家の中で
「雪だるま」「靴」「赤」の3つのお題で書いた三題噺です。
北国に属するこの小さな島では、毎年冬になると、決まって雪が降る。それも、雪崩のような豪雪である。この島では一年の半分近くが冬であり、その大半が雪に覆われるのだ。
今年もまた、その冬がやってきた。数時間前から降り始めた初雪は、例年に増して激しかった。風のない静かな夜に、ドサドサと何かが落ちる音だけが響く。家の屋根や木の枝に降り積もった雪が、地面に落ちてきているのだ。しかしその音は、時間が立つにつれ、小さくなっていく。家が雪に埋まり、雪の防音効果で外の音が聞こえなくなるからだ。
家の1階部分を埋めるほど雪が積もるこの島では、全ての家が、1階と2階に玄関を設けている。そして1階の玄関には車が置かれ、2階の玄関にはスノーモービルが置かれている。これがこの島での、ごく一般的な家庭の在り方だ。
これを利用できないだろうか。
ユリアは考えた。
いまだ冷静にならない心臓を抑えながら、いま殺したばかりの夫、アルベルトの死体を眺めた。仰向けに倒れ、後頭部から赤い血を流すアルベルト。彼の驚きに満ちた表情――アルベルトは死の苦痛は味わなかったようだ――を一瞥すると、ユリアは部屋を見渡した。
ここは自宅の1階、リビングだ。雪はすでに窓の上まで積もっているし、おまけに夜だ。誰かに見られたとは考えにくい。この家にはアルベルトとユリアしか住んでいないから、目撃者はゼロだ。なら、この死体さえうまく隠してしまえば、アルベルトは「死者」ではなく「行方不明者」となるのではないか? そうすれば、事件は事件が起こったことすら気づかれず、自分は殺人犯にならずに済む。
では、どこに隠そう。雪に埋めてしまうのはどうだろう。そうすれば、少なくとも春になるまで発見されない。そして春になれば雪が解けて、海へと流されていくに違いない。この家は海からほんの数百メートルの距離にある。誰にも気づかれず、海に流れていく可能性はある。
いや、なら端から海に沈めてしまえばいい。いまなら、外に誰かいるとは考えにくい。急いで海までこの死体を運び、氷の下に沈めてしまおう。この島の周りには、春になると南に下る海流が発生する。それが海氷を砕き、南の異国の地に運ぶ。アルベルトの死体も、南へと流されていくだろう。
ユリアは決断すると、すぐに行動に移った。
部屋着を脱ぐのももどかしく、薄手のセーターの上からトレーナーや毛皮のコートを羽織っていく。下も、ズボンを重ね着した。さらにニット帽を被り、その上から耳当てをした。最後にマフラーを首に巻いて、手袋をはめる。これで、外に出れるだろう。
アルベルトの脇の下に、両腕を入れた。久々に触れた夫の体は生温かく、気持ち悪い。両足を踏ん張って、重い体を持ち上げる。だらりと垂れ下がる腕と頭。後頭部から流れる血が、ユリアの手袋やコートを、あっという間に赤く染めた。
そこで、はた、と気が付いた。
アルベルトは部屋着だ。このまま外に運び出し海に沈めても、もし誰かに死体を発見されたら、同じ家に住む人間、すなわち自分が殺したことが瞬時にばれてしまう。
外出用の服に着替えさせねば。ユリアは一度アルベルトの死体を床に下ろすと、脱衣所に向かった。
とうの昔に夫婦仲は冷え切っていたが、アルベルトが今日着ていた服ぐらい覚えている。脱衣所のバスケットの一番上に、それは無造作に置かれていた。
長袖のシャツに厚手のズボン。ジャケットと、その上から羽織るコート。
ユリアはそれらを持つと、リビングに戻った。アルベルトの部屋着を全て剥ぎ、いま持ってきた服を着せていく。
昼間のアルベルトを完璧に再現すると、ユリアは再び、アルベルトの体を持ち上げた。
一歩一歩、リビングに3つある扉の1つを目指す。扉を開けると、その先は2階へ続く階段だ。2階から下ってきた冷やりとした空気が、ユリアの足を撫でる。
右足を一段上に載せ、左足をその隣に置き、両腕で死体を引き上げる。その繰り返し。普段なら長くも感じない階段が、いまは断崖絶壁のように思える。
2階にある車庫に着くころには、両腕が痺れていた。
しかし、休む暇はない。
ユリアはスノーモービルのドアを開けた。スノーモービルといっても、ほとんど車である。ドアがあり、窓があり、ルーフがある。スノーモービルというよりは、スキーのついた軽自動車だ。後部座席にアルベルトを突っ込むと、自分は運転席に乗り込んだ。
アクセルに足を乗せたところで、ユリアは違和感に気付いた。
靴を履いていない。
どうせスノーモービルの中にいるのだから、このまま行っても……と思ったが、後で夜の海に出る予定なのだ。靴下だけでは凍傷になりかねない。
ユリアはスノーモービルを降りて、車庫においてある長靴を履く。さらに女性物のかんじきをスノーモービルに載せる。
〔アルベルトにもか〕
同じくアルベルトのかんじきを、彼の足に履かせた。
再度スノーモービルに乗り込み、遠隔操作でシャッターを開ける。外は暗闇である。車庫から漏れる明かりが、いまだ降り積もる雪を照らす。車庫の明かりを消して、スノーモービルが発車した。
外には、ユリア以外の人の気配はない。この島に街灯はほとんどないので、スノーモービルのヘッドライト以外の明かりも見えない。周りの家々も全て、明かりが消えていた――どの家の住人も、雪ざらしの2階ではなく、雪に埋もれて暖かい1階にいるのだ。
屋根から雪の落ちる音と、ユリアのスノーモービルの音だけが、夜の島に響いた。
約2000文字×全7話=約14000文字(読了時間28分)で完結予定です。