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◆ 森須欣志
‥‥あぁ、今日も芳賀さんは綺麗だなぁ。
少し蒸し暑い初夏の風が、眩しい日差しと共に教室へ舞い込んでくる。いつもと変わらぬ朝の学校。暑くなりそうな一日の始まりに気だるげな空気が漂う中、斜め前の席に座る天使の横顔に見とれる俺は、今日も幸せだった。
柔和な雰囲気を漂わせる端正な美貌に、清らかさを湛えた優しげな瞳。柔らかそうな唇はほんのり赤く、腰元まで伸ばされた黒髪は絹のように滑らか。全てが完璧に調和した美しい横顔はまさに芸術。退屈な朝のHRも、彼女と言う芸術を鑑賞するためと思えば、実に有意義だ。
この春、宮園高校に入学して一番のサプライズは芳賀美奈さんと出会えたこと。桜舞い散る土手沿いの通学路で、初めて彼女を見かけた時から俺は心奪われてしまった。その彼女が同じクラスだと知った時の喜びは、天にも昇る気持ちってやつだ。
俺の理想が女性の形をとったとすれば、彼女がまさしくそうだ。もちろん、その完璧な魅力は容姿だけに止まらない。成績優秀は言うに及ばず、物腰は淑やかで誰に対しても分け隔てなく優しく、いつも春の陽だまりを思わせる穏やかな笑みを浮かべている。清楚にして可憐、まさに大和撫子と呼ぶのがふさわしい。
身体つきは華奢で、さすがに運動は苦手なようだが、出る所はしっかり出ていて女性的な魅力も申し分ない。おまけに家はヤシロ‥‥ナントカ流と言う華道の家元らしく、華道家としての腕前も全国に轟いているらしい。才色兼備とは、まさに彼女の為にある様な言葉だ。
もっとも、これだけ条件がそろっていれば、当然他の野郎共も狙っている。入学からわずか三カ月の間に、彼女に告白した男子は数知れず。全てやんわりと断られたと聞くが、今なお彼女は、同級は言うに及ばず上級生からも噂される宮園高校男子憧れの的。それに比べて俺はと言うと、成績‥‥は中の下くらいで、品行‥‥もあまりよろしくない。取り柄と言えば小学生から続けている柔道くらいで、むさい、いかつい、汗臭いと三拍子揃った悪名高き柔道部の一員だ。ついでに言うと女子から見た俺、森須欣志の印象は、怖い、四角い、乱暴そうと、極めて不評なものばかり。俺に言わせれば言われなき中傷なんだが、そう思われてるんだから仕方ない。
バレー部やバスケ部には俺よりでかいやつも珍しくないが、高校一年にしては大柄な方だろう。身長は中三の頃から急に伸び始め、今では百七十五センチ。体重は七十三キロ級で戦う為に、七十一、二キロに合わせている。この体格でイケメンだったらさぞや女子にもててるだろうが、あいにく顔は強面、ごついと言われても仕方ない容貌。坊主よりましだと思って角刈りにしてみたが、これも女子に対しては怖い印象を与えているようだ。乱暴そうと思われるのは主に喧嘩が原因で、今のところ連勝記録を更新中だが、自分から吹っ掛けたことは一度もない。いつも巻き込まれているだけだ。
そんな俺が中学時代、女子に告白した結果は四戦全敗と、こちらは連敗記録を更新中。前述のいずれかが原因で断られ続けた。‥‥認めよう、俺は女にもてない。だが、人生七転び八起き。傷付くのが嫌だからなんて言う軟弱な野郎共とは根性が違う。五回目振られることを恐れるより、次こそ女の子と付き合えるかもと希望を抱いて、高嶺の花に挑むのが男ってもんだろ。幸い今日は芳賀さんと一緒の日直当番。これを機に彼女と仲良くなりたい。そしてあわよくば付き合いたい。って言うか、ぶっちゃけヤりてぇ!
‥‥なんだよ、健全な男子高校生としては当たり前のことだろ。いまどき清く正しいおままごとみたいな交際なんぞ、PTAだって言いやしねえ。あの細い身体を押し倒して上四方固めに抑え込んで、あんなことやこんな事を‥、いや、待てよ。横四方固めも捨てがたいな。とにかく彼女とエッチしてぇ!
‥‥と、欲望全開の後で言うのも気がひけるが、さすがにいつもこんな事ばかり考えてるわけでもない。あんな綺麗な子が彼女だったら嬉しいし、一緒にいても楽しそうだろう。純粋に彼女を大事にしたいと思う気持ちもあることだけは言っておこう。
ところがその愛しの君は、どうも表情が沈んでいる。原因はどうやら担任の須藤先生が話していることにある様だ。
「‥‥で、あるからして、今日一日生物室の使用は禁止。特に警察の現場検証が終わるまでは、面白半分に覗きに行ったりするんじゃないぞ‥‥」
なんでも、昨晩どっかの変質者が学校に侵入して、生物部が飼育しているウサギを殺したらしい。朝の餌やりに訪れた生徒が腹を裂かれた無残な死骸を発見して、ちょっとした騒ぎになったと聞いている。被害にあったのは二羽だけだが、警察を呼んだのは当然の流れ。問題は犯人がわからないと言うことにある。
「‥‥動物に襲われた可能性もあるが、おそらく外部の者の仕業だろう。さすがに犯人がまだその辺をうろうろしてるとは思わんが、万が一ってこともある。くれぐれも不審者には注意しろよ」
「センセー、注意しろったって、マジでそんな奴がいたらどうすりゃいいんすか?」
誰かが余計な野次を飛ばしたもんで、須藤先生が眉をしかめる。もっとも、今年三十五歳になる独身国語教師はベテランだ。これくらいの返しは心得ている。
「そん時は、大声で助けてーと叫びながら、一目散に逃げろ」
どっとクラスが笑いに包まれるが、芳賀さんは沈痛な面持ちを崩すことなく、表情を緩める気配もない。心優しい彼女はよく生物部に遊びに行っており、特にウサギを可愛がっていたようだから、悲しみも人一倍なのだろう。憂いを帯びた表情も魅力的だが、さすがに不謹慎か。まったく、どこのバカだか知らんが、芳賀さんを悲しませるとはひどい野郎だ。もし俺が見つけたら、得意の内股でぶん投げてやる。せめて楽しい話題で彼女の気を紛らわせてあげたい。そうすれば、俺の魅力に気付いてもらえるかも。
‥‥なんて考える後ろから、まったく違う考えを持つ者が彼女を窺っているなど、俺には気付くよしもなかった。
◇ 阿部樹莉亜
‥‥あぁ、面白くない。
‥‥‥‥ほんっと、ぜ~んぜん面白くない!
あの芳賀美奈と言う女の存在が、私にとってはまったくもって面白くない!
睨むように斜め前の席に座るあの子を見ながら、私は心の中で毒づいていた。いかにも清楚ぶって澄まししているけど、どうせ男受けがいい様に振舞ってるだけなんでしょ。
大体私が、間宮中学では男達の人気を独占していたこの阿部樹里亜が、あの女の前では霞んで見えるなんて、そんなのプライドが許さない。そもそも一体私の何があの子に劣ってるって言うの?成績はトップクラスだし、ルックスやスタイルだって負けちゃいない。中学ではブラスバンド部の部長も務めていたから、人望やリーダーシップだってあるはずよ。そりゃ、あの子のうちは華道の名家、八代薫風流の家元だって言うけど、うちのパパだって県会議員だし、家柄でも負けてないはずだわ。
それなのに、クラスの男共の視線を集めてるのはあの子だけ。いえ、クラスだけじゃないわ。学校中の人気をあの子が独占してるのよ。こんなのって許せる?
そのいい例が、前の席に座る柔道バカの森須。あいつだって昔は私のこと好きだーって告白してきたくせに、今では私の方なんか見向きもせず、鼻の下伸ばして芳賀のことばっかり見てるじゃない。まぁ、あんな振ってやったバカのことなんかどうだっていいんだけど、私の彼まであの子に色目使ってんのよ。そんなの絶対許さないんだから。
その憎き恋敵は、なんだか元気がない様子。いつもは男に媚びるような愛想笑い浮かべてるのに、今朝は気落ちを隠せていない。大方ウサギ事件を聞いて、いかにも心を痛めてますってアピールしてるんでしょうけど、そんなの騙されないわよ。でも、もし本当にショックを受けてるのなら、ざまあみろって感じだわ。どこの異常者の仕業か知らないけど、あの女を苦しめてくれるのなら、どんなことでも大歓迎。お礼を言いたいくらいだわ。
ほんとなら直接酷い目に合わせてやりたいんだけど、あの子ったら男子だけじゃなく女子にも人気があるから、表だってイジメでもしたら私の評判が悪くなってしまう。それに外人もどきの上杉が、いつもあの子にべったりしてるから、なかなか付け入る隙もない。何かあの子に弱みとか秘密とかないのかしら。見てなさいよ、いつか絶対ひどい目に合わせてやるんだから。