用はないという用がある
セルマはエミディオの研究所に住み込みで働くことになりました。実験室は広くて奇麗で設備は整っているし、セルマ専用のデスクは大きくて本棚も沢山あり、居住スペースはとても広くて豪華でした。豪華以外にも言葉はありますが、セルマが言葉を尽くしてお礼を言ったところ、息継ぎができない位長い文になってしまい、エミディオに笑われてしまいました。
研究所で働いて2週間、セルマは姉の結婚式用の香水を完成させました。その香り成分の防虫効果についても仮説を立てました。これから検証作業にはいります。姉の結婚式を終えてからもすぐに研究所に戻って、自分の好きな研究ばかりしていました。
食事の準備や洗濯など生活のことはエミディオが雇ってお手伝いさんが全てやってくれます。おいしいお粥や蜂蜜入りのパン、豆腐の麹漬けなど、セルマの好きなものを栄養バランス良く用意してくれます。洗濯も、どんなに白衣を汚しても、真っ白にして持ってきてくれます。
研究所に来て3ヶ月目の深夜、セルマは幸せな気分で、天蓋付きのベッドに横になりました。ふかふかの布団の中で、今日思いついた『ケーキが膨らむ理由』を、何度も何度も頭の中で繰り返してにやにやしていました。
すると、いつの間にか、ベッドの隣に誰か立っています。夜中にやってくるのは、エミディオくらいしか知りませんが、エミディオとは背格好が違います。エミディオはがっちりした騎士のような体型ですが、ベッドの隣に立っているのは、しなやかで線の細い黒い影です。
「こんばんは、私に何か用ですか?」
「いいえ、あなたに用はありません。ない予定でした」
黒い影は男の声で答えます。セルマは訳が分かりません。
「どういうことですか、教えてください」
セルマが尋ねると、黒い影はくつくつと笑いました。
「なぜ君のような小娘が研究所にいて、かの貴人の寵愛を得ているんだろうか」
「私は見た目は8歳ですけれど、頭の中は80歳くらいの知識が詰まっています。沢山勉強しましたから。私は知りたい事が沢山あったので、この研究所に来たんです」
「じゃあ、なぜかの貴人に愛されているんだろうか」
「私は両親や兄姉たちにきっと愛されていますけれど、貴人というのは誰のことですか?」
男はくつくつと笑いました。
「自分が言う貴人というのは、この国の王子のことだ」
「私は庶民で、王族に会った事がありませんから、よくわかりませんけど、王子が国民を愛するのは、普通じゃないのですか」
「ふむ、なるほどな。君の言うことは理解できそうだ。まあ、また今度、会おう」
黒い影は、それだけ言うと、窓から出て行きました。3階建ての3階の部屋でしたけれど、セルマは別に驚きませんでした。黒い影から光る糸がのびているのが見えたからです。きっとワイヤーか何かでしょう。セルマは何となく、部屋の外へ出てみることにしました。
セルマにとってマジックはタネがあって当たり前。俄然探すのに夢中になります。
けれど、幼少期のセルマが特に興奮したのがトリックアート展。もちろん企画者はセルマの父。愛情と商魂です。