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魔法もスキルもない50歳、腕型PC一台で異世界をハックする。~疲れやすいおじさんは効率重視で成り上がる~  作者: ぱすた屋さん
【第1章】生存戦略と『効率化』の第一歩

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幕間:賢者の休日と、ギルドの負債(テクニカルデット)



 贅沢というのは、恐ろしい毒だ。

 

 レアルトの街でも最高級の部類に入る宿、『三つの月亭』。

 その最上階にある特別室で、俺は吸い込まれるような柔らかさの羽毛布団に包まれていた。

 窓の外には二つの月が輝き、室内にはほんのりと魔導具による温度調整が効いている。

 

 左腕のデバイス『Link』を確認する。

 

『おはようございます、佐藤。バイタルチェック完了。

 現在の体力残量(HP):100%。筋肉の炎症は完全に消失しました。

 ……佐藤。本機があなたをテスターとして認識して以来、初めての「健康体」です』

 

「……ああ。俺も、自分の体がこんなに軽いのは20年ぶりだよ」

 

 俺は、枕元に置いた高級な果実水を一口飲んだ。

 フェンリルの件でもらった報酬――金貨1枚と、希少薬草の売却益。その合計額は、俺のような枯れたおじさんがこの街で数ヶ月、何もせずに食いつなぐには十分すぎる大金だった。

 

(……これだよ。これを求めていたんだ)

 

 朝から晩までサーバーの監視に追われ、エラーログの通知に怯え、クライアントの無理難題に胃を痛める日々。そんなものは、もう別の世界の、別の誰かの人生だ。

 俺はここで、誰にも邪魔されず、ただ「無」になるんだ。

 

 だが、そんな俺のささやかな決意は、昼過ぎに部屋の扉を叩いた一人の女性によって、あっけなく打ち砕かれることになった。

 

「……サトウ、さん。……いらっしゃいますか……?」

 

 扉の向こうから聞こえてきたのは、冒険者ギルドの受付嬢、ミーナさんの声だった。

 だが、その声には、いつもの事務的な快活さが微塵もなかった。

 

 嫌な予感がする。こういう時の声には聞き覚えがある。

 納期直前に「致命的なバグが見つかりました」と報告に来る、新人のSEシステムエンジニアの声だ。

 

 俺は居留守を使おうか一瞬迷ったが、彼女にはフェンリルの件で恩がある。

 溜息をつき、扉を開けると、そこには「死相」を浮かべたミーナさんが立っていた。

 

「……うわっ」

 

 思わず、声が出た。

 眼鏡は歪み、目は血走り、あんなに綺麗に整えられていた髪はボサボサだ。何より、彼女が抱えている山のような羊皮紙の束が、その異常事態を物語っていた。

 

「サトウさん……。お願いです、助けてください……。もう、私たちだけでは、どうにもならないんです……」

 

「……ミーナさん。とりあえず、落ち着いて。……それ、全部仕事ですか?」

 

「はい……。最近、街の近くで新しい『迷宮』が見つかった影響で、冒険者の流入が通常の三倍に跳ね上がりました。……登録、依頼の発行、報酬の計算、被害報告の処理……。ギルドの事務局は、もう三日間、誰も家に帰れていません……」

 

 三日間、不眠不休。

 俺の脳裏に、かつてのデスマーチの記憶がフラッシュバックする。

 

「……今のままでは、明日にはギルドの機能が完全に停止します。……サトウさん。あなたの、あの『精霊の計算術』で、この山を……この不条理を、処理してはいただけませんか……?」

 

 彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 ……負けだ。俺はこの顔に弱い。

 

「……わかった。……ただし、一時間だけだ。……それ以上は、俺のライフプラン(隠居生活)に関わるからな」

 




 

 ギルドの事務室は、まさに「戦場」だった。

 

 そこかしこにインクの染みが飛び散り、職員たちは虚ろな目で羽ペンを動かしている。

 部屋の隅には、分類もされずに積み上げられた羊皮紙の山。

 

(……ひどいな。これは『負債』だ。溜まりに溜まったアナログ作業の、テクニカルデット(技術的負債)だ)

 

 俺は、事務机の一つを片付けさせ、そこに腰を下ろした。

 

「……ミーナさん。まず、一番のボトルネックはどこだ?」

 

「……ボト……? ええと、一番時間がかかっているのは、冒険者のランクと、依頼の難易度、それから達成率の照合です。……すべて過去の帳簿と突き合わせなければならず、人の手では限界が……」

 

「なるほど。……検索と、マスタデータの照合、か。……よし、相棒。出番だ。……事務室全体の羊皮紙をスキャンしろ。……OCR(文字認識)で全テキストを抽出、項目別にデータベース化だ。……それから、不整合がある箇所を赤くハイライトしろ」

 

『了解。……大規模バッチ処理を開始します。

 周囲の光学的ノイズをカット。……スキャン実行……5%……20%……』

 

 俺が左腕を上げると、事務室全体に青白い網目状の光――グリッドスキャンが走り抜けた。

 

「な、何だ!? 魔導師を呼んだのか!?」

「静かにしてください! 今、サトウさんが『精霊』に計算をさせているんです!」

 

 ミーナさんの叫びに、職員たちが動きを止めた。

 

 俺の視界(ARウィンドウ)には、目まぐるしくデータが流れ込んでくる。

 

『スキャン完了。……全1284件の未処理タスクを検知。

 うち、重複記載が156件。計算ミスによる不整合が89件。……名前の誤記タイポが42件。

 ……佐藤。このギルドの管理体制は、一世代前のOSよりも脆弱です』

 

「だろうな。……よし、そのままリレーショナル・データベースを構築しろ。……ミーナさん、こっちへ。……今から、この光る板に表示される数字を、あんたたちの帳簿に書き写すだけでいい。……それ以外の『考える作業』は、全部俺の相棒が終わらせた」

 

 俺は、空中に巨大なスプレッドシートを投影した。

 そこには、冒険者名、ランク、依頼内容、報酬額が、完璧に整理された状態で並んでいた。

 

「……こ、これは……。……一週間かかっても整理できなかった名簿が、一瞬で……?」

 

「……ほら、手が止まってるぞ。……次に、この『赤い行』を見てくれ。……こいつ、報酬を二重取りしようとしてる。……あと、この依頼は危険度の設定が間違ってる。……今の冒険者の平均レベルなら、全滅する確率が60%だ。……修正案を出したから、書き換えておけ」

 

 そこからの俺は、自分でも驚くほど冷徹に、そして効率的に仕事をこなした。

 

 誰が、どこで、何をすべきか。

 どの依頼が、どれだけの利益を街にもたらすか。

 俺のデバイスは、ギルドの溜まった「ゴミ」を次々とクレンジングし、最適な「ワークフロー」を構築していく。

 

 一時間。

 俺が宣言した時間は、あっという間に過ぎた。

 

 だが、その一時間で、事務室を埋め尽くしていた羊皮紙の山は、すべて「処理済み」の棚へと移動していた。

 

「……お、終わった……。……本当に、終わったのか……?」

 

 一人の職員が、ペンを落として泣き崩れた。

 他の職員たちも、呆然とした顔で、自分たちの手元にある「完璧に整理されたデータ」を見つめている。

 

 ミーナさんは、膝をつき、祈るように俺の手を握った。

 

「……サトウさん。あなたは……あなたは、事務の神様か何かですか……?」

 

「……ただの、元SEですよ。……それより、約束の一時間だ。……俺は帰る。……あ、それと。……これからは、この書式テンプレートを使って記録するように。……そうすれば、次からは俺を呼ばなくても、あんたたちの頭だけで計算が合うはずだ」

 

 俺は、デバイスで作成した「最適化された帳簿のフォーマット」を羊皮紙に出力して手渡した。

 

「……ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます!……報酬は、正式な鑑定依頼として、ギルドの特別予算からお支払いします!」

 

「……金はいいよ。……代わりに、宿に帰ってから、邪魔をさせないでくれ。……今度こそ、俺は寝るんだ」

 

 

 宿への帰り道。

 俺は、自分の手のひらを眺めた。

 

 不思議な感覚だった。

 かつてあれほど嫌いだった「事務作業」や「管理業務」。

 だが、この世界で、自分の知識を正しく使い、誰かの役に立ち、そして「定時」で終わらせる快感。

 

(……いかんな。……俺も、すっかり毒されているらしい)

 

『佐藤。……一つ、報告があります』

 

 不意に、デバイスが冷静な声を上げた。

 

「……何だ? もう不具合は見つけなくていいぞ」

 

『……先ほどのギルドのデータを解析した結果。……現在、街の近郊で発見された「新しい迷宮」の攻略成功率が、日に日に低下しています。

 ……原因は、地形の流動性と、魔力分布の異常。……つまり、既存のマッピング技術では攻略不可能な「バグ」が発生しています』

 

「……見なかったことにしろ」

 

『……了解。……ですが、佐藤。ギルドの職員たちは、すでにあなたの「解析能力」を、唯一の解決策として認識し始めています。……あなたが望む「隠居生活」は、当分の間、遠のく可能性が極めて高いと推測されます』

 

「……クソッ。……やっぱり、異世界でもデスマーチからは逃げられないのか……」

 

 俺は、豪華なはずの宿の入り口で、深いため息をついた。

 

 明日。……明日の朝には、きっとまた誰かが俺の扉を叩くだろう。

 

「……よし、相棒。……寝る前に、その『迷宮』の予備解析だけ、走らせておけ。……仕事が舞い込んできてから慌てるのは、三流のエンジニアのやることだからな」

 

 俺は、苦笑しながら部屋へと戻った。

 

 魔法の世界でも、管理と効率は最強の武器になる。

 けれど、その武器を使いすぎれば、平和な眠りさえも「ハック」されてしまう。

 

 くたびれたおじさんの「効率的」な異世界生活は、どうやら本人の意図とは裏腹に、加速を続けていくようだった。


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