【冷徹なる支配と狂気の引火:血の契約】
【凍てついた玉座の書斎】
公爵邸の書斎は、重厚な皮革と古の羊皮紙、そして冷酷な計算によって築かれた要塞である。ここの空気は常に古い埃の匂いが漂い、差し込む陽光さえも凍結させるかのようだった。
クレスタが重い両開きの扉を押し開けたとき、父——ルートヴィヒ・フォン・クリフ公爵は扉に背を向け、壁に掛けられた巨大な帝国版図を凝視していた。彼は華美な礼服を脱ぎ捨て、ボタンを最上部まで留めた深紫色の軍式長袍を纏っている。 去りしオーベルドルフ侯爵が残した、野獣のような憤怒の残滓がまだ部屋に燻っていた。
「跪け」 ルートヴィヒは振り返らず、無関心な公文書を読み上げるような平坦な声で命じた。
クレスタに迷いはなかった。彼女は優雅に、だが無残に引き裂かれたままの純白の裾を持ち上げ、冷たい大理石の床に両膝を落とした。「コン」という軽い音が、死寂とした書斎に虚しく響く。
それは生理的な、骨の髄まで刻み込まれた服従の慣性だった。歩き方を覚えたその日から、この男の言葉こそがこの邸内における唯一の真理。 クレスタは頭を垂れ、床に映る己の影を見つめる。脆く、蒼白で、微かに震える自分。だが、その震えが恐怖ではなく、極限まで抑圧された「興奮」によるものであると知るのは、彼女自身のみであった。
指先には、昨夜の血潮の感覚がまだ疼くように残っている。マークを徹底的に「解体」した後の甘美な余韻が、この枯燥し窒息しそうな書斎の空気と激しく反発し、火花を散らしていた。
【作品と創造主】
「昨夜、貴様が何を台無しにしたか分かっているのか?」 ルートヴィヒが振り返った。花崗岩のように冷峻な顔には、娘への憐憫など微塵もない。 「オーベルドルフ家の鉱山開発権、そして帝国南部三州の貿易特許だ。それら全ては、貴様とあの馬鹿息子との婚約と共にクリフ家へ流れるはずだった。だが今、そこにあるのは焦げた炭と腐肉の山だけだ」
「お父様、申し訳ございません」 クレスタは声を震わせ、殊更に弱々しく告げた。「ですが、あの怪物の襲撃を止める術など私には……」
「怪物だと?」 ルートヴィヒは短く、皮肉に満ちた冷笑を漏らした。彼はゆっくりと歩み寄り、クレスタの目前で足を止めた。その漆黒の瞳は、彼女の魂を直接抉り出そうとするかのようだ。 「クレスタ、貴様は私が手塩にかけて育て上げた『最高傑作』だ。血の匂いに対する病的なまでの鋭敏さ、深夜に幼犬の死体を切り刻んでいたあの悪癖……。私がそれを知らないとでも思っていたのか?」
彼はゆっくりと腰を落とし、高級煙草と冷酷な権力の入り混じった気配でクレスタの領域を侵食した。 「私の前で、あの侯爵を騙したような拙い芝居はよせ。貴様のその皮の下を流れる血は誰のものだ? そして……貴様が六歳のとき、最初の短刀を握らせたのは誰だったか?」
クレスタの背筋が猛然と強張り、陰影の中で瞳孔が激しく収縮した。 ルートヴィヒは家紋の重厚な指輪を嵌めた手で彼女の顎を掴み、無理やり視線を合わせさせた。黄金の指輪が白磁の肌に食い込み、痛々しい赤印を刻みつける。
「マークの死は確かに損失だが……」 公爵の声が低くなり、冷徹な双眸に狂熱的な計算が浮かぶ。 「この『悲劇』を利用し、憤怒で理性を失った侯爵を罠に誘い込めるなら、代償は損失ではなく『投資』に変わる」
彼は手を離して立ち上がり、帝国地図の中央、権力の核心である帝都の区域を指でなぞった。 「現宰相は老い、その『均衡論』は皇帝を退屈させている。帝国が必要としているのは絶対的な鉄腕、そして皇帝のためにあらゆる汚れを清掃する『処刑人』だ」
ルートヴィヒは刃のような鋭い眼光を娘に向けた。 「昨夜、貴様が見せたあの破壊力。クレスタ、それこそがクリフ家の真の家産だ。近いうちに行われる葬儀で、再びあの『怪物の襲撃』を演じてもらおう。——標的は、宰相派の長嫡男だ」
【緋色の聖餐】
クレスタの指先が大理石の床を微かになぞり、鋭い摩擦音を立てた。 「お父様……私を、貴方の宰相への道を切り拓く、日陰の短刀になれと仰るのですか?」
「いや、貴様は私の『神蹟』だ」 ルートヴィヒは残忍な微笑を浮かべた。 「十分な動乱と恐怖を撒き散らし、それをこの私が『鎮圧』してみせる。そうすれば宰相の椅子には自ずとクリフの名が刻まれるだろう。……あるいは、病弱な皇太子に何か『不慮の事故』が起きれば、この帝国の姓さえ変えることも可能だ」
彼の野心は書斎の中に膨張し、熱を帯びた権力欲がクレスタを窒息させそうなほどに押し寄せる。ルートヴィヒは再び彼女の前に跪き、今度は聖なるものに触れるかのような柔情を込めて、彼女の頬から耳へと指を滑らせた。
「クレスタ……。その目は、臨終の間際の母親に似てきたな。絶望の中で閃く狂気こそ、私が人生で見た最高の芸術品だ」
クレスタは微かに顎を上げ、自らその広い手のひらに頬を寄せた。毒牙を隠した従順な子猫のように。父の纏う乾いた煙草の香りを貪欲に吸い込み、内の「渇き」が激しく鼓動する。——彼女はこの男を愛していた。彼の冷酷な算計を、そして自分を徹底的に破壊し再構築しようとする支配欲を。
「お父様……。貴方のためなら、短刀にも生贄にもなりましょう。この世界で、貴方だけが本当の私を見てくださるのだから」
ルートヴィヒの眼が暗く沈んだ。彼は懐から、歪な聖教のルーンが刻まれた銀の小瓶を取り出した。栓を抜いた瞬間、高雅な晩香玉の香りと、その下に潜む人肉のような、まとわりつく甘い腐臭が広がった。 それは薬ではない。「命を濃縮した狂気」そのものだった。
「聖女アリアが貴様のために用意した『神恩』だ。昨夜の恐怖を和らげ、魂を『安定』させるためのものだという」 ルートヴィヒは瓶を自らの唇に寄せ、一口含んだ。そして顔を寄せ、クレスタの冷たい唇に己の唇を重ねた。
それは、毒を含んだ接吻であった。 驚きに目を見開いたクレスタだったが、すぐに従順に目を閉じた。父の温かな舌が、灼熱し毀滅的な力を帯びた液体を、彼女の口中へと流し込んでいく。父の唾液と聖薬の狂気が混じり合い、彼女の魂を極致の戦慄へと誘う。
「ん……っ、はぁ……!」
喉を焼く溶岩のような衝動。クレスタはルートヴィヒの襟を強く掴み、劇的な生理反応に翻弄されながらその腕の中に崩れ落ちた。 暗紅色の魔圧が書斎の中で爆ぜ、露台のガラスを粉々に砕いた。視界が血の色に染まる中、目の前の父の冷酷な貌がこの世のものとは思えぬほど美しく見える。その肌を鎌で剥ぎ取り、内側の魂も同じように漆黒であるか確かめたいという衝動が彼女を突き上げる。
「いい、その眼だ」 ルートヴィヒは、狂乱の笑みを浮かべて震える娘の髪を愛おしげに梳いた。その声は、毛生え立つほどに優しい。 「この熱さを覚えておけ。これこそが我ら父娘の……帝国を統治するための血の契約だ」
クレスタは父の頸元に顔を埋め、獣のような呻きを漏らした。そして舌先で、ルートヴィヒの頸動脈の脈動をそっとなぞる。
「はい……お父様……。私は貴方に帝国を捧げましょう。そして……」 彼女は低く、狂愛と殺意の入り混じった声で囁いた。 「いつか必ず、貴方を……私の身体の中に、永遠に葬って差し上げますわ」
薬効と歪んだ愛の衝撃の中で、クレスタは完全に脱皮した。もはや単なる道具ではない。父と罪を共有し、最終的には彼を食らい尽くそうと渇望する——緋色の花嫁へと。
お読みいただき、ありがとうございます。
物語の黒幕である父ルートヴィヒ公爵との歪んだ情愛と、更なる狂気の引火を描きました。「親子の絆」という美名の下で行われる毒液の接吻、そして帝都をも飲み込もうとする果てしない野心。 クレスタは父を愛しながらも、同時に彼を「解体」したいという矛盾した、だが彼女らしい究極の愛憎に目覚めました。
「聖女の神恩」という名の禁薬によって、彼女の魔力と狂気はさらに高みへと引き上げられました。次からは、舞台を葬儀という名の社交場へと移し、帝都の権力者たちを巻き込んだ血の惨劇が始まります。
次なる血の悦楽でお待ちしております




