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Lost Corner  作者: 八束
徒花に実は成らぬ
17/42

(1)

 静謐な空気に満ち満ちたせかい。一面、青いタイルで彩られた空間。

 ゆらゆらと揺れる硝子製のランプには橙色の灯り。白大理石のスクリーンをかけた窓からは、淡い光が漏れ出している。足許には蔓草模様のペルシア絨毯。半球状に膨らんだ天井には、まるで網をかけたような模様が金色のタイルで形作られていた。

 誰かの気配を感じて、私は振り返る。

 すると途端に、周囲の景色が消え去った。代わりに視界に広がるのは、荒涼とした沙漠。星の瞬かない夜空のもと、砂を踏みしめて私は立っている。

 ――ああ、そうだ。

 ここは――――。

 予感に駆られた瞬間、私は目を覚ました。あたりは暗く、まだ夜明けが遠いことを窺わせる。

 寝汗に濡れた寝巻きを変えようと立ったところで、鈍い痛みに片腕を抑える。指を何度か開いたり閉じたりしたところで、私は明確な違和感に気づいた。そろそろこの義手も成長に合わなくなってきたようだ。

 そのことを悶々と考えながら、私は替えの寝巻きに着替えた。そのまま夜風に当たりたくなって、部屋の外に出る。中庭を見下ろすテラスは青い闇に包まれ、ほのかに肌寒い。


「……こんな夜にお散歩ですか」


 不意に話しかけられ、背後を振り向く。視線の先には手すりに凭れかかったクラエスがいた。

 闇の中でもその金髪は際立ち、さらさらと夜風に弄ばれている。普段は紐で纏められたその髪は、今に限ってはそのまま背中に流されていた。


「なんでいるのよ」

「そう言われましても、偶然私も外に出ていただけですよ。夜風に当たりに、ね」


 唇を尖らせた私に、クラエスは肩を竦めた。

 彼から距離を保ったまま、私はテラスに寄りかかった。空を見上げると、無数の星々が青白く瞬いていた。その灯りに照らされ、中庭の景色もほんのりと闇の中に浮かび上がる。

 闇に目が慣れたところで、私はクラエスに視線を据えた。口内に溜まった唾を飲み干す。


「率直に聞くわ。これからどうなるの? 兄さんは……」

「イェルド・ファランドールは先月末に休職届けを出した後、行方を晦ませています。いえ、正確には貴方に会った日以降、でしょうか。ですから、まずはその後の足取りを洗い出すところから」


 クラエスは澱みなく答えた。


「……見つけたら?」

「それは私が聞きたいですね。貴方はどうしたいですか、ユリアナ」


 彼の視線はまるで冷え切った刃物のようだ。私を現実へと隙間なく縫い留めてしまう。しかし彼の言葉は、まだ私にも選択の余地が残されているように響いた。


「そんなの分からないわ。私が決定を下すことのできる問題なのかしら」

「貴方だからこそ、ですよ。ヴィンセント殿が帝都を離れている今、一切の裁量は次期当主である貴方に委ねられている。たとえ法がイェルド・ファランドールを裁けなくとも、貴方が彼を裁かねばならない」


 私は言葉を詰まらせ、足許に視線を落とした。床に敷き詰められた白いタイルが、蜜色の月光を乱反射して淡く耀いている。その冷たい光に目を細め、私は寝着の裾をぎゅっと掴んだ。


「……まあ、そうですね。今すぐに下さねばならぬ決断ではありません。しかし、敵に弾丸を撃ち込むのは我々軍人の仕事ですが--貴方はその引鉄を引かせる判断をしなければいけない。有り体に言えば、イェルド・ファランドールを捕縛し投獄するか、禍根を残さぬうちに殺してしまうか、ということですね」

「殺す、なんて。酷いわ、そんな必要はあるの!?」

「わかりませんか? ファランドール家は世界最大規模の武器商人です。扱うもののリスクが大きすぎる。もしこの家督争いが拡大した場合、被害は甚大になりかねない。最悪、国を巻き込んだ戦争にも発展する可能性がある。……だからこそ、危険な芽は早急に摘まねばなりません」


 静寂に包まれた穏やかな夜に話すにしては、クラエスの言葉はあまりにも物騒だった。現実離れしすぎて、私には想像が膨らまない――そこまで考えてふと、本当にそうだろうか、と私は思った。

 良い例があのプラットホームで起こった自爆テロだ。あれがもし、私が到着するのを狙って兄が指示した物だったら――私一人を殺すために、沢山の人が死んだことになる。その事実を知覚した途端、指先が震え出した。足許がおぼつかなくなり、私は床上にへたりこんだ。

 目を瞑ると、あの情景が瞼の裏に鮮明に蘇ってくる。破裂音を立て、火粉と煙を撒き散らしながら空へと突き上げる炎。炎を前に、呆然と立ちすくむ人々。翌日の新聞に書かれた死亡者のリスト。

 ――あれが全て、私のせいだとしたら?

 偶然だと思っていたから、まだ心の抑制ができた。非情かもしれないが、仕方ない、これが運命だと思い込むことができた。けれども。


「っ、……」


 唇を噛み締め、私は床に両腕をついた。義手の接合部分が鈍く痛む。


「……そう。それこそが、ファランドール家の業なのね」


 クラエスを見上げ、よろけながら私は立ち上がった。口の中がからからに乾上がっている。胸の動悸が激しい。


「私はもう、ここから逃げられなくなってしまったのね……」


 ーーファランドール家は元々、ヨーロッパに礎を持つ一族だったという。

 それが遺失文明を生む切欠となった大戦で財を成し、疲弊した祖国を出て同時期勢力を強めていた帝国に落ち着いた。その異国の地でファランドール家が始めた商売が、いわゆる『死の商人』と呼ばれる武器商である。

 そしてファランドール家は商売によって、ここまでの繁栄を得たのだ。死の商売とファランドール家は表裏一体となり、決して切り離せない関係になった。帝国にも影響力を持ち、後継の私の命が狙われるとなれば皇帝直属軍が背後につく。後継争いが起きれば、武器が武装グループに流入して無用な争いが生まれる。

 つまり、ファランドール家の存在はもはやその当人たちの手に負えるものではなくなってしまったのだ。その行動は必ず別のどこかに影響を与える。――私は今まで、そのことにあまりにも無自覚すぎたのだ。そして同時に、この瞬間こそが、私がもう二度と、その責任から目を背けられなくなった瞬間だった。



 ◇



 明くる日、私は昨夜のクラエスの言葉について考えていた。

 要は彼が差し出した選択肢のことだ。兄を投獄するか殺すか。彼を見つけることも、捕まえることも、すべて皇帝直属軍が手段を整え、実行してくれる。しかし銃の引鉄をひかせるのは私の判断なのだと、彼は言った。

 勿論、そんなことを考えるのは嫌だ。人の生死を決められるほど、私は奢った人間ではない。しかし少なくはない犠牲が生まれている以上、私は“後継”として彼の処遇について考える必要がある。責任の取り方を考えなくてはいけない。――そうやって無理にでも前を向いていないと、気がおかしくなりそうだった。

 悶々と考えながら、私は日陰になったイーワーンの奥に引っ込んでいた。庭には未だ数人の軍人が警備のために残っている。クラエスは先程から不在で、代わりに少し離れた場所にヨルガが立っている。


「失礼、クラエスはいますか」


 ふと響いた声に、中庭への入り口へと視線を向ける。姿を現したのは、きっちりと軍服を着こなしたヒューだった。彼女の存在が知覚された途端、内部にいる軍人達が一斉に敬礼をする。


「クラエスなら先ほど出て行ったわよ。入れ違いになったんじゃないかしら」

「そうですか、ありがとうございます。……せっかく資料を持ってきたのですが、無駄足になってしまいましたね」


 そう言いつつ、ヒューは脇に抱えていた紙の束で顔を扇いだ。それから思い出したように私の元へと歩み寄ると、彼女はその書類を私に手渡した。


「大英帝国解放軍の人員リストです。うちの諜報が頑張ってくれました」

「……私が見ていいものなの?」

「問題はないでしょう。それに顔を覚えておけば、ある程度の危機回避もできるでしょうし」


 言われるままに、書類に目を落とす。ご丁寧なことに、大半の人々には顔写真がついていた。ほとんどが典型的な白人種で、街中にいても見分けることは容易そうだった。

 ぺらぺらとなんなしに紙を捲っている内に、私はふとした違和感を覚えて手を止めた。その頁をよくよく見て、掲載された写真と名前に衝撃を受ける。――アンジェリカ・フィッシャー。アラビア語で記載された名前の横には、美しい金髪の少女の写真がある。


「どうしましたか?」

「……いえ。なんでもないわ」


 ヒューの問いを流して、私は書類を彼女の手に返す。


「そういえば、貴方とクラエスって、元々は英国出身なのでしょう。同郷の人と争うことに抵抗はないの?」

「同郷、ですか。確かにそうですが、抵抗はありませんよ。……私たちの一族は少し特殊なので、むしろ、むこうから好んで争いと仕掛けてくるでしょうね」

「特殊?」


 ヒューは淡く笑い、薄水色のタイルを敷き詰めた壁に背を預ける。


「我々は裏切りのイーグルと呼ばれています。ご存知ですか?」


 そう逆に問いかけられ、脳裏に蘇ったのはいつかの父とクラエスの会話だった。

 あの時はそのことについて聞く余裕もなかったが、確かに奇妙な言葉ではある。裏切りのイーグル。――彼らは何を裏切ったというのだろうか。

 素直に首を横に振ると、ヒューは大昔の話なんですよ、と前置きをつけて語り始めた。


「イーグル家は元々、英国の“女王(クイーン)”と呼ばれる統治者に代々仕える一族でした。しかし英国と帝国の争いが始まり、その戦局が圧倒的劣勢であるのを見て、イーグル家は帝国のもとへと下ったのです。つまり我々の祖先は故国を裏切り、今に至るまでその零落を見つめてきたのですよ」

「……予想以上にひどい話ね」

「私もそう思います。……裏切りのイーグルは、その後帝国で独立型の治安維持組織を築き上げます。それが皇帝直属軍の前身。だからこそ、皇帝直属軍の頭目は代々イーグル家に引き継がれるのです」


 国を売り、帝国で地位を得た。結果的に現在の英国の零落ぶりと見れば、そのイーグルの判断は正しかったのかもしれないがーーやはり聞いて気持ちの良い話ではなかった。

 そこでふと、私は疑問が浮かぶのを感じた。皇帝直属軍の頭目の座がイーグル家の受け持つものならば、何故ヒューがそれを引き継いだのか。順当に考えれば、直系で男子であるクラエスが継ぐはずだ。

 しかしそれを聞くことは憚られて、私は戻ってきたクラエスの元に向かうヒューの背を見送ることしかできなかった。

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