第9話:情報の力で『戦争』を回避する
「戦争」とは、国家という巨大なシステムが陥る、最も壊滅的で非効率なランタイム・エラーだ。
膨大なリソースを浪費し、丹精込めて育成したプロセッサ(人材)を破壊し、長年かけて構築したインフラを物理的にデリートする。エンジニアの端くれとして言わせてもらえば、これほど「バグ」だらけのソリューションは他にない。
王都・ルミナスが、俺の手がけた「色彩最適化」によって虹色の輝きを取り戻したのも束の間。その眩いばかりの光は、皮肉にも北方の軍事大国『ガリア帝国』という名の「巨大なウイルス」を呼び寄せてしまった。彼らにとって、この未知の色彩技術は、既存の軍事バランスを崩しかねない「新兵器」として映ったのだ。
「……サトウ殿! 国境線の監視砦から緊急の魔導通信です! ガリア帝国の『鉄血軍団』が、こちらの色彩ハックを敵対的な軍事信号と見なし、侵攻を開始しました! その数、およそ三万。……王都への到達まで、あと三時間を切りました!」
マルチェロが、震える手で報告書を俺のデスクに叩きつけた。紙が乱れ、彼の喉からはヒューヒューと浅い呼吸の音が漏れている。
三万の軍勢。対する王都の騎士団は、先の迷宮被害の影響もあり、その三分の一にも満たない。しかも、帝国軍は「魔導重装歩兵」を主力とした、文字通りの鋼鉄の塊だ。物理的な衝突が起きれば、この美しい王都は数日で「フォーマット」され、灰色の瓦礫へと戻るだろう。
「……サトウさん、私が行きます。……この新しい装備と、あなたがくれた力があれば、死ぬ気で戦えば……時間を稼ぐことくらいは……!」
エリナが、シアンとマゼンタのラインが鋭く発光する聖剣を握りしめ、悲痛な決意を口にする。だが、俺は冷めたコーヒーを最後の一口まで飲み干し、ゆっくりと、しかし断固として首を振った。
「……ダメだ、エリナさん。……君一人で三万のパケット(兵士)をすべて処理しようとするのは、シングルスレッドの古いCPUでDDoS攻撃に立ち向かうようなものだ。……確実にオーバーヒートして、君というシステムが自壊する。……そんなのは、俺が書いた仕様書には含まれていない」
「……じゃあ、どうすればいいの!? 指をくわえて、この街が壊されるのを見ていろって言うの!?」
「……戦わずに、相手の『実行権限』を奪うんです。……相棒。……帝国の軍通信プロトコルをスキャンしろ。……三万の統制を維持している『基幹通信』を特定しろ」
『了解。……広域パッシブ・スキャンを実行。……通信パケットのヘッダーを解析中。
……特定しました。ガリア帝国は、巨大な「指揮魔石」を用いた低周波の魔力波をブロードキャストし、兵士たちの精神を強制的に「同期」させています。
……佐藤。……これは極めて脆弱な「レガシー・プロトコル」です。……暗号化も施されておらず、外部からの割り込み(インタラプト)に対して完全に無防備です。……まるで、パスワードのかかっていない公開サーバーです』
「……精神の同期、か。……恐怖を消して、ただの『処理端末(駒)』に変えているわけだ。……なら、そのチャンネルをジャックして、俺たちの『コンテンツ』を流し込んでやろう」
俺は立ち上がり、大聖堂のマスター・コントロール・パネルにデバイス『Link』を接続した。
ここで構築した街全体の「魔力回廊」、そして先日で実演した「リアルタイム・ストリーミング」。これらすべてを、一つの「情報の指向性兵器」として転用する。これはもはや、修復作業ではない。……国家という巨大なシステムへの、公的なハッキングだ。
「……これから行うのは、武力行使じゃない。……大規模な『意識のアップデート』だ。……相棒、準備はいいか」
数時間後。王都の平原を埋め尽くすガリア帝国の重装歩兵たちが、不気味な地響きを立てて進軍してくるのが見えた。
彼らの甲冑は鈍い銀色に光り、その動きは機械のように正確で冷酷だ。指揮魔石から発せられる「戦え」「進め」「殺せ」という単純な命令に支配され、個人の意志は完全にバッファから消去されている。
俺は大聖堂の頂上で、風に吹かれながらデバイスを操作した。王都全域の色彩回路が、かつてない高電圧を帯びて唸りを上げる。
「……相棒。……『Soro2-Psychology』を起動。……解析した兵士たちの個人データ……彼らがかつて故郷で愛した風景、家族の記憶を、彼らの脳内メモリへ直接再構成しろ。……ターゲットは、最前線の兵士から後方の予備役まで、三万人全員だ」
『了解。……送信出力を最大に固定。……心理的オーバーライドを開始します。
……送信アンテナのゲイン調整完了。……魔力波形を最適化します』
[Mathematical Logic of Modulation:]
$$E(t) = A \cdot \sin(2\pi f_c t + \phi(t))$$
※ $\phi(t)$ に「家族の情景データ」を重畳。
「……よし。……送信開始!!」
俺がエンターキーを叩いた瞬間。
王都から放たれたのは、破壊の雷ではなく、圧倒的な「情報量」を伴った、暖かくも鮮やかな虹色の光だった。
進軍する帝国兵たちの視界が、強制的にジャックされる。
彼らの目の前に映し出されたのは、血生臭い泥沼の戦場ではなく、夕日に染まる故郷の村の風景だった。
「Soro」の圧倒的な生成能力によって再現された、愛する妻が差し出す温かいスープの湯気。
泥だらけになって駆け寄ってくる、幼い子供たちの柔らかな手の感触。
そして、このルミナスの街で人々が享受している、色彩豊かで穏やかな「当たり前の日常」の映像。
俺は、デバイスを通じて彼らの精神同期チャンネルに、直接、語りかけた。
『……聴こえるか、帝国の兵士諸君。……君たちの指揮官が送っているのは、ただの「死ね」というバグった命令だ。……だが、俺が見せているのは、君たちが守るべき「仕様」の正体だ』
俺は、元の世界に残してきた自分の息子のことを思い出していた。
あいつも15歳。……戦場に駆り出されるには若すぎるし、何かを壊すには未熟すぎる。……もしあいつが、この鉄の塊の中に混じっていたら? ……俺なら、全力でシステムを止める。
『……君たちが手にしている剣は、誰かを泣かせるための道具か? ……それとも、こんなに美しい世界を、ただの灰色の瓦礫に変えるためのものか? ……よく見てくれ。……君たちの故郷にも、この光を、この「解像度」を届ける準備はできているんだぞ』
最前線の兵士たちの足が、ピタリと止まった。
一人の兵士が、構えていた巨大な槍を、音を立てて落とした。
彼の瞳には、指揮魔石の支配を打ち破る「個人の感情」という名のログが、鮮烈に蘇っていた。
頬を伝うのは、恐怖ではなく、かつて忘れていたはずの郷愁と後悔の涙だった。
情報は、増殖する。
最前線で起きた「戦意の消失」というバグは、同期ネットワークを通じて、瞬く間に後方の部隊へと伝播していった。
三万人の兵士が、一斉に武器を捨て、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「……な、何が起きている!? ……なぜ進まん! ……攻撃しろ! ……この忌々しい虹色を焼き払え!!」
後方の安全な場所から指揮官たちが絶叫するが、すでにシステムは完全にフリーズしていた。
兵士たちの脳内は、おじさんが送り込んだ「あまりにも鮮やかで幸福な未来のデータ」でオーバーフローを起こし、殺戮のアルゴリズムは完全にクラッシュしたのだ。
死傷者、ゼロ。
消費した矢も、流れた血も、一滴としてない。
ただ、「情報の解像度」を上げ、隠されていた真実を提示しただけで、三万の軍勢は戦う理由を見失った。
「……勝った。……のか?」
城壁の上で、エリナが茫然と、自分の震える手を見つめて呟く。
「……いいえ。……『互換性』が取れたんですよ、エリナさん。……彼らも、俺たちも、結局は『平和に暮らしたい』という同じルートディレクトリ(根源的な願い)を共有していた。……俺はそれを、デバイスを使って可視化しただけです」
一週間後。
ガリア帝国の皇帝は、ルミナスの街が見せた「情報の奇跡」……あるいは「情報の恐怖」に戦慄し、正式な和平提案を送ってきた。
条件は一つ。この色彩ハック技術と、それを支える「QoL向上インフラ」を帝国にも輸出(ライセンス供与)すること。
「……ふぅ。……戦争を回避するコストとしては、技術提携が一番安上がりで、かつ持続的な解決策だ」
俺は、和平調印式に向かうマルチェロの誇らしげな背中を見送りながら、宿のバルコニーでいつものコーヒーを啜った。
かつての世界で、俺の息子が「パパ、なんで悪いことしちゃう人がいるの?」と聞いてきたことがあった。
あの時、俺は「心が壊れちゃってるからだよ」と適当に答えてしまった。
けれど、今なら、もう少しエンジニアらしい答えが出せる気がする。
正解が見えていないだけだ。……あるいは、誰かが故意に隠しているだけなんだ、と。
「……相棒。……今回の『平和的解決』にかかった魔力消費量は?」
『算出完了。……約1.2テラ・マナ。……ですが、戦争が起きた場合のインフラ損失予測コストの0.0003%以下です。……佐藤。……あなたは今日、歴史上最も「コストパフォーマンスの高い平和」をデプロイしました』
「……そりゃ良かった。……俺の有給休暇も、平和の配当として一ヶ月くらい上乗せしてもらわないとな」
俺はデバイスの画面を閉じ、虹色の光が穏やかに、しかし力強く流れるルミナスの街を見渡した。
情報の力で、死を遠ざける。
くたびれたおじさんの「情報戦」は、ついに国家というシステムをもハックし、血を一滴も流さない革命を成し遂げた。
そして。
いよいよ、真のクライマックス。
色彩の力をすべて集め、この世界の根幹を再起動させる『女神像のファイナル・リブート』の時が、すぐそこまで迫っていた。
第3章・第9話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
剣を抜くよりも、正しい情報を届けることの方が強い。
おじさんのこの信念が、国家間の対立すらも「ライセンス契約」という平和的な商談に変えてしまいました。
兵士たちの脳内に家族の笑顔を映し出すシーンは、かつて単身赴任で家族と離れていた佐藤さんだからこそ描けた、最も強力な「パッチ」だったのかもしれません。
いよいよ次回、第3章・最終回。
第10話「女神の再起動と、新しい色(OS)」。
王都を救い、戦争を止めたおじさんが、最後に女神像に刻む「究極の色彩」とは。
そして、監査役としての彼が選ぶ、次なる「定時退社」の形は……。
第3章の完結まで、あと一歩。
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