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Lost Corner  作者: 八束
カイロ逃亡
9/42

(9)

 私が通されたのは、拠点の中にある宿舎の一室だった。

 備え付けられた寝台は決して上質なものではなかったが、学院の寮のものと似た硬さが懐かしさを私の胸に呼び起こした。そうでなくとも、ここ最近はろくな場所で寝てはいなかったのだ。寝台があるだけでもありがたい。

 クラエスと出会ってこの方、蓄積した疲労がどっと私を襲っていた。用意された食事もそこそこに、私は眠りに落ちてしまった。

 そして深い眠りの中、私は夢を見た。

 それは繰り返し見る、あの夢だった。蜜色の月も星も瞬かぬ、暗澹とした夜空。荒涼と広がる砂漠。強く吹きつける風に髪がなぶられる。

 私は獣を正面に立っていた。ぎらぎらと金色の双眸が怪しく光る、あの獣だ。それは天に向かって荒々しく吼え、私を睨みつけていた。しかしその夢の中で、私の心を占めるのはその獣のことではない。

 私は何かを探していた。地面に膝をついて、懸命に砂を掘っている。しかし私は探しているものの正体がわからない。ただ焦燥感に駆られるまま、砂に点々と穴を掘り続ける。片手で冷たい砂を掻き混ぜる。そこにあるはずのものを、ひたすらに求めて。

 ――ああ、そうだ。きっと私は、大切なものをここで無くしたのだ――。

 そこでふと、意識が浮上した。

 視界は薄い膜が張ったように不明瞭で、体中が重い倦怠感に包まれていた。抗いがたいまどろみの中で、しかし私は誰かが私の額に手を置くのに気づく。


「…………、」


 誰かが何かを言う。しかしその言葉の内容を、私はうまく聞き取れなかった。

 私は手を伸ばそうとした。その人に触れたいのに、指一本すら動かすことのできない自分が悔しい。必死に手を伸ばそうともがき、そして――――。


「……あれ、」


 ぱちりと目を覚まし、私は寝台の上で上体を起こした。

 体の重さはすっかりなくなり、外は明るい光に包まれている。あの人の姿も跡形もなく消えうせていた。……あれも、夢の延長だったのだろうか。

 一晩しっかり寝たおかげで、体調も回復していた。太陽の位置を確認して、私は寝台から抜け出す。昨日の話の続きを聞くためにも、まずはヒューの居場所を探そう。

 彼女は昨日と同じ場所にいるだろうか。そう思い、私はあの部屋に向かうことにした。幸い建物の構造はそう複雑ではなく、迷うことなく私は昨日の部屋の扉前まで来られた。

 そして取っ手に手をかけようとして、私は扉の向こうから響く声に気づいた。誰かが、何かを激しく言い争っている。


「……そうやって、お前は高みから見下ろすつもりなんだ」


 立ち去ろうか迷い、私はその声に聞き覚えがあることに気がついた。――イカルガだ。何故、彼女がここにいるのだろう。


「十年前の事は、僕は殆ど関わりがない。けれども、僕はあのことに関してはお前だけを憎んでいるよ。お前はあの時あれほど人を見殺しにしたのに、どうして今のうのうと生きていられるのか」

「……そうですね。貴方の言う通りかもしれません」


 そこでようやく、私はイカルガの怒りの矛先を知った。

 ヒューだった。扉を隔てて幾分かくぐもりながらも、その穏やかな声は私の探していた彼女のものだ。

 憤りからだろうか、壁を強く叩く音が響く。そして扉が乱暴に開かれ、私の視界にイカルガが映った。彼女の目が驚きに見開かれる。


「ユリアナ?」


 どうしてか、彼女は表情を愉快そうに歪めた。

 イカルガの背後に、ヒューの姿が見える。しかし彼女は私の存在に気づいてはいないようだった。どこか呆然として面持ちで、床に視線を落としている。


「立ち聞きしていたの? 君も趣味が悪いね」

「……偶然耳に入っただけよ」

「そう。ま、どっちでもいいけど。……でも、丁度いいや。交渉は決裂したけど、手土産は持って帰れそうだ」


 イカルガはつまらなそうにそう言った。彼女は後ろ手に扉を閉めると、すっと腰から刃先の短いナイフを抜く。それはぎらりと窓から差す陽光に照り、私は少し前にもこんな状況があったことを思い出した。

 けれども、ここは皇帝直属軍の拠点だ。それを考えれば、不利なのは彼女の方だ――しかしイカルガはそんなことも気にしないのか、逃げようとした私をあっという間に壁際に追い詰めてしまう。


「っ……、」

「ねえ、ユリアナ。君はどこまであの女のことを信じてるの? 気をつけなよ、あれも大概嘘つきだ。あれは十年前の事故で沢山の人間を見殺しにしているんだ。それを助けられる立場にありながら」

「何を言っているの……」


 そんなこと知らないわ、と私は強張った声で答える。視線の先で、首に突きつけられたナイフが皮膚を薄く裂いた。

 イカルガの様子は尋常ではない。ヒューもあの調子では、この状況に気付くか微妙な所だ。さらに悪いことに、今この廊下を通りがかる人間もいない。――自分でどうにかしなければ。殺されるのだけは御免だ。

 イカルガの翡翠色の瞳をじっと見つめながら、私は考えた。体格はそう変わらないのに、彼女の腕力は相当な物だ。振り払うことはできそうにない。だったら、どうにかして彼女の気を逸らせないだろうか。そう必死で私が策を練っている間、イカルガは気怠そうに首を鳴らし、無表情で私を見た。そしてぽつりと、思い出したように言う。


「どうやって持って帰ろうかと思ったけど。君が死んだら、皇帝直属軍側にとって君の価値は無くなるんだよね。だったら――」


 事も無げにイカルガは囁く。瞳に暗澹とした光が宿っていることに、私は身を震わせた。

 視界の中で、彼女はナイフを横に引こうとする。もうこれで終わりだ――私は硬く目を瞑り、きたるべき衝撃に備えた。しかし、それはいつまで経っても訪れなかった。


「駄目ですよ」


 そっと目を開き、最初に視界に映ったのは黒光りする何かだった。

 さらりと、ゆるく結わえた金髪が揺れる。彼は小銃の先端をイカルガの頭に突きつけ、極上の笑みを浮かべていた。


「ユリアナ、貴方は生きなくてはいけない」


 彼のほっそりとした白魚のような指先が、その引鉄にかかっていた。

 いつのまにこの場に現れたのだろう。安堵よりも先に、私の胸に押し広がったのは衝撃だった。驚いて何も言えないままでいると、それまで黙っていたイカルガが不意に私に突きつけていた刃物を捨てた。クラエスは床に転がったそれを蹴ると、手の届かない範囲まで追いやってしまう。


「ちょっとした戯れだよ。まさか本気にするなんて」


 イカルガが降参したとばかりに両手を挙げるのに、クラエスも銃口を下ろした。しかしそれは仕舞われることはなく、未だに彼の手中にある。一瞬の膠着状態の後、クラエスは肩を竦めると、去れと顎でイカルガに示した。捕まえるつもりはないらしい。

 既にイカルガはクラエスを向いていたので、私はその時の彼女の表情を知り得なかった。しかし彼女が呆然と佇む私を振り返った瞬間、その瞳には拭いきれない翳りが見えた。

 そしてイカルガが去ると、クラエスは嫌みったらしく私に話しかけてきた。銃を仕舞い、大仰な溜め息を加えて。


「ユリアナ、貴方も大概非力ですね。もう少し抵抗しないと、相手も面白くないと思いますが」

「残念ながらあれで精一杯よ。貴方のような規格外と一緒にしないでほしいわ。……いつから見ていたのよ」

「最初からずっと。貴方が部屋を出た時から。……ああ、別にストーカーではないですよ。ヒューに用があったもので」


 つまり私がイカルガに捕まった瞬間を見ておきながら、ぎりぎりまで助けるつもりはなかったらしい。その性根は相変わらずという感じだろうか。

 そこでふと、私はクラエスの言葉に引っかかりがあることに気がつく。


「クラエス。夜中に私の部屋に入ったりしなかった?」

「はあ? そんな事するわけないでしょう。私が拠点についたのは今朝ですし、そもそもそんな趣味はありませんからね」

「……そう」


 だとしたら、やはりあの掌の感覚は夢だったのだろうか。

 私が考えている内に、クラエスは当初の目的を果たすつもりらしく、ヒューがいる部屋の扉を開いた。私も中に入れて貰えたので同席する。私達を振り返ったヒューには、先ほどの茫然自失とした様子はもう見受けられなかった。


「ああ、クラエスにユリアナさん。来ていたのですね。……どうしましたか?」

「どうしたもこうも。ヒュー、先ほどの騒ぎには気づかなかったのですね」

「少し考え事をしていました。何かあったのですか?」


 いえ、とクラエスは短く答えた。

 あの夜も感じたことだが、クラエスがヒューに接する態度は、私に対するものよりもずっと丁重だ。というよりも、私の扱いがぞんざいなだけかもしれない――が、今だって、彼は彼なりに意図して言葉を押さえ込んだようだった。

 私はクラエスの横顔を見上げる。淡青色の双眸はじっと据えられ、ヒューの表情を窺っているようにも見えた。


「カナン同砲団の少女が来ていましたが、宣戦布告でもされましたか」

「いえ。けれども、似たようなものかもしれませんね。……あの少女は技術工(エンジニア)まがいのこともしているようです」

 ヒューは一度言葉を切ると、視線をあたりにさ迷わせた。そして、焦点を今度は私に定める。


「……ユリアナさん。体調はいかがですか?」

「大分いいわ」

「そうですか。では、昨日の話の続きです。ドヴッジャイラのことは覚えていますね。昔から、そのドヴッジャイラを安置している遺構をめぐり、ファランドール家を含む帝国とカナン同胞団は対立しています」


 話が急激に昨日のものへと引き戻される。イカルガが来たことと、何か繋がりがあるのだろう。クラエスも口を挟むようなことはしなかった。


「ドヴッジャイラをめぐり、十年前にカナン同胞団は遺構に乗り込み、そこで何らかの事故が起こり――事態はあのような事件へと至りました。ドヴッジャイラは一度機能を再開しましたが、現在は一時停止であると言われています。遺構はファランドール家によって完全閉鎖され、現在カナン同胞団と我々は膠着状態が続いたはずでした」

「……続かなかったのね」

「ええ。ドヴッジャイラの機能停止は一時的なものですから。……ファランドール家の技術者の予測では、きっかり十年。十年が間近に迫った今、カナン同胞団は再び動き出しています。そして彼らは、貴方を狙った」


 ファランドール家の後継である貴方を。

 その言葉に、弾かれたように私は面を上げた。ヒューの表情は変わっていない。薄く笑みを湛え、私を見つめている。――ハルも言っていた事だが、それは事実だったのか。

 ファランドール家の後継であることと、遺構との間には根の深い繋がりがあるようだ。ヒューはそこで一度事故について言及するのを止めると、深いため息を零した。


「貴女は今後どうあっても、あの遺構に向かわねばなりません。それだけは揺るがぬ事実です。ドヴッジャイラは遺構の管理者――ファランドール家の当主および後継にしか制御できない代物ですから。……私としては、貴方がこの事実を知らされずに育ったのが理解できないのですが」

「私が知りたいわよ。……いきなりこんなことに巻き込まれた上に、そんなことを言われるなんて理不尽だわ」


 私は苛立ちを隠さなかった。

 正直、ヒューの言っていることも消化し切れていないのだ。滔々と紡がれる彼女の言葉に耳を傾けることしかできない。そのスケールの大きさや事態の異常さに、ひたすら流されるばかりだ。私の意志などどこにもない。

 しかし同時に脳裏にちらつくのは、あの荒涼とした沙漠の幻影だった。まるでヒューの言葉の中に、大切な何かが置き去りにされているような感覚すらする。だからこそ、私はそれを嘘だと撥ねつけられずにいた。

 ヒューは私の言葉に、憐れみにも近いような表情を浮かべている。しかし、次に彼女の口から出てきたのは、少し意外な言葉だった。


「……でもあの少女の言ったことが本当なら、状況は少し変わったようです」

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