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Lost Corner  作者: 八束
クテシフォン騒乱
11/42

(2)

 クテシフォンは帝都でありながら、一見さほど美しい都市ではない。無骨な外壁が円形に取り囲むそこは、日干し煉瓦と土で固められた壁と壁が密集し、人が通るのがやっとと言うほどの道が複雑に交錯している。路地に一度迷い込んだら、大通りに出ることは至難の技だ。見通しも悪く空も狭いクテシフォンは、だからこそ軍事的要塞としての価値も高い。


「……さて。ファランドール家はどこでしたっけ」

「偉そうに言っておいて把握してないの? こっちよ」


 表面上は何もなかったように私は振舞った。あの自爆テロの光景はさすがに心中で尾を引いていたが、クラエスに弱みを見せる気には絶対ならない。

 私達は大通りから狭い路地に入った。迫りくる壁と壁には、剥がれかけたアラベスクが残っている。薄暗い道を複雑に行き来しながら、実家を目指す。足取りは重かったが、それでも行かざるを得なかった。クラエスはきっと逃がしてくれないし、このまま逃げても私の命はきっとカナン同胞団に狙われるのだろう――だとしたら、なるべく降りかかる火の粉の出元については知る必要がある。以前と比べ、その程度には私は現状を前向きに捉えられていた。

 一つの扉の前で私達は立ち止まった。このあたりは富裕層の家が立ち並ぶ一帯だったが、その中で他と一線を画すかのような白い壁と扉は、見間違いもなく私の家の物だ。扉についた金具に手をかけ、音を鳴らす。


「……誰も出てきませんね」

「うちには使用人がいないから。反応が無かったってことは、勝手に入っていいってことよ」


 軽い受け答えをしながら、私は扉を押した。

 まず視界に入ったのは、直角に折れ曲がった小さな道だ。所謂玄関的な役割を果たしているのだが、人の影は見当たらない。そのまま進んで道を出ると、私たちはこの家の中枢である中庭に出る。

 目に飛び込むのは、今までの鬱屈とした街並みからはかけ離れた世界だ。広々とした中庭に、それを四方に取り囲む二階建ての建物。

 眩しいほどの日差しが潤沢に中庭へと降り注ぐ。そこは青と白を基調としたタイル細工で美しく彩られ、大きく傘を広げた木々が青い木蔭を作っている。久々の実家の光景に目を細め、そこでふと、私は中央に設えられた噴水の前に誰かが佇んでいるのに気がついた。


「帰ってきたのか」


 その存在に気づいた瞬間、私はびくりと体を震わせた。

 そろそろと顔を上げる。視界に入ったのは、長身の青年だった。光を受けて艶めく、長い黒髪。整った顔立ちはどこか冷たい印象を持たせ、切れ長の青い目は剣呑に私を見つめていた。

 ――イェルド・ファランドール。正真正銘血の繋がった、私の兄だ。


「……兄さん」

「今更何をのこのこと。出戻りか? お前は成績だけが取り得だったと思うが」


 帝国官僚の制服に身を包んだ兄は、平坦な声で私に語りかける。その平淡な視線を受け、私は何と返すべきかも分からず口の中に唾を溜めた。じわじわと緊張が指先にまで張り巡らされてゆく。その言葉を聞くに、多分兄は今回の事情を知らないのではないか。おそらく仕事で家に立ち寄っただけだろう。


「――兄さんには関係ないわ」


 だから私は冷淡に言葉を返した。その答えは兄の意に沿わなかったらしく、彼は眉を顰める。

 クラエスに肩を押され、私は兄の横を通り過ぎた。その間兄は沈黙したまま、私を見下ろしているだけだった。ぴりぴりと皮膚を刺激するような居心地の悪さが、身に纏わりつく。

 ――兄との仲は、もうずい分と昔から悪いように思う。

 切欠は覚えていない。ただある日突然、彼が私に対して冷淡な態度をとり始めたことは思い出せるので、そこから私たちの溝は広がり深まったのだろう。今まではヨクトシアが私と兄の間の緩衝材になっていたが、その彼も今は遠い存在になってしまった。彼の謀反容疑を兄が知っているか分からないし、口にして良い話題かどうかすら私には判別がつかない。悶々と考える内に、じわじわと悲しみが心に染み渡った。ここは私の実家であるはずなのに、ひどい孤独を感じる。

 私は気を取り直すように、俯きかけた顔を上げる。足は自然と、父のいるはずの客間へと向かっていた。


「――来たか」


 中庭からまっすぐ、四方を取り囲む建物の一階にある客間に入ると同時に、何の前触れもなくその声が降りかかった。

 上等のペルシア産絨毯を敷き詰めた部屋。布を金糸で刺繍した肘置きに寄りかかった男は、無感動に私を視界に収めていた。――兄のことは一旦忘れよう。私が本当に会わなければいけないのは、今目の前にいるこの男だ。


「ただいま戻りました。……中庭で兄さんに会いましたが」

「あれは仕事でこちらに立ち寄ったようだ。――何はともあれ、長旅ご苦労だった。ユリアナ」


 労いの言葉にそれらしい温度は伴われていない。男の視線は、すぐに私の背後に立つクラエスへと向いた。


「お初にお目にかかります、ヴィンセント・ファランドール殿。お察しかと思われますが、私は今件についての皇帝直属軍からの使者にございます。名をクラエス・イーグルと申します」

「イーグル? ほう……あの裏切りのイーグルが、わざわざ足を運んで来るとはな」

「昔の話です」


 男――父は、何故かクラエスの言葉に皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 父は煙管を台に置くと、紫煙を口から吐き出した。寛いだ態度を取る父だが、そこから放たれる威圧感に私は一向に慣れない。血を分けた存在であっても、私の中で父の位置づけは畏敬のそれだ。


「まあよい。ユリアナ、お前も面倒なことに巻き込まれたものだな。しかしそれがお前の宿命だ」

「父様。私は……」

「この家に生まれたからには、ろくな死に方をできるとは思うな」


 その言葉に、私はぎゅっと心臓を掴まれたような心地がした。


「ファランドール家であることに、幸福はない」


 ファランドール家。

 それは私にとって最も忌まわしく、しかし切り離すことのできない名だった。ファランドール家はほんの百年ほど前、私の曽祖父の時代から急速に帝国での勢力を強め、今では帝国政府に対しても影響力を持つという。表向きにはただの成り上がりの商人だ。――そう、表向きには。


「ファランドール家よりほかに、遺失技術分野において及ぶ勢力はない。我々はそのために帝国に貢献を続け、今の地位を築いた」


 父の言葉には愉悦が滲んでいるようだった。しかしその双眸には暗い翳が見え隠れする。

 ふいに背後で空気が揺れ動き、長い金髪が視界に入った。クラエスが、私の一歩前に踏み出したのだった。


「御託はいい。ファランドール家の表の栄光など、所詮仮初めに過ぎないででしょう。貴方がたのしていることは」

「……死の商人」


 私は囁くように言った。クラエスが振り返り、静かな目線が私に据えられる。

 彼の白い喉を視界に、死の商人よ、と私は念を押すように言った。――知らない訳がない。クラエスだってそうだろう。この場にいる人間は同じ情報を共有していながら、何故わざわざ勿体振った言い回しをするのか。

 死の商人、それこそがファランドール家の業。

 遺失技術の中で最も価値があるもの。それは武器であり、兵器だ。ファランドール家はその技術を発掘し、独占することで莫大な利益を得ている。その事実だけは、私は繰り返し父に聞かされていた。これがお前の生家なのだと。

 クラエスはすぐに父へと向き直った。そして、平坦な声で言葉を続ける。


「安価な銃弾から、ウラン濃縮技術に至るまで、貴方達の手中にあるものは計り知れない。そして貴方達は分け隔てなく、正規軍から移民の末端にまでそれらを売り捌いている」

「イーグルの青年よ、貴様に批難される覚えはない。戦は人の性だ。帝国は争いがその意義だ。貴様はその一つの歯車に過ぎない。そして我々は、それに手を貸しているに過ぎない」


 父が深く息衝く音が聞こえた室内に満ち満ちる空気は殺伐として、皮膚にぴりぴりとしたものを感じる。

 私はうな垂れ、彼らの会話を聞くばかりだった。――知ってはいる。知識としてならば、私はファランドール家の真実を知っている。しかし同時に、それは何よりも認めたくない物だった。


「ユリアナ。こちらを向きなさい」


 その言葉に促され、私は面を上げた。


「お前を呼んだのは他でもない。後継問題のことだ」

「……私があの遺構の管理者に指定されていて、なおかつファランドール家の後継者になっている、という話ですか」

「理解しているのなら話は早い。あの事故がなければ、女であるお前にそのような業を負わせることも無かった。順当にスヴェン、そうでなくともイェルドになるはずだった」

「――あの事故がなければ?」


 あの事故。――あの事故? それはきっと、十年前の遺構爆発事件のことだろう。父は眸を歪め、覚えていないのか、と囁くように言った。

 それは惜しむような、そして父にしては珍しい、どこか同情的な声音だった。


「十年前、かの地で起きたことの全貌は私にも分からない。あの場にいた者しか分からぬのだ。お前のもう一人の兄――スヴェンはかの地で死んだ。管理者権限をお前に書き換えて」

「兄さんは、あの事故で亡くなったのですか……?」

「そうとしか言えぬ。あの事故は凄惨だった。研究員は全滅した。生き残ったのはただ二人。イーグルの娘と、お前だけだ」


 父の口から滑り落ちたその言葉に、私は目を見開いた。

 ―――生き残った。

 先ほどの発言といい、どうやら父は私の知らない事情を知っているようだ。あの十年前の事故に私がいた。勿論、そんな記憶はない。だって私はあの頃四歳のはずで、ただでさえ危険な遺構にいるはずがないのだ。

 私の記憶に、何か欠落している部分でもあるのだろうか。反射的に嘘だと口にするが、私の胸はざわついていた。それはまるで、あの悪夢から目覚めた直後のような。


「……私はこの家が存続すればいい。性別には拘らぬ。ユリアナ、お前には悪いが、この業は背負ってもらう」

「……背負う、なんて。……こんな家、私は滅びてしまえばいいと思っています」

「それをお前が口にするか、ユリアナ? お前の今までの生活はどのようにして成り立ってきた。お前の学費は。衣服は。食事は。恵まれたこの生活は。この国は実力主義だ。それは言い換えれば、実力の無い者にとっての地獄だ。彼らを喰い物にして、その屍を踏みしだきながらお前は生きている。喜ぶがいい、その中でも最も穢れた台に私達は立っているのだ」

「それを許容しろと仰るのですか。ならばなぜこの家を存続させるのですか。こんな家、私は認めたくはない! 私はここに生まれたくなどなかった!」

「ならば認めろ。許容しろ。目を塞ぐことを許しはしない」


 その瞬間、私は口汚く彼を罵ろうとして、クラエスに肩を掴まれた。彼の瞳は湖のような静けさに満ちて、何も語らず私を見つめている。


「……ヴィンセント殿。我々皇帝直属軍にとって、いえ、帝国にとって、ファランドール家は存続して頂かねばなりません。しかしこうして今になって、後継という事実を少女に突きつけるのは如何な物かと。貴方はファランドールの後継として、彼女を育てるべきではなかったのか」

「まさか。子供には子供であるべき時間が必要だ。ユリアナ、お前はその美しい瞳でお前の家を、ファランドールを蔑め。そして何時かは知る。ファランドールは必要悪なのだと」


 そう言った父の口元は、薄く歪んでいるようだった。



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