事の全て
「ど」一瞬、息が詰まった。「どうして、そう思うんですか?」
「靴ですよ」
ユリアは自分の足元を見た。ごく普通の、女性物のスニーカーだ。
「いえ、あなたのではなく、ご主人のです」
コープがアルベルトの足元に視線を向ける。ユリアもそちらを見た。
アルベルトの両足には、あの日履かせたかんじきが今もあった。
「かんじきが、どうかしたんですか?」
「ご主人がいなくなった日のこと、覚えていますか?」
コープはゆっくりと、ユリアを振り返った。感情に乏しい表情だったが、どこか悲しげだった。
「ご主人が最後に目撃されたのは、午後6時。しかし、そのときはまだ、雪は降っていなかった」
あっ、とユリアは思った。コープは続ける。
「しかも、ご主人が出掛けたのは朝9時です。何のために、かんじきを履いたのでしょう?」
だがユリアは、すぐに反論した。
「午後6時に、バス停で目撃されたんですよね? なら、一度家に帰って、履き替えたのかも知れません」
「ええ、確かにその可能性はあります。ですが奥さん、それならば、何故あなたはご主人の帰宅に気がつかなかったのですか?」
「!」
しまった。ユリアは慌てたが、もう遅かった。コープは無表情で続けた。
「ご主人がかんじきを履いていること。あなたがご主人の帰宅に気付かなかったこと。この2つは明らかに矛盾する。しかし、ご主人は現にかんじきを履いている。よって、あなたがウソをついていることになる。あなたはご主人の帰宅に気がついていた。気がついていて、我々にそのことを告げなかった。何故か?」
ユリアは唇を震えさせ始めた。反論しなければ。ここを論破しなければ、自分は殺人犯になってしまう。
「たまたま入浴中で気がつかなかった、と言う可能性もあります」
コープは頷いた。
「確かに、そうですね。でも、それでもおかしい」
「どうしてです?」
「そもそもご主人の格好は、吹雪の中出かけるには軽装過ぎるんですよ」
ハッとしてユリアはアルベルトの服装を見た。
シャツ。ズボン。ジャケット。コート。
一方で、事件の3日後に訪ねてきた刑事たちの格好を思い出す。
スーツ。コート。ホットシェル。手袋。マフラー。
「雪が高く積もるような日に出掛けるには、この服装は軽すぎる。しかし、ご主人はかんじきを履いている。かんじきは、雪が高く積もるときに履くものです。ではご主人は、何故こんな矛盾した格好をしているのか。それは、誰かにこの服を着させられたからです」
「違う」声が震えた。「私は、殺してなんか……」
「では、いま挙げた2つの矛盾は、どう説明しますか?」
「そんなもの、私を犯人と仮定しなくても、説明できます。誰かがアルベルトを殺して、かんじきを履かせた」
「なるほど。では奥さん、いまからあなたのご自宅へ伺いましょう」
ユリアは眉をひそめた。どういう意味だ?
「いまあなたの家には、かんじきが一足しかないはずだ。ご主人のかんじきがないはずです」
初めてユリアの自宅を訪れたとき、アルベルトのかんじきが見当たらなかったことを、コープは不自然に感じていた。この島で、かんじきを持たない人間はいない。なら、アルベルトのかんじきはどこにあるのか。
たまたま目につかない場所にあっただけだと思い、今まであまり強く意識はしなかった。
しかし、いま、そのかんじきを見つけた。
「このかんじきは、元々ご主人が持っていたかんじきですね? では、あなた以外の人が、どうやったらあなたに気付かれずに、ご主人のかんじきを履かせられるのでしょうか?」
「それは……」
反論できない。
それに、反論したところで無駄だ、とユリアは悟った。
自分は疑われている。警察が本気で自宅を調べれば、きっと何か証拠を掴む。
こんな、かんじき一足から自分を犯人だと見抜くような連中ならば、ユリアが半年間気付かなかったような証拠を手にするに違いない。
ユリアは膝から崩れ落ちた。両手を砂浜につける。膨れ上がったアルベルトの死体を睨む。
目に涙が浮かんできた。
こいつのせいで。
ユリアは22歳のとき、アルベルトに出会った。
25歳で結婚し、この島に移り住んだ。
以降の5年間、ユリアはこの小さな島の、雪に埋もれた狭い家の中で過ごした。
20代という若く輝かしい時期を、ユリアはアルベルトに捧げたのだ。
そしてこれからは、狭い牢獄の中で長い年月を過ごすことになる。
30代という壮齢を、謳歌することなく過ごさなければならない。
こいつのせいで。
こいつのせいで!
嗚咽が漏れる。その場にうずくまり、ユリアはわあわあ泣き出した。
ユリアの涙の理由が、自責の念や罪悪感ではないことを肌で感じ、コープは苦々しげにため息を吐いた。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
今回は「雪だるま」「赤」「靴」をお題とした三題噺でしたが……
「雪だるま」が出てきたことに、気付いた読者は果たしているのか。
ほんの一瞬だけ出てきているので、見つけていない方は探してみてください。