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Lost Corner  作者: 八束
カイロ逃亡
6/42

(6)

 私は再び拘束され、廃屋の最上階へと強引に連行された。手足を縛られ、狭い一室の床に転がされる。剥き出しの床は、小さな窓から差し込む陽光のせいで焼けるような熱を持っていた。

 乱暴に放り投げられたせいで、体のあちこちが痛い。ばクラエスにも手酷く蹴られたものだし、最近は本当にろくな扱いを受けない。

 閉じ込められた後は私一人で放置されていたのだが、暫くしてイカルガが数人の男を連れてやってきた。彼女は古びたアタッシュケースを片手に、にっこりと微笑んだ。


「ご機嫌はいかがかな?」

「……最悪よ」


 私は体すら起こせないまま、こちらを見下げるイカルガを睨んだ。


「そりゃそうか。ま、こんなことになっちゃって君も気の毒だと思うよ」

「よく言うわね。その元凶のくせに」

「元凶、ね。それはどうかな? 少なくとも君が僕たちに協力しなければ因果応報だと思うんだけど。だってさ、ユリアナ」


 イカルガは床に膝をつくと、アタッシュケースを広げた。寝転がったままでは、その中身を窺い知ることはできない。


「自分のお家がしたことは、やっぱり自分のお家の人間が責任を負うべきだと思わないかい?」

「訳が分からないわ。何の話をしているの?」

「ファランドール家はね、カナンの民の恨みを買ったんだよ」


 十年前のことだけどね、とイカルガは素っ気無く言った。

 私はその言葉の意味を考えようとして、すぐに止めた。家のことなど関係ないし、私に責任なんてないだろう。そう思うと、今の待遇に今更ながら理不尽さを覚えた。だから私は、ありったけの恨みを込めてイカルガを睨みつけてやった。

 しかしそんな視線も飄々と受け流し、イカルガは自分の鞄を漁るばかりだった。やがて彼女は目当てのものをケースの中から見つけ出したらしい。ちょっと私を一瞥して、彼女が取り出したのは鋭く耀く刃物だった。

 斜光を浴びて、薄い刃先が光る。イカルガはくるりとその柄を回し、連れて来た男達を一瞥した。――何が起こるのだろうと不安を胸の中で膨らませていると、ふいにその男達が私の背後に回った。同時に腕を拘束していた麻縄が解かれる。

 解放されるのかという淡い期待の芽は、次の瞬間にはあえなく摘まれた。私は男の一人に片腕をひねり上げられ、もう片腕をイカルガの方に差し出すような格好になる。


「……何をするつもりなのよ」


 彼女の意図が分からない。このまま腕でも切り落とされでもするのだろうかと、私は恐怖で肌が粟立つのを感じた。


「うーん。ちょっと気になることがあってね」


 彼女は何かを考え込んでいるようだった。私の服の袖を捲り上げると、無遠慮にそこにあらわれた皮膚を触る。それから思い出したように、彼女は私と目を合わせた。そこには私を裏切った罪悪も何もない。


「ねえユリアナ。君が片腕を失ったのはいつだい?」


イカルガは片笑み、対照的に私は表情を強張らせた。


 『それに君、義手だろう?』


 イカルガと出会った夜の言葉が蘇る。

 私が学院生活で隠し続けた事実を、彼女は一目見ただけで暴いてしまった。そこで生まれた動揺が自分自身をこんなところにまで追い込んでしまったのだが、それくらい私は自分の秘密が完璧だと思っていたのだ。

 視線を漂わせ、石造りの床をじっと見つめる。それから小さく知らないわ、とだけ私は返した。


「大体、何でそのことがわかったのよ」

「まあ、勘かな。カイロにも義手や義足は多いから、僕みたいな学生が診ることも多いんだ。あと君の場合は少し両腕の長さが違ったから。成長期のせいだね、義手が体の成長に合わなくなってきているんだ」


 イカルガは淡々と言うと、持っていた刃物を消毒した布で拭いた。

 何をするつもりかと私が目を見張っていると、彼女は刃を私の腕の付け根にあてがった。そして躊躇なく刃先を差し入れる――彼女はそこにあるのが、義手と肩との接合部分を隠すための人工皮膚であるのを知っていたのだ。人工皮膚を剥がすと、ケロイド状に傷跡の残る本物の皮膚が現れる。


「地雷で遊びでもしたの?」

「……知らない。もし知っていたとしても、答える義理なんてないわよ」

「それはどうかな? ね、義手になったのはいつ?」


 私が沈黙を貫こうとすると、イカルガは仕方ないなあとばかりに溜め息をついた。そして次の瞬間、彼女は信じがたい行動に出た。

 彼女は義手の付け根に触れると、そこを思いっきり引っ張ったのだ。繋がれた神経が無理やり引き離される感覚に、私は顔を歪める。声すら出ない痛みに呼吸が詰まった。


「言わないならそれでもいいけどさ。その場合は、二度と義手が繋げなくなるように君の神経をずたずたにするよ?」

「……っ、随分と手荒い脅迫ね」

「ごめんね? 知っての通り、僕は手段を選ばない。そうじゃないと、この国では生きていけないからね」


 イカルガは決して深刻そうに話はしないが、その言葉自体は慎重に選ばれているように思えた。

 私は乱れた呼吸を整えると、強く彼女を睨みつけた。そこまで言われてしまえば、癪だが従う以外ない。義手といえども腕を失うのはごめんだ。


「……学院に入った頃にはもう義手だったわ。事故だったと言い含められたけれども、真相はわからない」

「ふうん? 事故、ね。きっとそうだろうね。意図的に腕を切り落とすんだったら、もっと傷跡はきれいになるから。……それにしても、高性能な義手だね。ファランドール家らしい遺失技術(ロストテクノロジー)の結集だ」


 イカルガは私の切り離した義手を両手に持ち、まじまじと観察していた。その図を視界に収めるのが居た堪れず、私は視線を逸らす。

 義手は生身の腕と同じ質量で作られているから、それを奪われたとなると慣れない感覚がつきまとう。同時に普段は考えないようにしている、自分の特異性を否応なしに自覚してしまった。


「これを世間に汎用化しないファランドール家はいやらしいね。さすが遺失技術の大半を手中に収めているだけはある。だいぶ稼いでいるんだろう?」

「興味ないわ。家の事情なんて知らないもの」

「そうは言っても、君の今までの生活はそれを基盤に成り立っているんだよ? 君の食べるものも、着るものも、その腕も」


 それだけ言って、イカルガは満足したらしく私の義手を元に戻してくれた。少々荒っぽい方法だったので痛みは残ったが、そのまま持ち去られないだけよかったかもしれない。

 イカルガは私の腕を再び縛らせると、男達を引き連れてすぐに去ってしまった。再び戻った静寂に私は安堵の溜め息をつくと、寝転んだままぼんやりと天井を眺める。

 ――君の今までの生活はそれを基盤に成り立っているんだよ?

 仕方ないじゃない、と私は思う。……そんなことを言われても、子供は生まれてくる家を選べないのだ。私に何の非があると言うのだろう。 



 ◇



 ふと意識が浮上したのは、深夜を回ってからのことだった。

 太陽が沈み、すっかり気温の落ちきった砂漠の夜。冴え冴えと澄み渡った意識のもと、冷たい床に寝そべったまま私は狭い窓を仰いだ。四角く切り取った窓のむこう、深い群青色の空では、銀砂子をばら撒いたような星が点滅している。厚みのなくなった蜜色の月が冷たい光で私を見下ろしていた。

 イカルガが乱暴に再接合した片腕が、思い出したように痛んでいた。寒さが余計に堪える。加えて、無理な体勢で堅い床に転がされているせいで全身の節々も痛かった。自分ではろくに身動きができないこの状況が、ひどくみじめだ。


「……、…………」


 ぼんやりと取り留めもなく思考を走らせているうちに、私は遠くから響く何かの音に気づいた。

 気になって耳を澄ます。沙漠の静寂に、そっと響くのは誰かの話し声のようだった。この具合だと、もしかしたら隣の部屋かもしれない。


「……ら、…………シア、……」


 低い声音は男のものだろう。隣の部屋が誰のものなのか、どういう用途のものなのかはわからないが、少なくとも誰かはいるようだ。話し声だけで判断すると二人。話していないだけで、もっと他の人間もいるかもしれない。

 その瞬間、私を突き動かしたのは予感だった。ずるずると体を不器用に引きずって、壁に向かって這う。そしてぴたりと耳を壁に押し付けた。


「……れで、……は―――。どうするんだ、ヨクトシア」


 ――そして響いたその名に、私は瞠目した。

 壁越しに幾分かくぐもっていたが、どうやら話しているのはハルとか言う男のようだ。そして今、彼が話しかけているのは、同名の間違いでなければ、私のよく知る――。


「ファランドール家の娘を手に入れたのだろう。ならば、多少のリスクはあっても遺構に乗り込む他はない。帝国軍に先を越されぬ前に」


 その声の懐かしさに、私の胸は掻き乱された。

ヨクトシア、そう彼の名を呼びたい。私はここにいると、そう示したかった。しかし勘付かれてはいけないと、私は必死に声を堪える。


「そうだな。遺構の場所をお前が命がけで突き止めたのだ、もう迷うことはない。……我々は再びの栄光を取り戻すのだ」

「……義父さん。俺は……」


 ヨクトシアはそこで言葉を切った。

 彼らが何の話をしているのかはわからない。けれども推測をするに、ヨクトシアが謀反を起こしたというのは事実だったのか。そのことは半ば真実として認めていたはずなのに、そう思い当たった瞬間――私の心には、ひやりと冷たいものが注ぎこまれたような気がした。

 しかしその瞬間、私の心を打ち震わせたのは別のことだった。壁を一枚隔てたむこうに、ヨクトシアがいる。私が罪を問われる発端であり、そして何よりも、私の。

 やがて話し声は途絶えた。足音がして、誰かが部屋から遠ざかってゆく。ヨクトシアの足音なのだろうか――私は小さく、彼の耳に届くはずもないのにその名を呼んだ。

 考えまいとしていたのに、その彼が現れたせいで――私の心には堰を切ったように感情の波が溢れた。こんなみじめな状態に陥ったのは彼のせいかもしれない。それでも、私の心は愚かにもまだ彼を信じたがっていた。私の唯一無二の幼馴染を。

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