ニーベルンゲンの指輪物語 その八
亀下教授が帰った後、助教授室のパソコンの前で佳苗は考えていた。
キーボードにも触れず、ただ画面の向こうに見えるものに苛立っていた。
ニーベルンゲンの指輪を手に入れてから、佳苗は自分の黄昏をよく考えるようになった。だが決して自分がニヴル・ヘルのような場所に送られるのが怖いわけではない。ただ自分の知識や考えが誰にも理解されるのが嫌なだけなのかもしれない。いや、自分などどうでもいいのだ。しかし学問は人類を変える力であり、評価されなければならない。
なのに、今のこの大学は教授も学生も知識よりも権力や体系や遊びなどを重視しているように佳苗は思えて仕方がなかった。
「…………」
何が正しいという答えを指輪は出さない。ただ知識だけを与え、結果だけを予言することが出来るだけである。そして佳苗の将来に残るのは、自分や、そして他人に何も残らないような結末ばかりである。
「…………」
佳苗はそれが嫌だった。
人類を変えるのは、一人の天才がいればいいのだ。
仮に自分でなくてもいいだろう。しかし学問的発想や知識はルール内の全てにおいて優先されなければならない。そういう信念があるから研究を続けているのだし、だから訪れるべき黄昏を見ながらも冷静でいられるのだ。
「…………」
だが、その信念を誰もが忘れてしまっているように思えた。
そんな状態で自分は黄昏を受け入れることはできないだろう。
佳苗は予言する。
今の世界が続いた先に何が待っているかを。
そして仮に自分の信念が受け入れられた先の世界のことを。
「…………やはり、私が正しい」
たった少しの修正だった。正解を導き出すような学問上の知識の高等性を受け入れることができれば、どれほどの有益性が人々に生まれることだろうか。大学の者達が佳苗の研究者としての信念を認めることさえ出来れば、仮に指輪の知識が無くとも人類にとって素晴らしい黄金時代が訪れるに違いない。
コーヒーを一杯飲んで佳苗は考える。
そして新品のノートを取り出すと、凄まじいスピードで化学式を書き始めた……




