勉強少年の逃避行 その一
黄昏は終わりの時間だ。
人を不安にさせ先に待つ夜を連想させる。
鞄を手にした少年の暗い感情を茜色が助長させる。もう終わりにするべきなのだ。
少年には、勉強の他自分に取り得というものが浮かばなかった。数学が好きだ。国語が好きだ。英語が好きだ。歴史や化学が好きだ。彼からそれを取ったら何が残るというのだろうか。
だがその誉れもたった数日のテストで終わりを告げる。センター試験の出来は悪く、志望の大学の足切りにかかるだろう。
勉強も駄目だ。
ならば、彼に何が残るというのか。
オレンジ色のホームには沢山の人影が見える。スーツ姿だったり普通に笑ったりする彼女達は、暗い表情の 少年など見ることもない。その無関心が更に彼へ自分の無価値を固定させる。まったく、消えてもいい人間なのだと。
電車の近づく音がする。
終わりの時間に終わりの音が近づく。
数々の神話では終焉を告げる音色が唄われる。
きっと、古代の者達は自分のような感情を抱いて自らの終わりを見たのだろう。
段々と鉄の四角い、少年の終わりを告げる乗り物は近づく。そして彼は、ホームから一歩を踏み出した……
筈だった。
自分のコートの背中を誰かが掴んだ。
その感覚が少年に黄昏を忘れさせた。終焉を忘れた彼の前を、変哲も無い銀色の電車が通り過ぎていった。
少年は振り返る。
そこには、知らない少女が暗く淀んだ瞳で彼を見上げていた。
「貴様……辺りを見てみろ」
ぼさぼさの髪の少女はそう言うと、少年に隠れるように身を小さくした。
わけも分からず少年は辺りを見渡す。茜色に染まった人々が電車から行き来している。駅員がいる。ただそれだけだ。
「私様を見ている者はおらぬか?」
私様とは変な一人称だと思いながらも少年は答える。
「別に、誰も見ていない」
「そうか……このまま乗るがいい」
「え、僕は……」
飛び込もうと言おうとして彼は口を噤んだ。そんなことを少女に話して何になるのか。同情でもして欲しいのか。死に直面している自分はそんなに情けないのか。
電車に乗ろうとすると隠れるように少女も移動する。ベルが鳴り扉の閉まるのを見ても暫く少女は少年の影に隠れていた。回りには知り合いの少女が始めての電車に乗るように見えているのかもしれない。
「辺りに私様を見ている者はいないか」
「変わらず」
「そうか……」
やっと安心したように少女は離れる。だがそれでも警戒を怠らない。今度は皆の足元をみている。
「靴に特徴のある人に追われているのかい」
「いや、小人を探していた」
「おもちゃ?」
「小人は小人だ。まあ……大丈夫そうだな」
何か妄想のようなものを見ているのかもしれないと少年は思った。一寸法師のような生物など何処にも存在していなのだろう。
「君は……」
「私様のことはいい。貴様は見張りを継続しろ。あと人の行き来が少ない駅で降りろ」
「何故そこまでしないといけないんだ」
「私様の言うことが聴けないのか」
無茶苦茶な少女だ。もしや世の中は自分中心で動いていると思っているのかもしれない。
だが少年は少女の顔を見ると、なんとも逆らう気が起きなかった。そもそも逆らう気力なんてなかった。乗っている電車に弾かれようとしたほどなのだから。
「わかったよ。その逃避行、手伝おうか」
「何が手伝おうだ。さっさと周りを見張るがいい」
少年はなんとなく辺りを見渡す。まあ、こうやって他人に従う方が自分で考えて電車に飛び込むより楽だと彼は思った。




