【大理石の下の残響:砕骨の工房】
教会の奥殿にある重々しい隠し扉を抜け、階段を下りる。空気中の甘ったるい乳香は急速に消え失せ、代わりにホルマリン、乾いた血痕、そして高濃度の魔力が燃焼した後の焦げ付いた臭いが立ち込めた。
ここは救済院の最深部にある密室であり、エッセンという街の真の「心臓」だ。壁一面には歪んだ黒曜石が埋め込まれ、その表面には秘密結社の記号――棘に絡みつき、血を流す空洞の眼球――「殺戮の聖所」の紋章が刻まれている。
「……ここは、天国ですか?」
細く、怯えたような問いかけが密室に響いた。祭壇の上で、痩せこけた少女がゆっくりと目を開ける。長年の栄養不足により濁った瞳には、周囲を照らす禍々しい紫の魔光が映り込み、その奥には卑小なまでの「希望」が宿っていた。
「ええ、そうよ。あなたにとって、ここは苦難の終着点なの」
アリアは祭壇の傍らに跪き、凍瘡しもやけだらけの少女の小さな手を優しく握った。白玉のように滑らかな彼女の手のひらは、少女の荒れた肌に直接触れ、安らぎを与える白檀の香りを漂わせる。汗で張り付いた少女の乱れ髪を払い、実の娘を寝かしつけるかのような慈悲深い語り口でアリアは言った。
「修道女様……お母様が言っていました。ここに来れば、温かいスープが飲めて、もうあの真っ暗な炭鉱には戻らなくていいって……本当ですか?」 少女は力を振り絞って上半身を起こし、ひび割れた唇を震わせた。
「ええ、本当よ」 アリアは背後の銀盆から透明な液体の入った小さな杯を取り出し、自ら少女の口元へ運んだ。 「この『聖水』を飲みなさい。すべての病も痛みも消え去るわ。一眠りして目が覚めたら、あなたは花畑の中にいる。あなたの献身によって、お母様も帝国から褒賞を授かるでしょう」
少女は疑うことなく、アリアの手に導かれるまま、微かに甘い匂いのする幻覚剤を飲み干した。薬効は瞬く間に現れ、少女の視界は混濁し、その頬には病的なまでの赤みが差した。
「ありがとう……修道女様……あなたは、本当に……神様が遣わした聖女様だ……」 少女は溢れんばかりの信頼と感謝を口にし、柔らかな枕の上へと倒れ込んだ。精巧に編み上げられた、地獄へと続く甘美な夢の中へと。
――ピチャリ。
静寂に包まれた密室に、不快な液体が弾ける音が唐突に響いた。 クリアが硬い乗馬ブーツを鳴らして影から魔光の中へと姿を現した。彼女は自らの靴底を見下ろす。そこには、前回の儀式の残骸である、掃除し損ねた濁った眼球が踏み潰されていた。彼女は忌々しげに石床で靴を擦り、粘つく組織を埃と共に塗り広げた。
「お姉様、相変わらずそんな時間の無駄な対話が好きね」 クリアは偽装用の木製杖を祭壇の脇に放り出した。「ガシャン」と冷たい音が響く。 「この家畜どもに、その信頼は贅沢すぎるわ。そのまま押し潰せば済むことでしょう?」
「時間の無駄ではないわ、クリア」 アリアは立ち上がった。その白い指先が空中に弧を描くと、闇紫色の魔力の残滓が引き連れられる。彼女の瞳には病的なまでの執着が宿っていた。 「魂が『救済された』という歓喜を感じる時、それは極めて純粋な透明度を呈するの。信頼という調味料がなければ、この子の魂には苦い恐怖しか残らない。《魂の沈黙サイレンティアム・アニマエ》が喰らうには、あまりにも質の低い二級品よ」
アリアはもはや少女を見ようとはしなかった。両手を広げ、掌を合わせる。その間に、人皮で綴じられた不吉な気配を放つ禁典が緩やかに浮かび上がった。
「彼女が夢の中で『天国』を見たのなら、もういいでしょう。この卑賎な器から、その魂を剥離させる時よ」
アリアの宣告と共に、密室内の紫の魔光は一瞬で凝固し、抑圧的な暗赤色へと変貌した。
「魂の沈黙シレンティウム・アニマエ、無垢なる者の寂滅を欲せよ」
アリアは細長い指を伸ばした。その爪は微光の中で病的な透明色を帯びている。彼女は少女の肌に触れることなく、その胸の真上に手をかざした。指先をゆっくりと釣り上げるように動かすと、少女の穏やかだった呼吸は突如として激しくなり、肋骨の間から何かが這い出そうとするかのように胸が大きく波打った。
「見て、クリア。これが『希望』で洗浄された魂よ。なんて眩しいのかしら」
アリアの操作に従い、少女の胸元から髪の毛ほどに細い無数の白い光の糸が溢れ出した。光の糸は空中でうねり、絡み合い、やがて少女の姿を模した歪な幻影へと形を変えていく。その幻影の顔には、アリアが与えた甘い微笑みがまだ残っていたが、その口からは声なき、魂の絶叫が放たれていた。
――ズウゥッ、と。
濡れた布が全力で引き裂かれるような、魂が肉体から生々しく剥ぎ取られる音がした。アリアが猛然と両手を開くと、人皮の禁典が独りでに開き、頁が狂ったように震え出す。
「入りなさい。永遠の沈黙の中で、その偽りの夢を見続けるがいいわ」
少女の魂は禁典が生み出したブラックホールに吸い込まれていく。魂が頁に没するその瞬間、少女の幻影は現実の崩壊を悟り、極限まで歪んだ。見開かれた両目には、人類の限界を超えた絶望が宿る――最も信頼していた者に深淵へと突き落とされた、至高の「風味」であった。
「魂の収穫は完了したわ」 アリアは優雅に書物を閉じ、重々しい閉じる音が響いた。 「あとは、あなたの見せ場よ。団長様」
「ふん、やっと私の番ね」
クリアが一歩前へ踏み出し、両手を力強く押し下げた。「残虐の雷フルメン・クルデリス」――その本体は現していないものの、彼女の体内の魔力は周囲の空気を臨界点まで圧縮していた。
――パキパキ、メキッ!
魂を失った祭壇の上の肉体は、単なる「材料」へと成り果てていた。グリアの非人間的な重力場の中で、少女の四肢はあり得ない角度へと折り畳まれていく。骨の砕ける乾いた音が密室に響き渡る。それは枯れ枝を無造作に折る音のようだった。
クリアの顔に憐憫の色など微塵もなかった。彼女はまるで粘土でもこねるかのように、虚空で器用に指を動かす。 「出汁を美味しくするには、骨髄も筋膜も完全に押し潰さなきゃね」 クリアは冷酷に評した。
重力による継続的な圧搾により、少女の肌からは血の玉が滲み出し、鮮血は祭壇の溝を伝って中央の孔へと流れ、下方の青銅釜へと注がれていく。グリアが両手を合わせると、重力場は一気に内側へと崩壊した。鈍い破裂音と共に、かつて温かいスープを渇望していたその肉体は、極めて精純で鮮紅な「血肉のエッセンス」へと変貌した。
少女の亡骸からは、楽器の弦が切れるような最後の崩壊音が響いた。 クリアは手を止めるどころか、頬に飛び散った一滴の温かい返り血を、舌先で愛おしげに舐めとった。彼女は低く、嗄れた、神経質な冷笑を漏らす――その笑い声は狭い密室の中で反響し、枯葉の上を這いずる無数の毒蛇の音のように聞こえた。
「はは……はははは! 見てよ、お姉様。さっきまで天国を夢見ていたガキが、今はもう形も残らない泥屑よ」
クリアは唐突に魔力を収め、肉片のついた手のひらを軽く叩いた。その仕草は、退屈な事務仕事を終えた後のように軽やかだった。彼女は優雅に振り返る。
「この『素材』、案外しっかりしてたわ。特にあの救済を求めてた眼球、潰れる時の音が最高に耳に心地よかった」
彼女は下で煮え立ち始めた青銅釜を見下ろした。その瞳には絶望的な悪意が揺らめき、言葉には隠そうともしない軽蔑と狂気が混じっていた。
「明日、門の外で犬みたいに跪いてる被災者ども、この『慈悲』にはさぞかし満足するでしょうね。だって……自分たちが手出しした、世界で一番温かい『母娘の再会』なんだもの。そうでしょう、お姉様?」
クリアは突き刺すような高笑いを上げ、その声は厚い隠し扉を通り抜け、聖なる教会の下で、この上なく皮肉なレクイエムを奏でていた。
お疲れ様でした。地下工房の「音」はいかがでしたか? 大理石に響くのは、祈りの歌ではなく、骨を砕き肉を断つ無慈悲なリズム。 聖女の微笑みを支えるのは、こうした「徹底的な管理」なのです。 しかし、この過酷な作業を平然とこなす少女・クリアとは一体何者なのか。 次節、彼女の振るう「重力魔法」の真の恐ろしさと、彼女の歪んだ正義に迫ります。 次なる救済の場でお待ちしております。




