ようこそ、爆発小屋へ
魔法や呪いはおとぎ話の世界に存在するもので、現代社会には存在しません。大人なら誰もが知っている常識です。そうなると、セルマはどうして成長しないのか? 主治医は未知の病気だろうと言いました。 けれど、何か症状があるとか、精神の発達が他の子と違うとか、そんなことは一切ありません。
よく分からないけれど、可愛い我が子。両親はセルマの存在を隠しつつ、親戚の子として連れ歩き、セルマの好きなように生活させました。
その結果が、爆発小屋なのですが。
ある夜、その爆発小屋で、セルマは実験の後片付けをしていました。新しく作ってもらったガラスの蒸留器で、花の香り成分を抽出していたのです。高価なガラスの実験器具は、形が複雑で、洗うのもすすぐのも一工夫いるので、片付けは深夜まで続いていました。
花の栽培から収穫、抽出、精製に10時間かかった今回の実験は、セルマにとって大成功でした。芳香油が予想の倍以上もとれたのです。今後、これ以外の花の香り成分もいくつか抽出し、混合して希釈したものを香水として姉の結婚式でプレゼントする予定でした。
ところが。
流し台でガラス器具を洗うセルマの背後で、不穏な音がしたのです。
ガラスの瓶が割れる音。はっとして振り返ると、見知らぬ成人男性が、割れたガラスの破片を見て、おろおろしているのです。今回とれた芳香油は3本の茶瓶に分けて入れていたのですが、それが3本とも、割れていました。
「あの、……その、えっと……ご、ごめんね?」
何で疑問形なんだよ! と心の中で突っ込みながら、セルマは片付用ヘラを手に持ちました。セルマが割れた瓶を片付けようとしゃがみ込むと、男もしゃがみ込んでガラス片を素手で集め始めました。
「触らないで。芳香油は濃すぎるから、肌につくとかゆくなるよ」
セルマはアルコールをつけた布巾を渡して、指を拭くように言いました。男はごめんなさい、と謝ると、黙ってセルマがガラス片を片付けるのを見ていました。
「あなたがどうしてここにいるか知らないけれど、用があるならドアをノックしてから入ってきて」
集めたガラス片を大きなヘラに載せてガラス用ゴミ箱に入れると、セルマはアルコールをかけてヘラの細かいガラスを洗い流しました。
「君は、驚かないし、怖がらないし、僕に向かって『二度とくるな』とも言わない。なぜ?」
セルマはヘラを流し台に置くと、男を見て、ちょっと考えて、言いました。
「そりゃあ、もちろん、あんたが面白そうだからだよ」
わざと芝居がかった物言いをして、セルマはちょっと笑ってみました。まるでおとぎ話の老婆か魔女みたい、と思いながら。
芳香油はいわゆるアロマオイルやエッセンシャルオイルのこと。芳香油は水蒸気蒸留法を使っています。2回くらい精製してるかも。
余談、セルマのお気に入りの童話は『ヘンゼルとグレーテル』