0話:とある男の回想録 ☆彡
冬の夕暮れ時、窓の外では気の早い宵の闇が下りつつあった。
だというのに電気も点けない薄暗い部屋の中で、唯一煌々と照らされたPC画面の発する青白い光が、
一人の青年の顔を浮かび上がらせていた。
シャープな稜線の顎から伸びた均整の取れた面差し、やや切れ長の瞳は画面を映す。
テレビの画面上でも見かけない程の美青年、だが、それに頓着の無い様子は、乱雑に寝ぐせのついた髪と、
3日間着替えていないチェックのシャツの皺に表現されていた。
「ふふふ……あと2時間で……」
彼が寝食を忘れ没頭しているとある「ゲーム」。
当初携帯ゲームであったソレは最近PCにも対応し、利用者もそこそこに増えてきた。
これに気を良くしたのか、運営会社は新たな機能のサービスを開始した。
――オークション
所謂、交換所機能(ユーザー同士がトレードする機能)ではなく、
運営が特別なアイテムを出品し、それをユーザーがオークション形式で競っていくものだ。
様々な物品が出品されている。
「他の商品は、と。どれどれ、≪羽の生えた靴≫か」
例えば、今、青年の目に留まった≪羽の生えた靴≫。
これはネットゲームユーザーの悩みの種の一つである「行動値」を期間限定で無限化するものだ。
一般に、ネットゲームには行動値というものが存在する。
これはクエストを進める(「進む」等のボタンをクリックする)のに要求されるポイントで
自然回復するものだが、その速度はユーザーのプレイ速度よりもはるかに遅く、
結果、ユーザーはよりゲームを多く楽しむ為に課金して回復アイテムを購入したり、
ぐっと堪えてその時間を待つか、あるいはアイテムを交換所で売却する等して、
溜め込んだりするのだが、いずれにしても制約は多い。
例えば、そんな制約からプレイヤーを解放してくれる魔法の靴が出品されている。
1か月間無制限という破格の性能に、飛びつくものは多い。
「マ石30個か。結構上がったな」
ちなみに、オークションは日本円ではなく≪スペル魔石≫、通称≪マ石≫で取引される。
1個100円。偶にセールで30円~50円で販売されている。
先に述べた「行動値」を回復する回復アイテムが、このゲーム、「スペル・マスター」では
このスペル魔石なのだが、同時に、多くのゲームと同様に通貨の代替機能も担っている。
なお、何故≪魔石≫ではなく≪マ石≫と呼ばれるか、については(無論、運営はスペル魔石と正式名称で表記している)、このゲームのプレイヤー達が”そういう連中だから”、であるとしか言い様がない。
「……っと、よそ見してる暇はないな、大陸、大陸、っと」
だが、青年の目標はコレでは無い。
なんとなればもののついでに買ってしまうだけの資金力はあるが、そうであるからこそ
彼には不要(すでにマ石が溢れかえっており、行動値の回復アイテムに困窮する状況に無い)であるし、
他のプレイヤーの楽しみを略奪するような暴挙をする男ではない。
そんな彼――プレイヤー≪ポコチーニ902≫が狙っている商品。
それが、
「希望の新大陸、≪ホープランド≫、か。自由にカスタマイズ可能な新大陸……」
なのだ。
「まず、大陸の名前は当然、●ープランドに改名だな。東端の小島はエロ●ンガ島、いや、最終ダンジョンの塔にしてもいいかもしれない、それから、地名も……」
――彼は、このゲームを下ネタ塗れに汚染した、
「それから、NGワードを仕込んで大陸内は不意に言葉が下ネタに変換される様にして……」
――その諸悪の根源であり、
「後は地域固有アイテム、地域固有魔法……夢が広がるね……」
――ご乱行は現在進行形で拡大しており留まることを知らず、
「そうそう。新作はまた、みんなに《伝授》しないとな」
――しかし、同時に、大枚をはたいて入手した魔術(ただし下ネタ塗れ)を無償で皆に≪伝授≫することから、一部の者に師とも仰がれる、面倒見の良いトッププレイヤーでもあった。
既に価格はマ石2000個にまで跳ね上がっている。
「ふふ、まだ喰い下がってくる、か!」
新たな入札者はマ石2015個を提示。
しかし、彼は無情にもワンクリックでそれを跳ね除ける。
――現在の価格、マ石3000個
約30万円分。
急激な上げ幅に廃課金者ポコチーニの本気を見たプレイヤー達は潮を引くように入札から手を引いていった。
「ん?」
が、一人、エントリーが残っていた。
――≪ニコポーチ209≫
まるで彼の名前をいじくったかの様な不気味なプレイヤー名。
――はて、どこかで恨みでも買ったのかしらん。
青年、ポコチーニは首を傾げた。
と、その時であった。
携帯電話が久方ぶりに虫の羽音の様な振動を彼に伝えた。
着信を見ると、「母」とだけ表示されている。
彼の母、すなわち現東京都知事であり、先に「健全な青少年育成にかかわる新条例」の制定に尽力した、
≪藤堂 孝子≫である。
久方ぶりの電話だ。
青年はため息を一つ。
その後に、重たい動作で電話を取った。
「……はい」
「行規、近所のオーソレイユまで来てくれるかしら?」
「は?」
「レストラン、ああ、それと分かってるでしょうけど」
「ドレスコードだろ? その位は分かってるけど、取り込み中なので、少し待てないかな?」
「駄目。今日は”大事な話”があるもの」
”今日は”ではなくて、”今回も”、だ。
久方ぶりに電話があると、必ず”大事な話”とやらで彼の都合も関係なしに呼び出す。
大抵は、見合いの話だ。
「迎えの車を寄越しているから30分以内で支度して頂戴」
それだけを言うと、通話は勝手に切れた。
再度の溜息。
彼はPC画面に目を落とした。
――マ石3015個、≪ニコポーチ209≫
まだ、喰らい下がっているユーザーの姿がPC画面に映し出されている。
「……念のため」
彼は長い指を繰り、エンターキーを押すと、振り返らずに自室を後にする。
――マ石10000個、≪ポコチーニ902≫
主の居なくなった薄暗い部屋で、取り残されたディスプレイが途方もない入札額を映し続けていた。




