呼吸を忘れた人々
「話せば分かる」には、いくつかの線がある。
学校の授業では教えてもらえない話。多くの場合、会話はその人間のいる階層で決まる。いわゆる「立場」だ。逆にいえば、立場さえ度外視すれば、多くの場面で話自体は通じる。結論は変わらないとしてもだ。
会話をする意味は「妥協点の模索」であり、過度に公平を求めるのではなく、負荷の減免要求程度にとどめておくのが巧く生きるコツともいえる。
だが、中には対話自体が成立しない相手がいる。
それは統合失調症患者などを相手にした場合である。
世の中には、およそ「1%前後」の統合失調症患者がいると言われる。1%というのは、あらゆる遺伝的疾患で目にする数字。これは自然淘汰されることなく、「遺伝子の撹拌装置」としても機能している。それは「流れのない水は濁る」という現象を避けるために、予め神が設計した要素とも言えるのかもしれない。
閑話休題。筆者は統合失調症患者を揶揄しているわけではない。彼らも適性な処置を受ければ、世間一般でいうところの「正常の範囲内」に思考が落ち着く。統合失調症の多くの原因は、前頭葉と側頭葉における脳内物質の偏在によって発生する。それを修正すれば、彼らも一般範囲に近い位置に思考を落ち着けることが出来る。要するに彼らと我々の違いは、その程度のものであって、我々が酒を飲んで乱れるのと大差ない話であったりもする。
さて、問題は「自覚のない人々である」。
統合失調症ほどではないにせよ、分泌物に不均衡のある人は、近年急激に増加している。ドパガキやドパおじという言葉を楽しめる人々も、おそらくこれに類する。統合失調症患者の多くが、自分が統合失調症であることを否定するように、彼らもまた「自分は正気だ」と信じ込んでいる。いまのこの時代に「自分は正気だ」と言うことほど、狂った話もないわけだが、そんなことにも気付けないのが、この層でもある。
正気と常識は、時代とともに変化する。
世の中の大半が狂っていたら、それはもう「狂っている方が正常」ということもありえる。狂気はストレスによって生み出されるのが相場だが、今の時代は「不確定要素」が多すぎる。人間は様々なものを単純化し、軽量化することによって、なんとか「仮初めの正気」を保っている。しかし、もう軽量化できる要素が少なくもなってきている。
そうなると「現実逃避」が始まる。「存在しない敵」と戦い始め、現実の問題からは匙を投げる。
インターネットは、接続している時間が長ければ、長いほど、人を狂わせる。そこで大事なことは話すことではない。大きく「ひと呼吸」を入れることだ。
狂気は伝染する。まずは冷静になるためのひと呼吸を。




