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Lost Corner  作者: 八束
徒花に実は成らぬ
18/42

(2)

 クラエスはヒューの姿を目に留めると、中庭の入り口付近で足を止めた。並ぶ二人を見ると、やはり似通っている所が多いことを実感させられる。性や髪色などの違いはあれども、顔の細かな作りからふとした拍子の仕草まで、時として驚かされるほどに似ている。


「そろそろ本部に戻らなくてはいけません。私はこれで失礼しますね」


 クラエスと話を終えたらしいヒューは人懐っこい笑みを私に向けた。頷きを返すと、彼女は澱みない足取りで屋敷の外へと出て行く。

 代わりに私のもとへと歩み寄ってきたのはクラエスだ。彼はヒューから受け取った例の書類を今度はヨルガに手渡すと、強い日射から逃れるようにイーワーンの奥に引っ込む。棒立ちする私と向かい合った格好で彼は壁に背を預け、いつものように意地悪く笑った。


「テロの発生時から調査はしていたのですが、ようやく分かりました。どうやら解放軍はダマスクス周辺の遺構に根城を張っているようです。同時に、帝都にも複数、拠点があります。帝都の拠点については正規軍に回しますが、ダマスクスの方は装備が整い次第、我々が進撃し殲滅することになりそうです」

「随分急な話ね。そんなに急ぐものなの?」

「向こうは数度テロという暴力的手段に出ていますから。早急に手を打たなければ、これ以上の被害が出る可能性があります。あちらの出方を待つ余裕はありません」


 突然クラエスが引き出した言葉に、私の表情と声は自然と強張る。ぞわりと背中に冷たいものが這うのがわかり、私はぎゅっと奥歯を噛み締めた。

 恐れたものは、皇帝直属軍が解放軍を殲滅する話そのものではない。――兄のことだ。解放軍が殲滅されたならば、それに前後して兄の居場所も判明するだろう。そうなれば、私は……。


「殲滅はいつごろになりそうなの?」

「装備を整え、ダマスクスに移動するまでに二週間ほどになりますね」


 ダマスクスは地中海東岸に位置する地方都市であり、帝都からは少々離れた場所にある。海に出るにしても帝都に向かうにしても主要な街道が通り、帝国内でも帝都を除いたら一、二を争う大規模都市だ。周辺の沙漠には遺失文明の遺構も多く残され、そのための研究機関も多いという。

 クラエスの話では、解放軍はその中の一つを乗っ取っているそうだ。おそらく、遺構の中でもほとんど技術が残っていないような無用の代物だろう。そうでなければ、ファランドール家か別の勢力の管理下に置かれてしまうからだ。


「皇帝直属軍が赴くってことは、貴方も行くの?」

「私とヨルガはダマスクスには向かいません。最優先事項は貴方の護衛ですからね。ただ、我々も我々で仕事はありますよ」

「それって……」


 唾を飲み込む。ぎゅっと拳を握りしめ、私は正面に立つクラエスを睨み据えた。彼の表情は影に隠されて判別がつかない。


「……イェルド・ファランドールの行方は未だ不明です。今全力を挙げて諜報部が調べ上げている所ですが、単身逃走している可能性も、解放軍と行動を共にしている可能性もあります。つまり――私とヨルガは正規軍の補助として帝都の拠点の制圧にかかりますが、そこに彼がいないとも限りません」

「相応の覚悟はしておけって言うつもり? そんなこと、言われなくても分かっているわ」


 極めて傲然に私は言い放った。クラエスは微かな含み笑いを漏らす。

 ――まるでクラエスはこの状況を楽しんでいるようだ。

 私に肉親の生死を天秤にかけさせ、どちらを選択するか見ている。そして彼は、私がどちらを選ぼうとも構わない。そう考えると、途端に苛立ちが私を襲う。


「……私がどんな気持ちでいるかも知らないくせに」

「それはそうでしょう。私は常人以上に他人の気持ちの分からない、欠陥だらけの人間ですからね」

「そうやっていつも高みから見下ろして、良いご身分ね。私が眼下でもがくのが、そんなに楽しい?」


 唇を噛みしめ、漏れ出た言葉はまるで呪詛だ。

 八つ当たりをした所でどうにもならず、胸の中で収拾のつかない感情が膨れ上がるばかりだ。私はありったけの悪意を篭め、クラエスの眸を睨み据える。


「肉親を殺害するなんて、冗談じゃない。私が一度でも、兄さんを殺したいって思った事があると思う? それなのに――こんな家に生まれたせいで、兄に殺されかけ、今度は私が殺さなくいけなくなるなんて!」


 暴発だった。言うつもりのなかった言葉ばかりが、感情の奔流に乗せられるまま溢れ出す。心臓が喧しく私の胸を叩く。握り締めた手が汗で滑る。

 対するクラエスの態度は冷ややかだった。そうですか、と短い声が響く――酷暑の帝都には似合わぬ、凍てついた声音だった。


「それでも、そうしなければいけない時もあります。私は貴方と同じ齢の時に、枕元に刃物を持った肉親が佇んでいたことがありました」


 その時は事なきを得ましたが、と皮肉っぽくクラエスは続けた。白魚のような彼の指が、腰に差した半月刀の柄を優しく撫ぜる。月と竜を象った装飾の輪郭を、細い指が辿ってゆく。懐かしむように、彼は影の中で瞼を伏せた。


「貴方と私のことを思うと、肉親というのは絶対の絆ではないのでしょうね。しかし同時に、色濃い未練を私達に残す」

「貴方が言っているのは……ヒューのこと?」


 そのいつにもなく物憂げな態度に、私は怒りも忘れて問いかける。クラエスは曖昧な笑みだけ返すと、剣の柄から手を離し、移動で乱れた自分の髪を整えた。



 ◇



 二週間という期間は、長いようにも短いようにも感じられた。

 大量の重火器と共にヒュー率いる皇帝直属軍の精鋭部隊がダマスクスに出立し、現地に到着したとの連絡が届いたのはつい先日のことだ。ダマスクスにある解放軍の本拠地と、帝都に少数ある拠点を同時に叩くため、内部では綿密な作戦の摺り合せが行われた――と、私はクラエスに聞かされた。

 作戦は未明に決行されることになった。現場に出張るクラエスに代わり、私はヨルガによって皇帝直属軍の本部に連れて来られていた。外で太陽は未だ姿を現していない。徐々に白み始めた空と共に、壁と壁がひしめきあうように密集する帝都の街並みは青白く染まっていた。

 私はいかにも応接間といった場所に通されていた。部屋の奥でヨルガは何かの機材をいじくり、私は所在なく長椅子の隅に座っている。腰を落ち着ける革張りの長椅子は金糸で刺繍され、正面の象牙のテーブルには疵ひとつ見受けられない。足許にはヨーロッパからの輸入品らしい、毛の長い絨毯が敷き詰められていた。

 そうして暫く居心地の悪い時間を過ごしていると、不意に、正面の卓上に青みがかった何かが浮かび上がった。


「……立体映像(ホログラフィ)?」


 ――驚いた。

 卓上に立ち上がったのは、何かの建物の映像だった。記録映像ではなく、実際に現在の映像をそのまま中継している。――立体映像は、所謂特殊な映像技術だ。遺失技術の代表的存在だが、現在に至っても一般民衆には手の届かない代物だ。こうしてお目にかかれるなど、夢にも見ていなかった。


「この建物って……、もしかして、今回作戦で制圧する場所?」


いつの間にか背後に立っていたヨルガに問いかけると、彼は無言で頷く。しかし次の瞬間、私の意識はもう彼から逸れていた。立体映像の中から耳を劈くような銃声が響き渡ったからだった。

 誰かが別の建物から撮影しているのか、映像が近景に切り替わる。素地がむき出しの室内には重装備の正規軍、それに相対する解放軍の人々が映っている。無数の薬莢が地面に転がり、弾痕が壁を抉っていた。


 『畜生(ダミット)……畜生……!』


 呪詛のようなくぐもった声が響く。

 正規軍の人間が、投降を勧める内容を朗々と喋る。しかし解放軍が懐の銃を構えたところで、銃撃戦はすぐに再開された。

 建物は荒廃した廃屋をそのまま使用しているらしく、遮蔽物が多く複雑に入り組んでいる。内部は奥に行くほど暗く、立体映像の中で詳細を確認することは不可能だ。長筒を抱えた軍人たちが、洗練された動きで奥へ消えて行く光景を見つめることしかできない。


『おとなしく投降しろ。悪いようにはしない』

『はっ、帝国人の指図なんて受けねよ。てめえらに捕まるぐらいだったら、ここで喉を掻っ切って死んだ方がマシだ!』


 装備を整えた帝国軍と、所詮は一武装集団に過ぎない解放軍とでは力の差は明白だった。投降の意思がないとわかるや否や、帝国軍はさらに攻勢を強める。目につく限りの遮蔽物を破壊し、立ち上る硝煙を暗幕に、さらなる銃撃が放たれる。やがて地面を覆い尽くすように、どす黒い血が流れ出した。

 目を覆いたくなるような光景に、それでも私は目を逸らすことができない。――私はその惨劇の中で、無意識に兄の姿を探していたのだ。もしかしたら、という思いが引力となっり、私の視線は立体映像の中に吸い込まれていく。

 暫く経つと、銃声も鳴り止み、建物の中は朝の静寂に包まれた。丁度夜も明けたところで、小窓から差しこむ光が生々しく内部の有様を照らし上げる。


『こっちへ来るんだ』


 奥へと消えていった軍人が、隠れていたらしい数人の女子供を連れて戻ってくる。

 ――彼女たちの視線を見た途端、私は身を射止められたような心地がした。淡い色の双眸が、一様に怨恨を剥き出しに正面を睨み据えている。唇を噛み締め、拳をぎゅっと握るその姿からはありありと怒りが滲み出ていた。


『……捕縛および投獄はそちらの管轄でしたね。我々はこれで引き上げさせていただきますよ』

『ああ。協力感謝する、イェニチェリ諸君』


 ふと夜明けの静寂を破ったのは、凛と通るクラエスの声だった。それを耳にした途端、今まさに捕縛されようとしていた少女が同胞集団の中から飛び出す。


『っ、お前……英国人のくせに……! 同胞を裏切って、帝国人に膝を折って! 誇りはないの!? 英国人としての誇りは!』


 ふわりと宙に広がったのは、長く美しい金髪だった。

 アンジェリカが懐から取り出した銃の引鉄に指をかける。何の汚れも知らなそうな、たおやかで細い指先だった。その白さが目に焼きつく。

 ――一瞬だった。

 彼女が引鉄に指をかける一瞬で、クラエスは自分の目の前で踊ったその肢体へと銃口を向け、躊躇いも無く引鉄を引いた。乾いた発砲音が、間を置かずに響く。


『誇り? それを今更私に問いますか』


 絶叫とともに、アンジェリカが床に蹲る。とめどなく広がっていく血を足先で踏み、冷淡にクラエスは言い放った。


『私はお前たちの憎むイーグルですよ。――故国に今更、どんな感慨もない。悲しみも憎しみも喜びも、私は全てあそこに捨て置いた』


 立体映像が消滅したのにも気がつかないほど、私は放心した状態だった。頭の中で、先ほどの光景が繰り返し流れる。発砲音、絶叫、広がる金髪、床に広がる血溜まり。力なく横たわる肢体。

 目を閉じても、瞼の裏に焼きついた光景から逃れることができない。心臓がうるさいほどに脈打って、どくどくと血が送り出されるのを感じる。――一瞬だった。一瞬で、クラエスの弾丸はアンジェリカの心臓を貫いた。あまりにもあっさりと、彼女は死んだ。それなのに私の心臓は動いている。私はここで生きている。少しは見知った人間の死に様を目撃し、私は明らかに動揺していた。

 彼女の何がいけなかったのか。業の深さで言うならば、ファランドール家の娘たる私の方が深いだろう。ただ立場が違っただけだ。彼女が弱くて、私たち帝国が強かっただけの話なのだ。

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