【翡翠魔女の葬送詩:森林、血痕と終焉の救済】
この物語は、偏見がいかにして「慈愛」を殺し、執念がいかにして「魂」を再構築したかを綴る、美しくも悍ましい鎮魂歌です。
聖母の慈悲が魔女の誘惑と断じられ、少女の純粋な恋慕が罪の銀釘によって打ち砕かれたとき、生命を育むはずの森林は、文明を焼き尽くす業火へと変貌しました。
「たとえ魂が朽ち果てても、あなたの琴の音の中で眠り続けたい」
それは、少女シールが最期にエルフのエルビアへと捧げた告白であり、同時にこの物語が読者に突きつける残酷な問いでもあります。――「異類」を拒絶するこの醜悪な現実の中で、私たちは、廃墟と狂気の中にしか「汚されぬ真愛」を見出すことはできないのでしょうか?
翡翠の魔力、帝国の鋼鉄、そしてすべてを灰にする紅蓮の炎。 これらが織りなす終焉の序曲に、どうか静かに耳を澄ませてください。
死の静寂の中に響き渡る、最も残酷で、最も清らかな愛の調べを。
【林間の翡翠聖母と純白の恋】
森の守護者、エルビア 神聖カローリン帝国西方の果てに広がるその森は、人々から「幽影の肺」と呼ばれていた。
そこは外界から隔絶された太古の秘境であり、空気には腐植土の匂い、清冽な泉の飛沫、そして剥きたての樹皮が混ざり合った、濃密な湿り気が終始漂っている。
巨木なるレッドシダーが天を突くようにそびえ立ち、重なり合った枝葉は陽光を遮る深緑の天蓋となって、外界の喧騒をことごとく撥ね退けていた。
そこにあるのは、遠くでさえずるヒバリの声と、梢を撫でる風が波濤のように鳴らす「サワサワ」という葉音だけである。わずかな陽光が木漏れ日となって、厚く積もった苔の上に砕けた金細工のような模様を落とす正午時。
エルビアは、その森の心臓部にひっそりと隠れ住んでいた。巨大な古木と共生するように佇む彼女の庵は、燐光を放つ蔓草と、ほのかにミルクのような甘い香りを漂わせる白い朝顔に包まれている。
彼女は、息を呑むほどに美しいエルフであった。その肌は朝露に浸された最上の羊脂玉を思わせ、薄暗い密林の中で柔らかく、透き通るような微光を放っている。
特徴的な長い耳は、シルクのように流れる墨色の長髪からわずかに覗き、森の呼吸に合わせるかのようにピクリと震えては、凡人には聞こえぬ植物たちの囁きを掬い取っていた。
エルビアの所作には、舞踏のような律動が宿っている。湿った苔の上を裸足で歩んでも、その足跡に塵ひとつ残らない。重力さえも彼女にとっては優しい束縛に過ぎないようだった。
深淵な翡翠を思わせるその瞳の奥には、湖の底で砕け散った星々のような光が揺らめいている。彼女が薬草を摘もうと伏し目になれば、長い睫毛が羽扇のように影を落とした。
彼女の美しさには、俗世の塵臭さが微塵もなかった。周囲には、わずかな苦みを含みつつも意識を研ぎ澄ませるような、清涼な草本の芳香が漂っている。巨大なレッドシダーの下に佇む彼女の姿は、生命としての次元の違いをまざまざと見せつけ、凡人は直視することさえ憚られた。
彼女は単なる癒やし手ではない。光と影、森の吐息、そして古の魔力が綯い交ぜになって形作られた、生ける彫像であった。
エルビアの日々は、森のリズムと完璧に同期していた。夜明けとともに、彼女はベルベットのように柔らかな苔の上を歩き、冷たい土に指先が沈む感触を慈しむ。蕾に指先を触れれば、彼女の魔力に呼応して、蕾は氷が割れるような清らかな「パチッ」という音を立て、月光のように純白の花弁を広げる。
彼女はただ露を集めるだけでなく、森の均衡そのものを守っていた。かつて、狩人の矢に射抜かれた小鹿の脇腹を、翡翠色の魔力で癒やしたこともある。蛍の羽ばたきのような微かな魔力の唸り(うなり)の中で、傷口が塞がり、血の匂いが森特有の苦楝の香りに上書きされていくのを彼女は見守っていた。彼女にとって、この森は祭壇であり、外界の喧騒から逃れるための唯一の浄土であった。
森の縁にある村の農民たちが悪疫に襲われたり、樵が毒蛇に噛まれたりしたとき、彼らは畏敬の念を抱きながら、目印である黒焦げた雷撃木の下で熱心に祈りを捧げる。すると、エルビアは決まって沈黙を纏い、羽のように軽やかに姿を現した。彼女の足音は聞こえず、ただ衣の裾が低木を掠める「カサリ」という音だけがその到来を告げる。
翡翠のように澄み渡った瞳には、俗世を超越した平穏が宿っていた。彼女が施す「救済」は無償であり、そして限りなく優しい。薬草をすり潰す規則正しい音と、穏やかな癒やしの光とともに、飢えや傷に苦しむ魂を再生させていく。
無知ゆえに彼女を恐れ、同時に縋る村人たちの心の中で、彼女は触れることすら許されない西の森の霊魂――すなわち「翡翠の聖母」として君臨していた。
【森の囁きと凡人の祈り】
朝霧がいまだ晴れぬ頃、森の境界に佇む雷撃木の下から、小刻みに震える不安げな足音が聞こえてきた。一人の老農夫が、顔を紫に変えて痙攣を繰り返す幼い孫を抱き抱え、地面に膝をつく。
「魔女様……いえ、翡翠の聖母様……」老農夫の声は涙に震え、空虚な林間に虚しく響いた。「お願いです、この子を救ってください……。林の毒キノコを誤って食べてしまったのです。どうか、慈悲を……」
突如として、冷涼なミントの香りが空気に混じった。エルビアは濃霧から織り出されたかのように、音もなく焦げた木の傍らに姿を現した。彼女は伏し目がちに苦しむ小さな命を見つめ、ひんやりとした指先で子供の額をそっと撫でた。
エルビアが静かに現れたとき、老農夫は泣くことさえ忘れてしまった。濃霧の中から歩み寄る魔女の、茂みを掠める衣の音が、まるで羽ばたきのような微かな摩擦音として耳に届く。そのあまりの優雅さに、老農夫は己の卑しさを恥じるばかりであった。
「魔女様……いえ、翡翠の聖母様……」老農夫は震える声で呼びかけたが、エルビアのあまりに美しい瞳を直視することはできなかった。
エルビアは緩やかに膝をついた。その動作は風に揺れる柳の枝のようにしなやかだった。彼女の、淡いミルクの香りを纏った指先が、子供の額をなぞる。
「落ち着きなさい、長老よ」彼女の声は、岩を叩く泉の水の如く、清らかで空霊だった。「森の怒りは、この子が背負えるほど軽いものではありません」
術を施す姿もまた、見る者を陶酔させた。彼女が両手を合わせ呪文を低唱すると、蛍の羽ばたきのような微かな魔力の唸りが大気を震わせる。彫刻のように整った指先から、淡緑色の光流が溢れ出した。村人の目には、その光景は息を呑むほど美しく映り、同時に「人ならざる者」への得体の知れない恐怖を植え付けた。
彼女は腰の袋から微光を放つ苦丁草を取り出し、古の生硬な呪文を唱えた。「フッ――」という微かな音とともに、淡緑色の魔力の粒が蛍のように舞い、子供の口鼻へと吸い込まれていく。ほどなくして、子供は黒い膿水を吐き出し、呼吸は次第に穏やかさを取り戻した。
「もう大丈夫です」エルビアは立ち上がり、翡翠色の裾が苔を掠めた。「連れて帰りなさい。三日の間、飲むのは清らかな泉の水だけにすることです」
「ありがとうございます……ありがとうございます! あなた様はまさに神の使いです!」老農夫は感激のあまり彼女の靴の先に口づけしようとしたが、形のない柔らかな力によって押し留められた。
「私は使いではありません。ただの森の影に過ぎないのです」エルビアは淡々と言い放ったが、その瞳にはわずかな疲労が滲んでいた。
その時、後方に控えていた若い猟師が勇気を振り絞って尋ねた。「魔女様、噂では教団の者がこの森のことを嗅ぎ回っているとか。あなたの力は……不吉なものだと彼らは言っています。それは本当なのですか?」
エルビアは振り返った。その翡翠色の瞳の深淵に、若者は息を呑んだ。彼女は静かに答えた。
「不吉か、それとも救済か。それは往々にして、あなたがたがそれをどう見るかによって決まるものです。もしあなたがたが光を恐れるのなら、光は刺すような毒薬となるでしょう」
村人たちは畏れ戦きながら立ち去っていった。霧の中に消えていくエルビアの背中を見つめる彼らの瞳の奥には、感謝の他に「敬畏」という名の、不安な火種が揺らめいていた。
【森の震怒と翡翠の守護】
午後の森は本来、蝉時雨と微風に包まれているはずだった。しかし、突如として響いた「カシャッ――!」という鋭い樹木の折れる音が、布を切り裂くかのように静寂を打ち破った。続いて、生臭い血の混じった突風が吹き荒れ、樹々が「ドォォォン」と轟音を立ててなぎ倒される。
現れたのは、血の月のように赤い瞳を持つ巨大な魔獣「幽影の鬣狼」だった。全身の毛を逆立て、狂暴な魔力を撒き散らしながら、獣は「アォォォーン!」と咆哮を上げる。それは森林の防衛線を突破し、去り際の一団――樵たちへと猛然と襲いかかった。鋭い爪が風を切り、先頭にいた猟師の首筋を狙う。
「助けて! 助けてくれ!!」 若い猟師は恐慌に陥り、弓を持ち直そうとしたが、あまりの恐怖に手が震え、疾走する黒い影を射抜くことなど到底できなかった。腐肉の臭いを放つ狼の巨大な口が開き、寒光を放つ牙が猟師の喉笛を噛みちぎろうとした、その刹那。
地表が激しく震動した。大蛇のように太い黒色の蔓が「ドッ――」と地を割って現れたのだ。それらは湿り気を帯びた「ザザッ」という音を立て、驚異的な速さで巨狼の四肢と胴体を絡め取り、猟師の頭上で強引に宙吊りにした! 巨狼は不本意な「クゥーン」という唸りを上げるが、いかに抗おうともその拘束を逃れることはできない。
「私の領域で、無意味な殺生は禁じます」
樹影の中から、エルビアが緩やかに歩み出た。その歩みは相変わらず跡を残さぬほど優雅であったが、今の彼女の瞳には冷徹な翡翠色の電光が宿っており、森全体の怒りを一身に集めているかのようだった。彼女は玉のように細い腕を上げ、拘束された魔獣に掌を向ける。大気には、ガラスを擦り合わせるような高周波の魔力共鳴音が響き渡った。
「魔女様……いえ、どうかお助けください!」 猟師は地面にへたり込み、青ざめた顔で叫んだ。
「下がりなさい」 エルビアの声は清涼で、起伏ひとつなかったが、そこには拒絶を許さぬ威厳が満ちていた。
彼女が細い手を一振りすると、蔓から無数の鋭い棘が「シュッ、シュッ、シュッ――」と音を立てて生じ、肉眼では捉えきれぬ速さで魔獣の肉を貫いた。鈍い「ブスッ」という音が響き、巨狼は短い絶望の哀鳴「アォォォ……」を漏らして完全に静止した。エルビアが五指をわずかに開くと、蔓たちは忠実な下僕のように、巨狼の死骸を地底深くへと引きずり込み、森の養分へと変えていった。
血生臭い匂いは、ものの数秒で雨上がりの土の匂いを帯びた濃密な月下香の芳香によって完全に洗い流された。
老村長は震えながら歩み寄り、深く頭を下げた。「聖母様、もしあなた様がいなければ……今日、村は滅んでいたことでしょう。私たちは以前……あろうことか、あなた様の慈悲を疑うなどという大罪を……!」
「私が守っているのはあなたがたではなく、森の均衡です」 エルビアは淡々と答え、指先で衣の裾に付いた落ち葉を軽く弾いた。その所作は胸が締め付けられるほどに美しい。「荷物をまとめ、ここを去りなさい。森が苛立っています。当分、近づかぬように」
村人たちはもはや怯えて逃げるのではなく、心からの崇敬と感謝を抱き、何度も振り返りながら去っていった。エルビアは彼らの背中を見送る最中、体内の「種子」が先ほどの戦闘に呼応して微かに熱を帯びているのを感じた。それは聖女アリアが残した痕跡だった。
彼女が庵へ帰ろうと小さく溜息をついたその時、銀の鈴を転がすような、けれど少しばかり切迫した少女の呼ぶ声が聞こえてきた。
「エルビア様……私を……私を助けてくださったのですか?」 シールの声は涙に震えていたが、そこには救われた後の安堵が混じっていた。
「ええ」 エルビアは静かに頷き、長い指をシールの頬へと伸ばして、恐怖の余韻である涙をそっと拭った。指先から伝わる温かく繊細な感触に、エルビアの心の湖にはかつてない波紋が広がった。
大気の中で、エルビアが元来纏っていた薬草の清香が、シールの持つ仄かな、そして温かい石鹸の香りと溶け合い、新しい、そして抗いがたいほどに愛おしい芳香となって漂った。
「ありがとうございます、エルビア様……」 シールの瞳には今、命の恩人に対する深い感謝と、名もなき熱烈な依存の色だけが宿っていた。




