プロローグ
ある昼下がり、都会の中では珍しく人気の少ない路地で天崎神斗は年上の女性と共にいた。相手は二十くらいだろうか?おとなびた顔立ちだが雰囲気はまだ学生の青さが抜けきっていない感じだ。
神斗は知的ささえ覚える顔立ちに黒みがかった銀髪に勾玉を象ったネックレス、一八0センチの身長で遊人だ。さらにこの髪は自毛なのだがどうしても不良に間違えられる時が度々ある。運が悪い時は警察に職務質問をされる時がある。神斗は外出の際、殆ど制服だ。胸元から大きく空いた藍色のブレザーにワイシャツとネクタイ、黒のズボン。あまり格好よくは思わないが自分にとってしっくりくる格好なので愛着している。
神斗は彼女の腰に手を回すと人の少ない路地とは逆に栄えた表通りに出る。薄暗い路地と違い太陽を直接浴びるためいきなりの明暗の変化に神斗は目を細める。さらに混ざり合って何を言っているのか聞き取れないくらいの人の会話が耳を打つ。しかし、神斗はそれを嫌に思うことはなくむしろ好きだとさえ思う。
「どこに行く?」
リードするかのように優しく問いかける。相手は、どこに連れて行ってくれるの?と聞き返してくるので空いている手を自分の顎に沿え、んー、と考えるフリをする。神斗としては既に行く場所は決まっていた。
無難に水族館でも行くか。ショッピングだと余計な出費になるだろうし。
神斗は冷めた気分を隠しつつも水族館に行く旨を伝える。
決して恋仲というわけではなく、たまたま逆ナンされてそれを了承しただけのことである。彼女のほうから少し遊ばないかと言ってきたので向こうもその気は最初からないのであろう。神斗は遊人だ。最低限のコストで最大限に楽しむというのがモットーである。
水族館に入るといきなり大きな水槽に入った巨大な魚が出迎えてくれる。さらに周りにある中くらいの水槽で飼育されている色鮮やかな魚たちにも彼女だけでなく神斗の目も釘づけにされていた。水族館にしては珍しくBGMがなく、静かに鑑賞ができるようになっていた。ぞれでも人の会話がほとんど聞こえてこないのはここの水族館に圧倒されてのことだろう。
たまにはこういうのも悪くないか。
冷めた心に暖かさがこみ上げる。最初は暇つぶしのつもりでデートスポットの定番を狙ったのだが予想外にも楽しんでいる。
不意に時計に目をやるとかなりの時間が過ぎているのに気づく。周りを見ても人は少なく、閉館まで時間も迫っていたため、二人は水族館を出る。すると彼女の携帯が見計らったかのように鳴り響き、いくつかの会話の後、そのまま別れることになった。なんでも、これから仲間同士の飲み会だそうな。
いきなり手持ち無沙汰になった神斗は行きつけの雑貨屋に足を運ぶ。そこは幼い頃からよく通っているので店主の爺さんとは親しくまた古くて小さい店なのであまり新しいもので溢れかえっていることもなく落ち着ける場所でもあった。
「爺ちゃん、いる!?」
奥まで聞こえるように声を張り上げる。すると、はいよぉ。と返事とともに小さい爺さんが襖の奥からゆっくりと出てくる。もうかなりの歳ではあるがいつもニコニコしていて人を笑顔にするのが得意な爺さんだ。腰はほぼ直角と言っていいほど曲がっていて頭のネジも外れかかっているが。
「おお、神ちゃん。」
神ちゃんとは神斗のニックネームである近所の人は昔からそう呼ぶ。
爺さんが神斗の前まで歩いてくるとうんうんと頷く。
「大きくなったのぉ。何年ぶりじゃ?」
と一言。
しかし、腰の曲がった爺さんが神斗の顔を普通に見ることはなく、自然に神斗の下半身に話しかける形になる。
俺の顔はそこにねえよ。
神斗は肩をすくめた。
「爺ちゃん少しは顔を上げようよ。それに三日前にも来てるからね。」
少し離れてしゃがみながら目線を合わせる。お年寄りということもあり、ゆっくりと聞こえるように話す。
「そうかい。そんなに経つのかい、ゆっくりしていってね。」
こちらの話はほとんど聞いていないようだ。さらに言い残すと再び襖の奥に入っていってしまう。
俺一応客なんだけどなぁ。
とりあえずぼやいても仕方がないので店の中を見て回ることにした。まずは駄菓子のコーナーに目を通し、お気に入りのチョコ菓子を何個か取った後お金をレジの前に置く。
この店は創設五十年くらいになる。店の雰囲気は当時と変わっていないらしく、周りと比較すると随分古く感じる。店自体が木造のため柱などに大小様々な割れ目が入っていて貫禄すら感じる。とは言っても湿気の臭いが気になるのは否めないのだが。
ん?
図書コーナーの前を素通りしようと神斗は不意に足を止めた。
「こんな本この店にあったか?」
一つしかない本棚にびっしりと詰まった様々な本。その中で一冊だけ異彩を放つものが置いてある。見た目は随分と古そうな本で昔からあったにしては今まで置いてあったのを見たことがない。それに幅はおそらく五センチ以上はあるため幼い頃からの常連である神斗が気付かないはずがない。それに先程から嫌な寒気さえ覚える。まるで見てはいけないかのような感覚に陥りそうになるが面白そうという興味本位も見え隠れしている自分がいることを神斗は自覚している。
とりあえず手に取ってみると見た目以上にずっしりしていて驚いた。嫌な予感は少しづつ強くなっていき、決して暑くもないのに汗が頬を伝う。
意を決して表紙を見る。
『開いちゃダーメ☆』
と書いてあった。
神斗はどうやってこの本を始末しようかと考えた。が、一応中を見てみようと表紙をめくった途端、信じられないことが起きた。
時刻は少し遡る。
暗い空間の中にひとつの光が照す。まだ昼間だというのにカーテンを締め切り、かすかに光を出すものでさえ布をかぶせて光の行き先を塞ぐ。ひとつだけ光っているのはノートパソコン。それを覗くのは、芽狂咲だ。勉強机に座り、彼女は目を見開き、口は裂けるくらいまで吊り上げ不気味にヒヒッと笑いながら熱心にネットゲームをしている。彼女の笑いにパソコンの光が当たり、彼女の恐ろしさがひときわ増す。
「さあ、みんな城を落としましょう。大丈夫。敵はみんな私が殺すから。」
再びヒヒッと不気味に笑いながら一人でつぶやいている。
パソコンにはテレビゲーム用のコントローラーを繋いで先程から忙しなく指を動かしている。内容は最近発売したばかりのアクションRPGだ。彼女は絶賛廃人ライフを楽しんでいる。そしてひときわ強くコントローラーのボタンを弾くと次の瞬間にはゲームクリア!と画面に映し出される。
「キル数はやっぱり私が一番ですね。」
にやりと笑いながら携帯を取り出し時刻を確認する。
お昼ご飯まだ食べてなかったわ。
咲は席を立つとドアにかかっているカーテンを強引に取り、ノブを回して部屋を出る。
「あら、咲。お腹すいたの?」
そこで偶然にも咲の母と出会う。
「お昼、まだだったから。」
咲の顔には先ほどの不気味さはない。それを見れば彼女はどこにでもいる普通の女子高生に見える。咲の母は彼女の不気味な笑いを知らず、咲もそれを隠している。知っているのは同じ学校のほんのひと握りの生徒だけだ。まさか自分の娘が病んでいるだなんて思いもしないだろう。とは言っても咲自身は自分のことを病んでいるだなんて思ってるわけでもなく至ってごく普通の性格だと自負し、ただ、ほんのたまに変な笑い方をしているだけくらいにしか思っていない。
「あなた、またそんな格好してるの?」
母は眉を寄せながら聞いてくる。
咲は今、黒に青のラインが入り、フリルがついたドレス。いわゆるゴスロリの衣装を身につけて黒のハイニーソを履いていた。漆黒の腰まである髪は紫色のシュシュで首のところで一本に縛っている。
「これ結構動きやすいよ?」
微笑みながらクルリと見せるように回る。あまり身長が高くない咲にとってはとてもぴったりな衣装だ。衣装からは大きな谷間が覗いている。
「まあいいわ。ご飯用意してあるから温めてから食べなさい。」
「うん、ありがとう。お母さん。」
軽やかに廊下を歩いていると、そうだ。と母が思い出したように咲を呼び止める。
「母さんこれから少し出かけてくるわね。」
と玄関に向かって歩いていく。
「うん。いってらっしゃい。」
一人になってしまった咲はふいに表情を落とすがすぐに取り戻し、キッチンに向かう。テーブルに用意されていたのは焼き魚を中心とした料理だった。レンジで温め直し、取り出すとふわっと食欲をそそる香りが湯気となって広がる。
一人で席に着くと黙々と食べ始めるがあまり美味しくない。味が悪いとではなく、一人で食べていることで母の料理を美味しく感じなくなってしまっているのだと、どうしようもないことに咲は気付き、一度箸を置く。
仕方なくテレビをつけて食事を再開する。テレビの音が聞こえてくる分先ほどよりはマシになった。
ふと、窓の外を見るとどこの学校かはわからないが制服を着た男子が家の前を歩いて通り過ぎていった。
喉渇いたなあ。
男子の首筋、ちょうど頚動脈がある部分を見て思った。おもむろに立ち上がり、冷蔵庫からトマトジュースを取り出してコップに注ぐと席に座り、食事を片付け始める。
「ごちそうさまでした。」
食事を終えると洗い物を済ませ、再び部屋に戻る。
その時、家のインターホンが鳴った。咲の家のインターホンは一度押すと勝手に四回もなるようになっているため少々鬱陶しく感じ、一人しかいない咲にはいつもより音が大きく聞こえた。
「はーい。」
ドアの穴を覗くと配達の人が薄く汗を流しながら立っており、手には幅三十センチくらいのダンボールがある。
咲はハッとなって勢いよく玄関のドアを開ける。配達の人は驚きつつもサインくださいと咲の家住所が書かれた紙を律儀にも差し出される。咲はそれにサインをするとかっさらうように受け取り自分の部屋に駆け足でもどる。先程までの寂しさが嘘のように消え、今は心が部屋へ向かう足取りのように軽かった。
咲の両親は両働きであり、残業などが多かったため一人っ子の咲は小さい頃から一人で食事をとることは珍しくもなかった。しかし、日に日に寂しさは増していき、母に仕事に行かないでと泣きついてしまうことが何度もあった。母はそれを受け入れてくれることはなく、ただごめんね。と言って家を出て行くだけであった。
そんな時、たまたま父がゲームをすることが好きだということもあり、いつもは興味を示さなかった咲だがふとスイッチを入れてプレイしてみると思った以上にはまってしまった。その時にプレイしたが年齢にふさわしくないゾンビを狩るアクションゲームで普通の子供なら即号泣間違いないのだが、咲にとっては寂しさを紛らわす物以上に面白く感じたのだ。スリルとミステリーが満載のストーリー、リアリティのあるゾンビ、どこからでも飛び出す血しぶきは咲の空っぽにも近い心を満たしていった。
それ以降はあらゆるジャンルのゲームに手を出すようになり、今では休みの日はほとんど積んであるゲームの消化に勤しむ毎日である。
「やっと届きましたね。ヒヒッ。」
先ほどとは口調が変わり、丁寧ながらも恐ろしさと不気味さを感じさせる。
カエルを睨んだ蛇のようににやりと笑いゆっくりと、それでいて手際よく、ダンボールの蓋を止めているガムテープをはがす。通販で物を買ったときおそらく誰もがこれを一番に楽しむだろう。蓋を開けると、大切に収納されたであろうゲームソフトが鎮座している。咲はゆっくりと持ち上げるとその豊かな胸で抱きしめる。ゲームソフトの一つ一つが宝物、そう思うのが咲であり、今まで集めた物も重宝している。
?何かしら。
ふと、箱の中を見ると奥にまだ何かあるように見える。先程まで入っていたゲームソフトの型をしていたダンボールを取り出すと、そこには大きくそれでいて分厚い古書が眠っていた。
「こんなもの頼んだ記憶はないのですが。」
手にとってみると見た目よりもずっと重く、うっかり落としそうになる。
「随分と古いですね。面白い事が書いてあるといいんですけど。」
表紙をめくった咲は驚くようなことが起きた。
再び時刻は遡る。
そこは頭がいいと評判のとある有名な学校である。
そこの屋上で授業をサボっている女子高生、浅風八重が読書をしていた。今は自習のため教師はいなく、授業の終わりまでに教室に戻れば何も言われることはなく、今戻ってところで教室は閑古鳥が鳴いているだけであろう。
ふぅ。面白かった。
パタンと本を閉じるとんんっと伸びをして固まった体をほぐす。放課後まであと三時限目分残っているが、全て出る気は八重には既になかった。
八重は立ち上がる。ショートの茶髪で前髪をピンで左右に止めている。白く少し大きめのキャミソール、肩の部分は紐ではなく布で紐より幅は広い。水色のスカートで丈は膝より少し短く、両膝には黒いゴムの膝当てをつけている。制服の規制がないためあまり服装については注意されることはない。
ポケットに入っている携帯で時刻を確認するともうすぐ予鈴が鳴る頃だったので階段を下りていく。
そろそろ夏が本格的になりそうな季節のためそろそろ中で過ごすべきかなとうっすらと頬を伝う汗を拭い教室に向かう。
すると、誰かの声が聞こえてきたのですぐに柱の陰に隠れる。生徒に見つかるならまだしも教師に見つかるようものなら減点は免れない。息を潜めてその場をやり過ごすと通り過ぎって行ったのは案の定教師であった。
軽い冷や汗を掻きながらなるべく足音を立てないように駆け出す。教室に入るとまだ担当の教師が戻ってきていないのでそっと胸を撫で下ろす。
次は体育のようだが八重は体操着ではなくカバンを取ると学校を後にする。実際校門から出るまで油断はできなかったが、それは単なる杞憂で終わり教師どころか生徒一人会うこともなく出ることができたのだがあまりの静けさに少し気味が悪かった。
ともあれ、八重は校門を後にし家に向かうではなくむしろ真逆の方へ足を向ける。その方向にはアクセサリーを売っている通い付けの店があり、よくいろんなもの買ったりしている。
昼間ということもあって人の足取りが多く、すれ違いざまに何度かぶつかりそうになるがその度に八重はひらりと避けて歩みを続ける。あまり人と話したりしない八重にとってはこの通りは少々騒がしく感じてしまい自然と眉をいぶかしめる。
無心に人との衝突を避けていると目の前に通い付けの店が見えてくる。
ほっと息を整えつつ自動ドアをくぐると明るい雰囲気とポップなBGMが八重の心を満たしていく。深呼吸一つすると店の奥に歩を進め、お気に入りのブレスレットが置いてある棚の前につくと一つずつ見て回る。めぼしい物を見つけると自分の腕に付けるを繰り返すだけなのだがこれが意外に楽しい。八重は気に入った物をレジに持っていき会計を済ませ、店を後にする。
たまにはペットショップにでもよってみようかな。
ペットを飼っているわけではないが人間誰しもペットショップの動物たちに癒されたことがあるだろう。
近道をしようと狭い路地に入る。そこは表通りとは全く違い、薄暗さと静寂が支配している。夏入り前だというのに若干の寒気さを感じ、八重は自分の体を一度強く抱いた。
どうもこの雰囲気は苦手である。
周りを警戒しながら進んでいくと、奥の暗闇から笑い声が聞こえ、八重の方へ向かってくるようだった。おそらく三人ほど。
声が壁と反射して距離があるというのに耳が痛くなるくらいに響く。歩を進めていると声の主たちの姿が見えてくる。三人は柄が悪い上に体型ががっしりしていて服の上からでも鍛えられた筋肉が見えていた。三人は八重の姿を認めるとにやりと笑い、囲んでくる。
「君、一人?よかったら俺たちとこの先で遊ばない?」
八重は柄の悪い三人を鬱陶しそうに見る。
「結構です。急いでいますんで。」
三人の間を通り抜けようとすると一人がすかさず隙間を埋めるように立ち位置を変える。
「そうつれないこと言わないでさぁ。」
にやりと張り付くような笑みを浮かべたまま三人のうちの一人が八重の方を掴む。
途端、八重はは目にも止まらない速さで肩を掴んだ男のミゾに拳をねじ込んでいた。男は声を上げることなくその場で崩れ落ち、気絶し八重はそれを冷たい瞳でただ見つめていた。
「て、てめえ!」
もうひとりの男が反撃にかかろうとするが出来なかった。八重の冷たい視線に動くこともできなければ声を出すこともできなかった。この空間が凍結してしまったような錯覚を男たちは覚えた。故に八重の底のない視線になすすべもなかった。
「どいてください。」
一言。
それだけで男たちは壁に吸い付くようにして八重に道をあけた。八重はその道をただ無言で通り過ぎる。男たちは彼女が見えなくなるまでその場を動くことはできなかった。
路地の角を曲がってすぐに八重は壁に背を預け、深呼吸を繰り返して興奮をなんとか抑える。
「怖かった。」
いつの間にか足も震えている。八重はその場でかがみ、膝ごと自分の体を先ほどより強く抱いた。
勉強とスポーツが万能な八重でも流石に不良を相手にするのは恐怖を抱かざるを得ない。今回はうまくいったがもし失敗していたら自分はどうなっていたか、考えたくもない。
路地の薄暗さが余計に恐怖を掻き立てる。
さっさと出よう。
恐怖ですくむ足に鞭を打って立ち上がり、行き先に足を向ける。早く出たいと気持ちが訴えても先にある小さい光が出口はまだ先だと伝えてくる。
すると、コツっとつま先に何か重いものに当たりつまづきそうになる。下を見るとそこには分厚い本が置いてあった。
誰のかな?
置いてある状態でページを開くと信じられないことが起きた
同時刻。
『汝、
我らが力を
汝のものとしすべてを捨て
すべてを受け入れて
世界の中心へと
登りつめたまえ。』
分厚い本のページが勢いよくめくられ、頭の中に誰のかわからない声が三人の脳内に流れ込み、いつの間にか足元には魔法陣のような紋章が浮かび上がっている。
次の瞬間、三人の存在が消えた。