好きな物を認めることが不愉快だった。
だが同時に『今の自分がフレイア並に綺麗じゃね』という不思議な自信が隠せなくなっているようだった。
「まじか……これ、私様ギャルゲーのメインヒロイン張れるんじゃないのか……? いや、マジで……何を考えているのだ? さっさとこのオーディン趣味など壊してしまうのだ……大体、まさにアースガルズの神っぽいではないか……だが……まあ、少しだけなら……」
そう思うとロキはふと指で髪を撫でた。ふわりとした髪が辺りの黄金の光できらりと光り、軽い羽毛を優しく落としたように優しく髪が整いながら降りるのをロキは見た。
「まじかよ……まあ、もう少しくらいならいいだろう……まあ、少しくらいヒロイン気分ってのも悪くないだろうからな……まあ、この容姿なら少し儚げに……」
まるで貴族なのだが弱々しく儚いお嬢様をイメージしてロキは廊下を歩き出した。精神的には酷く疲れていたが、肉体的には非常に調子が良かったので、妙に無心に、そして完璧にロキは自分の想像する恋愛ゲーのメインヒロインを演じたのだろう。
それも突き当たりにまでいったら終わるつもりだった。この行動も前に進む為の原動力のようなものだったに違いない。ともかくロキは、あまりに行動に集中していたせいか前方で呆然と立つトールにギリギリまで気がつかなかった。
「お……お前は……」
困惑するトールの声に、ロキの思考は膠着し、そして慌てて元に戻ろうとしようとしてふらりと脚をもつれさせてしまった。
「きゃっ…………」
「あ…………」
お嬢様モードであったロキは、弱々しい悲鳴をあげながらトールへ倒れこんだ。
しまった、とロキは酷く慌てたが、不思議とトールはロキを支えると、まったく動く気配を見せなかった。
「あ……ちょ、違、違うのだ! わ、私様は、別にこの格好を何とも思っていないのだ!」
「お……お前、悪神……なのか?」
「ともかく、今のは無しだ! ノーカンだろ! 少し出来心でやったことなのだからな! いや、マジで!」
ともかくロキは恥ずかしい一瞬を無かったことにするように酷く否定した。だが不思議とトールは心此処にあらずという風に呆然とロキを見ているようだった。
「まあ、ともかく……その手をいい加減に離すのだ」
「あ……ああ……」
支えるように肩を握ったトールの手に妙な力が入っていてロキは更に不安を覚えた。自分がこの姿を受け入れているのだとオーディンに吹き込まれることが怖いし想像もしたくない。
しかし、トールはまだ手を離そうとしなかった。
「おい、いい加減に放すのだ」
「ああ……そうだな……」
「聞いているのか! おい、脳筋幼女!」
「あ……す、すまない」
やっと我に戻ったかのようにトールは手を離した。肩に少し痣が残ったのかもしれないと思いながらも、ならば逆にオーディンが好きな者を穢したような気がしてロキは許せるような気がした。
「まったく、私様は早く家に帰ってゲームしないといけないのだ! まったく、ヴァルハラなんて一秒でも早く離れたいのだからな!」
「お、おい……もう、帰るのか?」
「当然ではないか! こんなWiFi一つ入ってない場所に価値など無いわ!」
「なら、WiFiってのを持って来たら、ここにずっといるのか?」
「脳筋幼女よ、WiFiが何か分かっているのか」
「わからん。わからんが……欲しいのなら、何を犠牲にしても持って来よう……いや、おい、何だ……何を俺は言ってるんだ……?」
「ふん! 何を企んでいるかは知らぬが、たとえWiFiが設置されてもヴァルハラなど御免だ!」
いい加減不快極まるという風にロキは吐き捨てると、そのままトールを横切って早歩きで歩き出した。早く家に帰り服を着たまま不衛生生活をしていつものオーディンの嫌うような汚れたニート装備とぼさぼさの髪と隈の浮んだ淀んだ瞳に戻りたかった。




