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アースガルズの私様  作者: 富良野義正
ニーベルンゲンの指輪物語
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ニーベルンゲンの指輪物語 その四

 暗い助教授室で佳苗はパンを齧りながらキーボードと向き合っていた。自分の脳裏に浮ぶ科学史を変えるようなものではなく、現在の地位を守るためのような有機化学の実験結果を一つの文章にまとめているのである。そこには不快なほどの分かりきった結果が載せられている。まるで1+1が2になった理由を、何故3にならないかを永遠と書いているような気分だった。


 その作業を永遠と続けていると、ノックが響いた。


「はい」

「失礼します」


 佳苗が返事をすると入って来たのは女子学生の川村である。


「どうした?」

「二村先生に来客です。ですけど……」

「ああ、私の甥っ子だ。この書物の墓場を見学したいらしい。通してくれ」

「わかりました」


 何か川村が合図をすると、二人の少女が部屋に入って来た。


「大丈夫だ。もういい」


 そう二村が言うと同時に川村は一度礼をして離れていった。残ったのは、二人の見覚えのある少女である。


「昼食を取っていたのか。時間を改めた方がいいか?」


 淀んだ瞳の少女……悪神ロキは二村に尋ねた。


「いや。別に。お前らが来ることは分かっていたし気を遣う必要は無い」

「そうだろう。全知全能なのだからな……予言も造作ないのだろうな」

「北欧の神々に比べたら人は幾らも優秀だ。もう少しは応用を利かせて幅広く予言を行っている。まあ、次の質問は私には分からんよ」

「大雑把なことはわかるということか。ならば、我々のお前に対する予言よりは正確な予言が可能なのだろうな」

「知らないわけじゃないさ。ただ、確定しているのは他覚的な悲劇に終わるということくらいだ」


「どこまで分かっている?」


 茶色髪の少女……トールは尋ねると、一度間隔を置くように二村はコーヒーを口に運んだ。


「ん……まあ、例えば昨日投げた論文の一つインターネットに上げた場合だ。その論文は二日後には消され、否定される。しかしそれは実際のところ研究レベルとして非常なインパクトがあるからで、国家レベルの権威に関わるものだからだ。それから私は他国に強制招集が掛かるが、その移動中に射殺される。指輪はこんなありえない悲劇的な物語を忠実に作り出してしまうだろう」

「だから、まだネットにあげていないのか。まだ指輪を返せば命は長らえるかもしれんぞ」

「もしも何もしない場合はしばらくして有機化学的な論文で幾らか表彰される。それからしばらくもしないうちに私について来れない研究者志望の学生の一人に殺され、ロッカーに詰められる」

「な…………」

「ちなみに指輪を返した場合、そもそも学者として私は行き詰まっていたのだから、大学を去り数年企業で働くことになる。だが研究者としてその生活に耐え切れず数年後に自殺する」

「待て、それじゃ、全部悲劇じゃないか」

「まあ、そうかもしれないか。いずれにしても呪われた指輪を手にした時点で私の運命はそこまで長いものじゃないだろう」


 答えた二村に向けるトールの視線は、まさに何か理解し難い者を見るようだった。そしてまったく想像の範囲の言葉をトールは口にした。


「何故、そんな未来が待っているのだというのに、こんなに冷静なんだ?」


 あまりに想像通りの問いに、二村は噴出してしまいそうになった。


「結果しか見ないような者には理解出来まい。少なくとも黄金やらイモータルやらで満足するような奴らが今の私がどれだけの幸福を抱いているかなど。今の私は宇宙の全てが理解でき、あらゆる人類の困難を解消する方法を知ることができる。その学術的、知識的高揚感など、想像も不可能だ」

「分からんぞ、俺には」

「理解してもらう必要などないさ……さて、知ったうえで、どうする?」


「……どうもせぬ。ただ私様達は指輪を返してくれと哀願するだけだ」


 そう言ってロキは頭も下げずに暗い瞳を二村に向けた。その瞳を覗き込みながら、二村はまたコーヒーを飲む。


「哀願するのは結構だが、結果は予言するより明らかだ。手放すつもりはないから時間の無駄になるぞ。このまま帰ってもいいししばらく私の甥っ子として研究室を見学してもいい。好きにしてくれ」

「いや、一度帰らせてもらおう。また時間を置いて説得に伺おうじゃないか」

「それまでにまともに説得できるような論理一つ考えておいてほしいものだ」

「ふん……さっさと指輪の呪いでくたばるのを願ってやる!」


 吐き捨てるようにロキが言うと、くるりと回ってロキとトールはドアの向こうに消えていった。

 少女達の足音さえ消えるのを確認すると、二村は自分の指に光る呪わしく素晴らしい知識の指輪を眺めた。

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