ブリージンガンメイ特価二十万円その一
短編集予定です
アースガルズの宮殿から離れた深い森の奥、昼の光さえ届かないような忌まわしい場所がある。そこに好んで住まうものはいるのだろうか。
いや、たたずむ小さな家の中に明かりが見える。こんな陰険な場所に好んで住むのは、ニヴル・ヘルの亡霊や忌まわしい巨人を除けば一人しかいないのだろう。
「……つまらん!」
やはり中にいるのは一人の少女ではないか。忌まわしい黒髪をぼさぼさにしている少女は、ゲームコントローラーを投げてむすりと頬を膨らませた。もはや床に置かれたポテトチップも開きかけの漫画も視線に入っていないようだ。
「ああ! つまらん! つまらん! つぅまぁらぁなぁい!」
欲しい者を見えない親にねだるように少女は床をバタバタと暴れた。しかし暴れたところで誰も返してくれるものではないとわかっているから、しんとした音が残るばかりだった。
「つまんない! つまんない!」
バタバタと暴れ終わってから、ぴたりと止まった少女は、それからしんと天井を見上げた。止まると響くのはゲームの電子音ばかりだった。36インチの画面に映るのは命いっぱいのデッドの文字ばかりだった。心なしかその下に倒れる男性主人公の姿は少女の姿に似ている。
「ああ……もうこのゲームうんこ、うんこだわ。絶対この糞ゲ作ったやつうんこだわ。レビューに星1つけてやる。掲示板で散々に貶してやる。公式も散々荒らしてやって、売り上げを50%は下げてやる……」
少女はブツブツと呟くが一向に動く気配を見せない。しかし私怨を撒き散らすような言葉を延々と口からあふれさせていた。
だがこんな静かな場所だから、誰かが家に近づいて来るのはすぐに気がついた。家の前にまで近づくけたましいエンジン音を耳にして家の前に止まるのを聴いても少女は動かない。その音が止まり家の扉が乱暴開かれ、そこにもう一人の茶色髪の少女が入って来ても彼女は動こうとしなかった。
「相変わらず酷い部屋だなあ。そう思わないのか、ロキよ」
額に傷のある少女は眉をすぼめて言った。だがロキと言われた少女は天井を見上げたまま、見下ろす少女を見ようとはしない。
「黙れ。槌を振り回すだけしか能のない脳筋幼女が。遠距離ミサイルやICBMが飛び交うラグナロクの際にそんなもの振り回すつもりか。草も生えんぞ、そんなのは」
「トール様のミョルニルを馬鹿にするとはいい度胸だな。ラグナロクの前にお前の脳みそ、ここでぶちまけてやろうか」
ロキと呼ばれた少女は、トールと呼ばれた少女の言葉が本気だと理解する前に、黒い悪魔並の速さで壁際にまで逃げると飾ってあるデザートイーグルを手にしてトールへと向けた。
「でででできるもののななならやややややややややてみみみみみみみみいいいい!!」
「まったく、酷い怯え様じゃないか。今殺せば間違いなくヴァルハラに招待されないのだろうに」
「ヴァルハラなんて御免だね。無線LANもWiFiも通ってない、漫画もゲームも持ち込めないような遺跡、誰が喜んでいくものか」
「わかった、わかった。とりあえずその豆鉄砲を降ろせよ。それとも、そんなものが効くと思っているのか」
これほど自分の面倒くさがりが呪わしいと思ったことは過去にも百億回程度しかなかったのだろうとロキは思った。アースガルズで作られた銃器は弾丸一発でさえ神に命中することはない。製造の際には全ての素材が小人の手に渡る前に神々に危害を与えないようにという誓いを立てられてから材料に使われるのである。危険と手間を避けヨトゥン・ヘイム近隣まで行かずに通販で買ったつけを今のロキは払っているのである。
「もしやただ自分への対抗手段でも見たいからここに来たのじゃあるまい。ならば、さっさと帰るんだな。私様は今日届いたゲームの攻略に忙しいのだからな」
「忙しいにしては寝そべって騒いでいたではないか。いや、それ以前にゲームしとるんだから暇なのだろ?」
「さ、騒いでないからね! 大体、今の時代にゲームを取り上げることがどれだけ危険な行為なのかわかっているのか?」
「知らないね。どんなに危険だろうが、逆らうなら度玉かち割りゃ黙るだろう」
「やっぱ脳筋幼女め……」
ロキは拳銃を乱暴に置くと、代わりに床に散らばった開きかけの漫画を一冊手に取り読み始めた。どうやらすぐにトールがミョルニルを振り回さないのだろうと確信したからだろう。逆に言えば脳筋解決法に出ないトールなど単なる幼女なのである。ロキの方が腕は大分細いし血の気も無いが、それでも悪知恵の前には取るに足らぬに違いない。
「さて、俺がちんけな屋敷を訪れた理由、わからぬわけではあるまいな?」
「一緒にゲームでもしに来たか? せめてその加減知らずの馬鹿力でコントローラーをぶっ壊して欲しくないものだ」
「そのPS4と漫画、その資金をどうして手に入れたのだ? はなはだ疑問だったが、少し前にフレイアの首飾りが無くなったという。そしてその首飾り、東方の質屋で二十万の特価で売っていたことは既に母上が確認済みなのだが」
「いいではないか。あのビッチ、4晩4人のドワーフと過ごして手に入れたというではないか。そんな汚らしい報酬、浄化してやった者に感謝の一言も無いというのか」
「言い方が悪意に満ちているな。ただロリコンドワーフとハグ寝一時間と撮影会しただけというじゃないか。一部始終を母上も見ていたのだから間違いは無いのだろう」
「そ、それが不潔というのがわからんのか! ハグだぞ、ハグ! 撮影後の写真だってどのような使われ方をしているのか怪しいではないか! いや、むしろオーディンがフレイアを庇っていて、実際はオークもびくんびくんするようなことをしていたのではないか……?」
「何に影響されているかは知らぬが、彼らは紳士らしい。イエス、ノータッチだったか? ただのハグでも事が済んでから一週間罪悪感で悶絶し起き上がることもできなかったらしいではないか」
「あーあーあー聴こえない、聴こえない! 筋肉幼女の声だけは聞こえなーい!」
「聴こえなければ願ったり適ったりだ。神々が集まって決めた決定でな、フレイアのブリージンガンメン、もしも取り戻さなければロキとかいうのをラグナロクが始まるまで石に縛り付けてやろうということに決まってな。誓いを立てたかを確認する為に参ったわけだが、まあいいだろう。聴こえていないのなら誓いも立てられまい」
「嘘です、嘘嘘嘘。誓いましょう、ミズガルズの質屋に入れた首飾り、特価二十万円、必ずや取り替えして見せましょう」
「しかと聴き遂げたぞ。その誓いと特価二十万を強調していたことを。方法は問わない。せいぜいぼさぼさの頭を梳いて努力するのだな!」
吐き捨てるようにトールは言うと、もうこの場所に用はないというようにくるりと振り返り、トシトシと足音を立てながら外へと出た。そしてまるで着こなせない服を無理矢理七五三に着させられたかのように、ごつい二輪バイクに跨るとツインテールの金髪を風に靡かせ爆音を響かせながら元の道を戻っていった。
残されたロキは、少し濡らした下着の不快さを手の震えでごまかしながらトールの去った後を精一杯睨みつけた。
「くそ、くそ! 何がしかと聴き遂げただ! 何がイエス、ノータッチだ! ハグなんて、もう体売ったようなもんだろうが! 時代遅れのハンマーを振り回すだけの、まったくも地雷勢みたいな奴が! ああ、何勝手に集まって勝手に決めてるんだよ! 私様はなあ、ゲームをクリアーしないといけないんだよ! ビッチの汚い飾りなんてなあ、今じゃ私様のPS4になって満足してればいいんだよ! ああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
奇声に近い叫びをあげて静かな部屋の中でロキは再び手足をばたつかせた。だがそれも落ち着くと、今度はあの冷静で憂鬱な感情が浮かんで来るのである。
「くそ……しかしどうするのだ? 盗むのか? いや、東洋の店にはセコムが入っているという。セコムが入っているのだから、盗む前に殺されるのが落ちだろう……ならば、やはり正攻法で買い戻す必要があるな。しかし、それにしても八万で売ったのに二十万ってどれだけぼられたのだ? くそ、覚えていろ、アースガルズの馬鹿共が! 絶対にラグナロクの時に痛い目見せてやるんだからな!」
イライラとしながらもロキは立ち上がり、玄関で埃の被っている自慢の靴を履くと、よどんだ瞳で歩き出した。向かうのはアースガルズの下、ミズガルズの東方にある小さな島国である。
日本やジャパンや小日本やら日帝やらと呼ばれるこの島国は丁度冬で、その寒さはニヴル・ヘイムには遠く及ばないまでも、人間を凍えさせるには十分なのだろう。その過酷な状況と狭さにロキは納得する。なるほど、こんな不憫な環境だからこそ、引きこもりの精神のようなものが生まれて創作が発展したのだ。創作の街に立って思うのはそういうことだった。
アキバスタイルに化けたロキは、別に変身するまでもなくこの街に馴染んでいるはずである。来ている服には通販で買った美少女ゲームのキャラがでかでかと描かれている。整っていない黒髪も淀んだ瞳もまさにこの街を歩く者達と同じだ。ズボンでさえ何ども洗って色が抜けている。ぬかりはない筈なのに何故哀れむような瞳で見られるのか? 確かに鏡で見れば、素の顔はそこまで悪くは無い、どころか自分で言うのもなんだが美少女に分類される筈だ。しかし巨人を男にしたようなやつらの瞳は慈しむような瞳ではない。これではまるで、まったく興味の無いコミケに連れて来られてコスプレを強要された子供を見るようではないか。
「いや、考えすぎだ……確かに私は小さいが、こいつらの何百倍も生きているのだぞ? こいつらの瞳に何を思えばいいというのだ? ともかく、まずは金だ。金を得るには、方法は幾らかあるが……ともかく、まずは地下アイドルというものに応募しなければならない。私様が働けば皆喜んで課金ガチャに回すような額を私に貢ぐことだろうさ……」
ロキの策略は狡猾である。この邪心は自分の可愛さをわかっている。オタクに長けた女子がどれだけ重宝されるかも、それを利用して楽に稼ぐにはどうしたらいいのかを理解しているのである。
「ともかく、手元には既にチラシも履歴書もある。後はこれを持って行くだけだ!」
アキバにあるタレント事務所は既にロキは調べてあった。そこへと真っ直ぐ向かうと、早速ノックしてドアを強引に開けた。
「たのもー!!」
「あ、ああ……こんにちは、お嬢さん」
中にいたのは、中年の男性と幾らかの女性社員だった。彼らは闖入者に驚く仕草は見せたが、偉そうな一人を除いてそれぞれの仕事に戻ったようだった。
「お嬢さんとは随分じゃないか。このロキ様が履歴書を書いてきてやったぞ。ミズガルズの人間風情の為にやってやったんだから感謝して受け取れ」
「はいはい。じゃあ受け取りましょう。それで、お母さんとお父さんはどこなのかな?」
「私様を子供扱いするとは生意気なやつめ! 早く私様を舞台にあげてだな、儲けさせろ!」
「この履歴書はお嬢さんが一人で書いたのかな?」
「そうだ。偉いだろ!」
「偉いね。それでね、身分証明書は持っているのかな?」
「そんなもの、私様がロキだと知っての愚弄か! この眼光を見てロキだとわからぬとは、どこまで恥を晒すつもりだ?」
「はいはい。身分証明書が提示できないんじゃ、この年齢欄の18って数字も証明できないでしょ?」
「永遠の18歳がこの国のトレンドと聴いているからそう書いただけだ。本来の年齢など、とうの昔に忘れてしまったわ」
「そうかい。じゃあお引取り願おうか」
「ちょ……両腕を掴むな! 私様を誰だと思っている! こら、話せ! そんな持ち方なんて巨人にもされたことないんだぞ! わかっているか!」
ぽいと投げ出された扉は中から鍵の閉められる音がした。顔よりも上にある取手を幾らか回したが、まったく動く気配はない。軽くいなされて門前払いを食らったのだと理解するのに少しだけロキには時間が必要だった。
「ありえるか? 私様は、オーディンと姉妹の杯を交わして、アースガルズのみならずミズガルズでも有名なロキ様だぞ? どれだけ私様をモチーフにした小説やら創作やら絵画やら薄い本やらがあると思っている? ああ……ファァァァァァァァッ○! 眼鏡かけたドワーフが痩せたみたいな人間風情が! 私様を嘗めやがって! もうゆるさねえ! この策略家の悪神と呼ばれた私様が、一度お前を地獄に落としてやろう!」
ライトノベルってこんな感じでいいんですかね