表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Lost Corner  作者: 八束
徒花に実は成らぬ
24/42

(8)

「……ねえ、ヒュー。一つ、聞いていいかしら。貴方の知る限り、スヴェン・ファランドールはどんな人間だった?」


 膠着状態に陥ったのを見て、私はかねてからの疑問を口にする。ヒューはその言葉にふっと表情を緩めると、良い人でしたよ、と答えた。


「ファランドールの後継としては申し分ないほど優秀でした。優しく、家族思いの青年でもあった。貴方もよく懐いていたように思います」

「……そうね。私もそう思う。今日、彼の幻影に会ったのよ。まるで亡霊だった。そこにそのまま、彼の魂があったように思えたの。……彼はドヴッジャイラの自壊コードを、私に教えてくれたわ」

「――自壊コード?」


 聞き返すヒューの声音が剣呑な色を帯びる。明らかに様子が異なったヒューを不思議に思いつつも頷けば、彼女は間髪入れず、いけません、と言い放ったのだった。


「あれを破壊してはいけません。どんな犠牲を払おうとも、ドヴッジャイラは再び一時停止状態に戻すのです。――あれは帝国にとっての武器であり、抑止力なのですから」


 語気を強めて言ったヒューに、私は驚くよりも呆気に取られた。間を置いて、ようやくその内容を把握する。――自壊コードを、使ってはいけない?

 呆然とする私を置き、今まで沈黙を貫いていたクラエスが前に踏み出した。


「自壊コードを使ってはならないと言うのですね? あれがどんなに危険な兵器か、貴方が一番よく知っているでしょうに」

「私自身の問題ではありません。これは国の問題であり、十年前からその方針は揺らいでいません。クラエス、貴方は不服のようですが……では何故、スヴェン・ファランドールは自壊コードを把握していながら、それを使用しなかったのですか?」


 確かに、言われてみればその通りだ。

 私はドヴッジャイラの存在と事故について聞かされた時、てっきりドヴッジャイラを破壊されるものだと思っていた。十年前にあのような犠牲を払っているのだから、そう考えて当然だろう。しかしヒューの言うことが本当ならば――ドヴッジャイラは帝国の他国への抑止力として維持される。それを停止させるために、再び多くの犠牲を払ってでも。

 どくどくと心臓が強く脈打つ。その事実に突き当たった瞬間、私の胸の中では嫌な予感が膨張を始めていた。――では、スヴェン兄さんは――……。


「信じられないわ。……他に沢山の武器や技術を保有しておきながら、それでもなおドヴッジャイラを維持しようと言うの? 十年前にあれほどの犠牲を出して、カナンの民との紛争の種にもなって。それを何度でも繰り返そうって言うの? それがどんなに危険なことか、直接目の当たりにしたことのない私でも分かるわ」

「奇麗事は不要ですよ。言ったでしょう、ユリアナさん。貴方は子供でありながら、もう苦いものを飲み下さなければならぬ時期がやってきたと。これは個人の感情の問題ではなく、国の威信をかけた問題です」


 そう言って、彼女は私に言うことを聞かせようとする。まるで幼子を宥めるように。――いいや、私が相手にしているのはヒューではない。それは国という、もっと膨大で、悪意に満ちた意志の塊だ。

 こんな馬鹿げた行いのために、スヴェン兄さんは死んだのだろうか。私や、イェルド兄さんの人生は狂わされたというのだろうか。ドヴッジャイラが、あのような悲劇を繰り返してでも維持する価値があるとは思えない。その意志に迎合することが大人になることならば、私は一生子供でもいいとすら思った。


「――同意しかねますね」


 冷えた声が耳朶を打つ。

 一瞬自分に向けられたものかと思い、私は肩を揺らした。しかしそろりと背後を見やると、声の主であるクラエスは、真っ直ぐにヒューを見据えていた。


「同情しますよ、ヒュー。立場があるということは、それだけ責任も重くなる。貴方が恋人を見捨て、冷血の仮面を被らなくてはいけない程にね。しかしヒュー、私は貴方に同情こそはすれども……認めることはできない」

「同情? クラエス、貴方にもそんな心があったのですね」

「御託はいい。少なくとも、私は貴方に迎合はできません。ドヴッジャイラは破壊されて然るべき存在だ」


 なるほど、と短くヒューは言った。

 クラエスは私を押しのけ、ヒューのいる場所の直線上に立つ。淡青色の双眸の視線が絡み合い、二人は互いを睨みすえる。紗幕から差しこむ陽光が、その表情を明白に照らし上げていた。


「クラエス、貴方は……皇帝直属軍を離反するつもりですか?」

「ええ。私ごときが、貴方の身代わりに過ぎない私ごときがいなくとも、何も困ることは無いでしょう」


 クラエスの声は、珍しいほどに荒立っていた。そこに孕まれる激情が波うつように彼の声音を揺らしている。私は息を詰めて二人の対峙を見つめるしかなく、その横でイカルガは無感情な眼で状況を傍観していた。


「……いいでしょう。好きなようにしなさい。今まで貴方に苦行を強いてきた私からの、せめてもの手向けです。帝都を出るまでは追っ手は仕向けません」

「それは重畳。でしたら、好きなようにさせて頂きます」


 そこまで言い切ると、クラエスは突然私を振り返った。

 彼は突然イカルガの手錠の鎖を床に投げ捨てた。そして空いた手を、勢い良く私に向かって差し出してくる。


「決めなさい。私についてくるか、ここに残るか。貴方の意志で」

「……それは、ファランドール家の後継としてではなく?」

「私はただのユリアナに聞いています」


 間髪入れず返された言葉に、私は思わず笑みを浮かべた。――あんなに私に後継としての自覚を持たせようと仕向けてきたのに、土壇場になるとこの様だ。けれども不快感は湧いてこない。

 私はクラエスとの目線を交差させ、投げかけられた言葉について考えた。この手を取ることがどれほど危険なことか、分からない訳ではない。しかし――。


「行くわ、貴方と一緒に。連れて行って、クラエス」


 迷ったのはほんの数秒で、私はすぐさま彼の手を取った。

 見た目に反し、クラエスの手の触り心地は悪い。皮は厚く胼胝の目立つ、軍人の手だ。けれども私のつくりものの片手とは違い、本当に血が通った手だ。この手にならば、私の命を賭けられる。

 共に連れ立って退室しようとする私達を、ヒューは無言で見送った。淡青色の瞳を伏せ、静かな黙考に沈みながら。


「クラエス。それでも私は……」


 紡がれた言葉の続きは、締め切られた扉の音によって遮られた。

 私達はその後皇帝直属軍の本部を逃げるように辞すと、ファランドール家の屋敷へと足を運んだ。クラエスは一度彼が普段使用している部屋に行ったかと思うと、律儀にも漆黒の軍装を解いて戻ってきた。腰の半月刀に拳銃を収めたホルスター、ベルトに連なる弾丸といった武装に目を瞑れば、一般人と然程変わらぬ格好に着替えている。


「良かったのですか」


 何が、と聞き返す必要はない。


「それはこっちの台詞よ。貴方こそ、あんなに簡単に軍を離れてしまっていいの? イーグルにとって、皇帝直属軍の軍人であることは大切なことなんでしょう」

「……別に、私など当主たるヒューの身代わりにすぎませんから。皇帝直属軍であることにさほどの執着はありません。――単純に、イーグルに生まれたものはイェニチェリという死地を決められている。それだけなのですから」

「まるで、死ぬために生まれてきたような口振りね」

「そうですね。少なくとも、我々イーグルは生きることに価値を見出せない一族ですから。……でも」


 どこからか持ち出した皮袋に必需品を収めながら、クラエスは淡々とした口調で語った。ナイフの刃を布で覆う手元に視線を落とし、それからふと彼は私を見る。淡青色の瞳は、どこか穏やかな光を湛えていた。


「それでも、私にだって意志はある。ただイェニチェリとして、軍人として死ぬだけの存在ではない。……果たしたいことが、一つだけ、あるのですよ」

「軍を離反してでも、果たしたいこと?」

「ええ。――約束がある。私があの女学院から貴方を連れ出したのも、貴方の護衛として帝都にやってきたのも、ヒューに反目してまで軍を離れたのも、全てそのため。……貴方を守り、ドヴッジャイラを破壊するという約束をね」


 ――それこそが、今までクラエスが私に隠し続けてきた彼の目的だった。

 私を守り、ドヴッジャイラを破壊する。それは想像もしていなかったような言葉だった。単純に、よくてもクラエスは私を利用しているだけなのだろうと思っていたのだから。驚きに、私は言葉を失ってしまった。


「まあ、そうでもなければこんな小娘を相手にしませんよ」

「……小娘で、悪かったわね。その約束は……貴方が身を呈してまで、果たすほど価値があるものなの?」

「さあ、そんなことはわかりません。ただ、私はこの約束を果たすことで、初めて自分の人生の逆らえるような気がするだけです。この忌まわしい、死地まで決められているような人生をね」


 クラエスは自分の過去について語るような人間ではないが、私はその言葉に彼の人生の片鱗を見つけたような気がした。故郷の人間からは裏切り者と疎まれ、本国でも異国人として扱われる。軍人になることを運命づけられ、軍人として死ぬことが決められた人生。――私だったら、心がからからに乾涸びてしまうだろう。私はまだ自分がファランドールの後継としてではない人生を夢見る余地があった。けれどもクラエスには、それすらなかったのだ。そのことに気がつき、一瞬、私は彼の孤独が骨の髄まで突き抜けたような錯覚を抱いた。

 だからこそ、彼は約束を果たしたいという。そのことを語るクラエスは、普段よりも少しばかり素を覗かせた顔をしているように見えた。


「……その約束は、誰としたの?」

「貴方の見えない味方と」

「またその言い方? いい加減、誰か教えてくれてもいいじゃない」


 クラエスは笑ってごまかすだけだった。この段階に及んでもなお、彼は教えてくれるつもりがないらしい。そのことを残念に思いながらも、私も私で旅装を整えることにした。

 クラエスが言うには、今日中に帝都を抜けてしまうつもりらしい。列車を使ってアラビア半島を横断した後はアフリカ大陸に渡り、当分はカイロに潜伏。そう言う分は簡単だが、軍を離反した以上追っ手には狙われるだろうし、後ろ盾もなければ命の保障もない。しかし私とて、何も考えずに彼についてきたわけではないのだ。

 確かに私は武器など扱えないし、腕力もない。無力な小娘に過ぎない。けれども、皮肉にも――あれほど厭っていた、権力という盾を持っている。そして帝国が“維持”したがっているドヴッジャイラは、私でなければ制御ができない。軍もそのことを考えれば、迂闊には手を出せないはずだ。

 制服の上から裾の長い外套(ミシュラハ)を羽織り、今度はサソリに刺されないように革靴ではなく膝まで覆える厚手のブーツを履く。そうして自分の分の荷物を持ってクラエスを見れば、彼は床に地図を広げて旅路の吟味をしているようだった。


「ねえ、クラエス」


 彼の意識はいまだ眼下の地図に向いている。

 私はその前に屈みこむと、彼の長い睫毛を見つめた。何度か口の中で言葉を咀嚼し、一度深く息を吸いこむ。


「い、一応、お礼を言っておくわ。ありがとう。約束とかなんだか言っていたけれど、貴方がしてきたことは私を守るためでもあったのでしょう? ……まあ散々な目に遭わされたことも多々あったけれども」

「……は? すみません、貴方が素直にお礼を言うなんて、少し鳥肌が。ユリアナ、変なものでも食べました?」

「失礼ね! 私でもたまには、す、少しくらい素直になるわよ」

 そう言ってそっぽを向いた私の耳朶を、クラエスの笑い声が打った。そろりと彼の顔を見れば、いつにもない屈託のない笑みが彼の顔に浮かんでいた。変なものを食べたのはそっちじゃないの、と私は小さく毒づく。けれども何だか嬉しくなって、私も微笑んだ。


「……クラエス、私が貴方について行くって決めたのは、単純に、信用できる人間が貴方しかいなかったからよ。確かに貴方にはひどい目にも遭わされたし、お世辞にも人が良いとは言えない人間だけれども。それでも貴方は私を裏切らなかった。……思い返せば、貴方は最初から私をただのユリアナとして見ていたのね」

「そうでしょうか。私は貴方を騙そうとしている悪い人間かもしれませんよ」

「その時は仕方がないわ。私の見る目がなかっただけだもの。騙そうとするなら――せいぜい、ファランドールの後継様に気に入るように振舞うことね」


 そう悪戯めかして言えば、クラエスは小馬鹿にするような目を向けてきた。まったく失礼な人間だ。――しかしそういう様を見ていると、彼は私を裏切るとはまるで思えなかった。それに本当に私を騙すような人間ならば、そもそもここまで忠実に例の約束とやらを果たそうとしないだろう。軍を離反し、帝国を敵に回してまで。

 だから、大丈夫。私はそう思い、口元の笑みを深めた。



 ◇



 清かな月光が、闇に沈んだ帝都の街並みへと降り注いでいる。蜜色に熟れた月が中天を過ぎる頃には、都の騒々しさもほとんど消え失せてしまっていた。黙々と石畳を踏む音だけが響く。

 帝都を取り囲む壁のむこうは、死すらも呼び起こす荒涼とした沙漠が広がっている。数ヶ月前にこの門をくぐった時、私は一体全体、どうやったらこんな状況に陥るなんて想像ができただろう。この門の中で、私はたくさんの死を見つめた。多くの苦悩を知った。ファランドール家の後継になどなるまいと思って帝都に訪れたはずなのに、私は今、ファランドールの後継として帝都を出て行こうとしている。なんとも皮肉な結果だ。

 外界へと繋がる唯一の門を前にして、ふとクラエスが足を止めた。彼は無表情に青白い星空を見上げ、それから呆れたように溜め息を落とす。


「何用ですか。――帝都を出るまでは追っ手を差し向けない、とヒューは言っていましたが」


 まあ信じる方が馬鹿なのかもしれませんが、とクラエスは自嘲するように笑った。クラエスの声と同時に、ざわりと空気が動く感覚がする。

 私が周囲を見回すと、いつのまにか門のあたりには数人の軍人が立っていた。黒衣の軍服は闇に溶けるようで、ほとんど判別がつかない。しかし外套の裏側に裏打ちされた金糸の紋章が、きらりと星明りを反射していた。


「……クラエスさん」


 聞き慣れない男の声が耳朶を打つ。

 軍人の一人がクラエスを呼んだのだ。彼らは一様に武器を抜く様子を見せない。ただ闇の中、その全員がクラエスを注視していた。


「どうか考え直してくれないでしょうか。皇帝直属軍を離反するなど、今までの貴方からは考えられない所業です」

「そんなことをわざわざ言いにきたのですか、ナミル。残念ながら、私はお前たちの期待に応えられるような人間ではありませんよ」


 冷たく言い放ったクラエスに、ナミルと呼ばれた軍人の一人は息を呑んだ。口振りからして、皇帝直属軍におけるクラエスの知り合いだろうか。彼はなおも言葉を続けようとするが、それすら遮るようにクラエスは腰の半月刀を抜いた。星の耀きが滑り、闇の中でその湾曲した刃が白く浮き彫りになる。そして一瞬にして空気が張りつめ、私は肌が粟立つのを感じた。きっとこれは、クラエスの殺気だ。


「過去も未来も、戸籍も家族もない。皇帝直属軍は亡霊の集団です。――いい加減、そんな生き方には飽きたのですよ。私は私のやりたいようにやる」

「……ヨクトシアの後追いですか」

「ヨクトシア? ああ、そんな人間もいましたね。馬鹿な男だった」


 そうクラエスは吐き捨てるように言うと、優美な動作で半月刀を構える。ようやくクラエスに引く気がないとわかった集団は、各々武器を抜いた。

 一瞬の膠着状態が解ける。クラエスと軍人の集団が足を踏み出すのは同時だった。私は不安げに背後からその光景を見つめることしかできない。クラエスは以前も多勢を相手にしたが、それは戦闘に熟練していない人間を相手にしていたからだ。今度の相手は、皇帝直属軍という帝国最強の集団だ。

 柄にもなくクラエスの身を案じた瞬間、私はふと視界に映ったものに目を見開いた。石造りの門の上から、何かが降ってくる。


「ヨルガ!」


 無意識に私は叫んでいた。皇帝直属軍の集団の背後に降り立ったヨルガは、その大振りの半月刀で一人の背中を切りつけた。

 ずる、と抜き身の剣が男の胴体から抜かれる。鮮血が噴出し、ヨルガの甲冑が濡れる。

 彼の登場によって戦力を分散せざるを得なくなった集団は、しかし一瞬もうろたえることはなく互いの目標を定めた。それをいとも簡単に、薙ぎ捨てるようにヨルガとクラエスは斬ってゆく。かつての同僚であっても、そこに慈悲というものは一片も残されていなかった。隙を見分け、関節の骨を砕き、延髄を狙って確実に戦闘不能へと追い込んでいく。

 しかし最後に残った一人が、一矢を報いようとヨルガに向かって剣を振るった。彼はそれを避けたが、その拍子に被っていた兜が刃先にぶつかり、外へと弾き飛ばされる。男は同時に背後からクラエスに斬りつけられて絶命したが、私の視線はヨルガへと固定されたままだった。


「行きましょう。夜行列車が出る」


 闇の中で、ヨルガの顔はわからない。

 ただ、まだ年若い男であろうことはわかった。彼は半月刀や甲冑の汚れを紙で拭うと、それを腰の鞘に収めた。そして地面に落ちた兜を拾おうと身を屈めた時、さらりと短い髪が揺れる。――髪色は、黒、だろうか。そうでなくとも濃い色合いだろう。月影にぼんやりと照らされ、薄い唇とすっと通った鼻筋が見える。しかしその姿も、兜を再び被ったことによって隠されてしまう。


「ヨルガは私の共謀者です。問題はない」

「……そう、なのね」


 ヨルガは一定の距離を保ったまま、私たちについてきた。

 帝都の門を潜る。追っ手はあれ以外に用意されていなかったようで、私たちは難なく駅へと向かうことができた。自爆テロによって崩壊した元のホームは壊され、今は代理のバラックが建てられている。あらかじめ入手していた切符を切り、私たちは地中海東岸を終点とする列車に乗りこんだ。

 クラエスと向かい合って、座席に腰を降ろす。ヨルガも同じ列車に乗ったようだが、彼の姿はここにはなかった。本当に神出鬼没な人物だ、と私はヨルガについて思う。それだけじゃなくて、私は彼の素性も性格もまったく知らない。彼の声すら聞いたことがなく、まさしくクラエスの言った亡霊という言葉にふさわしいような人間だ――そのことを疑問に思いながらも、私は彼についてクラエスに問いただせないでいた。知ってしまうことが、何かとても恐ろしいような気がしたのだ。

 列車が動き出す。砂埃に汚れた窓から、私は夜の風景を眺めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ