第3話つづき
学校に着くと上履きに履き替え、僕は1―Cの教室へ向う。前方には相変わらず、美しい少女二人が歩いていた。神様の悪戯で、奈緒と塩崎さんと僕は同じクラスなのだ。
あぁ心休まる暇さえないのか、とクラス変え直後は落ち込んだけど、今はありがたいことに奈緒との席が遠い。前回の席替えで僕は教壇から見て右後ろの席になり、奈緒は左前。対極に位置しているのだ。だから僕は、奈緒から開放されるとひそかに喜んでいた。ほんの、一瞬だけ……。
「今日の一限目って国語だっけ?」
机とにらめっこしていた僕を、隣の席の塩崎さんが覗き込むように首を傾げる。可愛すぎる不意打ちに、僕はすぐに視線を外した。
「う、うん」
「じゃあ、二限目は数学?」
「うん」
「じゃあじゃあ、その次は?」
ちらっと見ると、塩崎さんの顔がさらに近づいて来た。
「……社会です」
「じゃあじゃあじゃあ――」
塩崎さんが席を立って、僕の机の前にしゃがみ込んでいる。塩崎さんの髪の甘い匂いが鼻をくすぐった。匂いでさらに塩崎さんを意識してしまうので、鼻を抑えた。
猫のような悪戯っぽい瞳に人懐っこい笑顔を浮かべ、僕を見つめている。視線の暴力とは言うが、まさにこれがそうだ。可愛いけど、暴力だ。
「六限目は?」
「保健」
「えっちー」
「えっ?」
塩崎さんがにやっと笑った。そして僕があたふたしているのを面白そうに眺めている。席替えしてからずっと、こんな感じなのだ。僕は女子が苦手だし、奈緒よりもタチが悪い。
「止めといてやれよ」
救いの手。それはちょうど今来た、友達の高彦の声だった。
「たかひこ〜」
我ながら、とても情けない声が出る。
高彦は鞄を机に置き、呆れたようにため息を吐いた。ご自慢の茶色い髪は、今日もきっちりセットされている。
「ほら、もうコレも死にそうだからさ、勘弁してやろうね塩崎」
コレとか言われてちょっと心外だけど、高彦様ありがとう。そんな意味を込めたつもりで高彦に顔を向ける。高彦は呆れたように頭を掻いた。
たけど、塩崎さんの目は動かない。
「あと五分だけだから」
「駄目だよ。近藤に呼んでこいって言われてるんだから」
苗字で言われるとピンと来ないが、近藤とは奈緒のことだ。高彦は塩崎さんをそう牽制しながら、僕の首根っこを掴む。テニス部で毎日鍛えているだけあって、僕は簡単に立たされてしまった。
「そういうことだから、行くわ」
塩崎さんにじとっとした目で睨まれながら、僕は高彦に引きずられていく。
「いつもありがと、高彦」
「いえ、毎度ご利用ありがとうございます」
皮肉気味に言われながら、そのまま廊下に出る。奈緒のところに行くというのは言い訳で、実際に行くことはない。今回はたまたま奈緒がダシになっていたけど、先生とか友達とかいろんな人を使っている。
「しかし、お前もホントいいご身分だよな」
そして、適当に廊下を歩きながら、朝のSTまでの時間を潰す。これもいつものお決まりだ。
「……そうでもないよ」
僕がややうなだれながら言う。すると、高彦がすごい勢いで言い返してきた。
「女子が苦手とはいえ、学校一の美人と学校一のモテ女に言い寄られて『そうでもない』わけないだろっ」
この場合、学校一の美人が奈緒でモテ女が塩崎さんだ。高彦は声を荒げ、興奮した様子で続ける。
「だいたい俺なんか、近藤に口を聞いてもらえたことさえないんだぞ。なのにお前は学校一の美人と毎日一緒に登校したり楽しくお喋りしたり」
「悪戯されたり、サンドバックにされたりね……」
僕がそっと付け加えると、高彦が怪訝そうな顔付きになった。
「でも、虐められるとしても構ってくれるんだし、それは脈ありってことじゃんか。だいたいお前、女子でも近藤は大丈夫なんだろ。もう付き合っちゃえばいいじゃんか」
「へ?」
高彦のあまりにも現実味に欠けた言葉に、僕は呆然とした。奈緒と僕が付き合うなんて、無理に決まっている。無限大パーセント無理だ。母親といい高彦といい、なんでそんな分かりきったことを言うのだろうか。
「そうすればさ、塩崎だってそんなに話しかけてこないって。俺も楽になるし、名案じゃね?」
高彦はまるで難しいクイズの答えを思い付いたような表情で、人差し指を向けてきた。僕はすぐさまその手を払う。
「名案じゃねぇ」
「なんでだよ。お前ならいけるって」
「いや、無理でしょ。一般常識的に」
「……お前、さてはホモか?」
高彦が僕との距離を取った。
「やめろよ。俺、お前とはただの友達だからな。突いたり突かれたりは絶対無理だからな」
「しないからっ!」
ケラケラと高彦が笑う。その後も、下ネタを交えた談笑をしながら時間を潰した。
しばらくして、朝のチャイムが鳴り僕はあの地獄のような席に戻る。先生はまだ来ていないようで、席に戻ると塩崎さんが数人の女子と雑談していた。なので僕は気付かれないよう顔を伏せ、出来る限り存在感を消し先生が来るのを待つことにする。
「お、私の彼氏が帰ってきた」
顔を伏せながらも女子達の視線が自分に向くのが分かった。自然と冷や汗が出る。
「二人って付き合ってたの?」
「近藤さんとじゃなかったの?」
「あぁ、そういえば近藤さんは夏木くんだもんね」
とわあわあきゃあきゃあ騒ぎだした。ここで「違うからっ」と一言否定出来ればいいのだが、残念ながら緊張で口が開きそうにない。こんな状況が高彦は羨ましいのだろうか。
高彦様の助けを待っていると、先生が来たようで女子達の声が止んだ。
朝のSTが始まり、先生が出欠の確認やら連絡やらをする。担任の先生は結構めんどくさがりなので、朝のSTはいつものように三分かからずに終わった。
「ねぇ」
席を立とうとしたら、塩崎さんに声をかけられた。嫌な予感がバリバリする。
「な、なに?」
「国語の教科書忘れちゃったみたいなの。一限目見せてくれない?」
見せるということは、机を引っ付けて一緒に見るということ……、想像しただけで顔が熱くなった。だいたいそんなことしたら女子達の恋愛話に油を挿すだけだ。
分かっているんだけど、塩崎さんの顔を見るとどうにも……断れない。
「嫌や?」
僕は、国語の教科書を差し出した。
授業中も、となりの方からの攻撃は止まなかった。
最近の塩崎さんは、奈緒よりも酷い。相手は僕が女子を苦手だって知っているのに、すっごく近づいてくる。しかもそれで「好き」とか「押し倒して」とか、破壊力抜群の表情を浮かべて言ってくる。そんなこと言われたら今まで虐められたことも、まぁいいかなぁって少し許せてしまう。そこも塩崎さんの計算の内なのだろうが……。
「なぁ、ちょっとトイレいかない?」
お昼休み、給食を食べ終わってぐったりしていると高彦に声をかけられた。
「いいけど」
塩崎さんはちょうど友達と話していて、こちらをあまり見ていない。僕は立ち上がり、高彦に着いて行く。
トイレへ行くと言ってたわりに、トイレとは真逆の方向に廊下を歩いていた。僕が不思議に思って尋ねようとしたとき、高彦がぽつりと言った。
「なぁ、朝さ、近藤と付き合えとか言ってたじゃん?」
「え、うん」
前を向いていた高彦の視線が僕にくる。
「ずっと考えてたんだけど、やっぱあれ名案だと思うんだ。だからさ、告白しよぜ。近藤に」
僕が……告白?
「はぁっ?」
思わず声を上げた。突然何を言っているのだろうか。呆然とする僕を他所に、高彦は真面目な顔付きでいる。
「一週間。一週間、お前に時間をやるから心の準備と告白の言葉考えておけ」
肩をがしっと掴まれた。目が本気だ。
「一週間後、俺が近藤を呼び出してやる。だから、告白しろ」
高彦の熱気がムンムン伝わってくる。テニスでもこういう時も、高彦は遊び人っぽい見た目とは違い、かなり熱い男なのだ。だからこうなると、誰にも止められなくなってしまう。
「でもさ」
「でもじゃないんだ、俺のためにも頑張れ。大丈夫、近藤もお前のこと好きだって」
奈緒が僕を好き。どうやったらそんな考えにいたるのだろうか。だが、今の高彦に言ったところで無駄だろう。
「いや、奈緒は今夏木君と付き合ってるって噂だよ」
適当に思い付いた言い訳を言ってみる。
「そんなの噂だろ。なんなら聞いてみろ。それで本当に付き合ってたら、諦める」
「わ、分かった」
「今から聞いてみろ。メールか電話でな」
高彦の目が鋭く光る。逃げることは出来ないようだ。自分の周りには面倒臭い友達しかいないな、と少し落ち込みながら奈緒にメールを打つ。
『夏木君と付き合ってるって本当?』
こんなメールを送るなんて、なんだか恥ずかしかった。打った後、一応高彦にも内容を確認させ、返事を待った。
奈緒から返事はすぐに来た。内容はたった一言だけ、『馬鹿』と書いてあっただけだった。しかし、その一言からは奈緒の怒りががんがん伝わってくる。血の気がさーっと引くのが分かった。
高彦が携帯を覗き込む。メールの内容を見て、高彦は手をぽんと僕の肩に置いた。
「よし、そういうことだ。一週間後、頑張れよ」
「え?」
馬鹿ってだけで、付き合ってないとは言ってないのに。ちょっと理不尽なので、僕もここで反撃に出る。
「ちょっと待って。僕だけじゃ不公平だから、高彦も好きな人に告白してよっ」
「はっ?」
「ほら、女子テニス部の部長さんとかにさ」
張り手が飛んできた。高彦は入学してからずっと、女子テニス部の先輩に恋してるのだ。相手は短い髪がよく似合うスポーツ少女で、結構男子からは人気がある。高彦からはよく相談されたり、手が触っちゃった話とかを聞かされているのだ。
「それはいいんだ。まだメールアドレスも聞けてないし」
高彦の顔が少し赤らんでいた。
「でも好きなんでしょ?」
僕がにやけながらそう言う。すると高彦が冷ややかな表情で呟いた。
「うるさい。もう女子に絡まれても助けてやらないからな」
「すいません」
気付くと、体が勝手に謝った。