第3話:魔法のない『計算』という名の魔法
あれから、俺は男の荷車の修理を手伝った。
手伝ったと言っても、俺がやったのはデバイスの指示に従って、適切な太さの枝を選び、それを軸の折れた部分に当てて、予備の紐で縛る位置を指示しただけだ。
それでも、俺の左腕から放たれる青白いガイドラインと、俺の口から(正確にはデバイスのスピーカーから)出る未知の言語は、男を震え上がらせるには十分だったらしい。
男――ギュンターと名乗ったその農夫は、壊れた車輪が回るのを確認すると、何度も俺に頭を下げた。
「……%$&、#$%!」
『翻訳:ありがとうございます、魔導師様。助かりました。街までたどり着けないかと絶望していたところです』
骨伝導イヤホンから流れる無機質な翻訳音声を聞きながら、俺は力なく手を振った。
「魔導師じゃない。ただの通りすがりの……技術者だ。それより、約束通り村へ連れて行ってくれ。腹が減って死にそうなんだ」
俺の言葉がデバイスから「現地の言葉」で再生されると、ギュンターは恐縮したように、だがどこか嬉しそうに俺を荷車の端へ誘った。
荷車に揺られること数十分。
俺の体は、限界をとうに超えていた。
(……痛い。腰も、背中も、尻も全部痛い。異世界の荷車って、サスペンションもクッションもないのかよ)
ガタゴトと振動がダイレクトに脊椎に響くたびに、俺のHP(体力)が削られていく。
デバイスのバイタルチェックを見れば、疲労度はすでにレッドゾーン。心拍数は落ち着いているが、筋肉の疲労物質がえらいことになっているらしい。
それでも、ようやく見えてきた「エダの村」という集落の灯火は、今の俺には六本木の夜景よりも輝いて見えた。
村は、お世辞にも裕福とは言えなかった。
土壁の家々が数10軒並び、中央には小さな広場がある。
だが、村に入った瞬間に感じたのは、歓迎のムードではなかった。何やら村人たちが広場に集まり、深刻な顔で話し合っている。
「ギュンター! 戻ったか! それより大変だ、代官様への納品書が……」
駆け寄ってきた一人の老人が、ギュンターの隣に座っている俺を見て言葉を失った。
俺の、この薄汚れたとはいえ、この世界には存在しない化学繊維の作業服。そして左腕で淡く光るデバイス。
「ギュ、ギュンター……そのお方は……?」
「村長! 森で助けていただいた魔導師様だ。車輪を一瞬で直してくださったんだ!」
ギュンターが大げさに吹聴するせいで、村人たちの視線が痛いほど俺に突き刺さる。
やめてくれ。俺はただ、温かいスープと柔らかい寝床が欲しいだけの、疲れ切った中年なんだ。
「魔導師様、とおっしゃるか。……おお、なんという幸運。もしや、我らの苦境を救うために神がお遣わしになったのでは……」
村長と呼ばれた老人が、すがるような目で俺を見た。
嫌な予感がする。こういう時、ろくなことは起きない。
「……話を聞こう。ただし、まずは座らせてくれ。あと、何か食い物を」
村長の家――と言っても、少し広いだけの土間の家で、俺は差し出された乾いたパンと、薄い野菜スープを貪り食った。
スープには肉の欠片も入っていなかったが、今の俺には五臓六腑に染み渡る極上のディナーだった。
少し人心地ついたところで、俺は村長に向き直った。
「で、何に困っているんだ。魔導師じゃないと言ったはずだが、相談くらいなら乗れる」
村長は、テーブルの上に置かれた数枚の「羊皮紙」と、何本かの「木の棒」を震える指で指し示した。
「明日、領主様からの代官が『秋の徴税』に来るのです。ですが、今年の不作で納める麦の量が足りず……いえ、足りないのか、それとも計算が間違っているのかさえ、我らにはわからんのです」
「計算が、わからない?」
「はい。恥ずかしながら、この村でまともに文字と数字が扱えるのは私だけでした。ですが、その私が目を患い、帳簿の数字が霞んで読めなくなってしまった。村人たちが持ち寄った納品袋の数と、この木の棒に刻んだ『記録』が、どうしても合わないのです」
俺はため息をついた。
なるほど、文字の読み書きや計算が、この世界では「特殊技能」なんだな。
俺は立ち上がり、テーブルに広げられた羊皮紙を覗き込んだ。
そこには、殴り書きのような奇妙な文字と、不揃いな数字らしき記号が並んでいた。おまけに、記録用の木の棒にはナイフで刻み目が入れられている。
現代のIT現場で言えば、「仕様書なし、ソースコードは手書きのメモ、おまけに一部は文字化けしている」という最悪のプロジェクト案件だ。
「……相棒、出番だ。スキャンを開始。画像補正と、文字認識(OCR)を実行。現地の数値体系と同期しろ」
『了解。解析を開始します……。
文字認識完了。数値体系:12進法と10進法の混在を確認。
木の棒の刻み目を「一次データ」として、羊皮紙の記述との照合を行います』
俺が左腕を羊皮紙の上にかざすと、ホログラムのグリッド線がシュン、シュンと走り抜けた。
村長と、後ろで見ていたギュンターが「ひっ」と短い悲鳴を上げて後ずさる。
「魔導師様……今、何を……?」
「……静かに。今、精霊に数えさせているところだ」
適当な嘘を吐く。
実際には、俺のデバイスの中で、現代の高度なアルゴリズムが羊皮紙の汚れを取り除き、重なった文字を分離し、瞬時にデジタルデータへと変換していた。
『解析終了。
誤差の原因を特定しました。
羊皮紙の3行目、麦の納品単位が『大袋』と『小袋』で混同されています。また、木の棒の記録には、5日前の雨でふやけて読み取れなくなった箇所が2箇所あります。
これらを現在の在庫量から逆算し、再計算します……』
デバイスのウィンドウに、整然とした表――スプレッドシートが展開された。
「……なるほどな。村長さん、あんたの計算ミスじゃない。単純に、記録のルールが途中で変わってるんだ。それから、こっちの袋、ネズミに食われて中身が減ってるぞ。スキャンデータに欠損がある」
「な、なんですと!? ネズミ……? そ、そんなことまでわかるのですか?」
「精霊は嘘を吐かないからな」
俺は指先でホログラムを操作し、村全体の麦の総量を確定させた。
「代官に納める分は、これだ。……ああ、このままだと確かに足りないな。だが、倉庫の奥に去年の『古麦』が混ざってるだろ。それと、こっちの質の悪い分を混ぜれば、規定の量は満たせる。品質検査アプリによれば、混ぜてもバレない程度の差だ」
「おお……おおおっ!」
村長は涙を流して膝をついた。
数日間、村人総出で頭を抱えていた問題が、俺が腕をかざして数分で解決してしまったのだ。
彼らにとって、これは「神の奇跡」か「高度な魔法」に見えるのだろう。
だが、俺にとっては、新人のデバッグ作業を手伝うよりも簡単な、単なる「データの整理」に過ぎない。
「……よし、これで明日の準備は完璧だ。代官にはこの通りに報告しろ。数字の根拠は、俺が紙に書いてやる……あー、いや、あんたたちが読める文字で出力してやるよ」
俺はデバイスの「プリンター共有」機能――ではなく、ペンプロッタの要領で、俺の手をガイドさせながら、羊皮紙の余白に現地の文字で「正解の数字」を書き込んでいった。
作業が終わる頃には、俺の肩は鉛のように重くなっていた。
「終わったぞ……。あー、肩が凝った。おい、ギュンター。約束の寝床は?」
「は、はいっ! もちろんです! 我が家で一番良い毛布を用意させます! さあ、こちらへ、賢者様!」
「賢者じゃない。……ただのおじさんだ」
俺は、村人たちの感謝の合唱を背に、ギュンターの家へと向かった。
その夜、俺はギュンターが用意してくれた、藁の上に厚手の布を敷いただけのベッドに横たわった。
お世辞にも寝心地が良いとは言えない。
だが、泥と汗にまみれた体で、窓の外に広がる、地球では決して見ることのできない「二つの月」を眺めながら、俺はふと思った。
(……魔法もスキルもない。剣も振れない。だけど、この『仕事の道具』だけで、誰かを助けられるのか)
会社では、できて当たり前。できなければ怒鳴られ、深夜まで残業させられる。
それが俺の人生だった。
だが、この世界では、俺の持つ「当たり前」が、絶望を希望に変える力になるらしい。
「……ハック、か。悪くない響きだな」
俺は、左腕で静かにスリープモードに入ったデバイスの画面を見つめた。
明日は筋肉痛がもっと酷くなっているだろう。
代官との交渉なんて、考えただけで胃が痛くなる。
けれど、少しだけ。
この「効率重視」の異世界生活も、悪くないかもしれないと、俺は意識が闇に落ちる寸前に思ったのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ついに「賢者様」と呼ばれ始めてしまった佐藤さん。
本人はただ寝たいだけなのですが、世界がそれを許してくれないようです。
次回、第4話「冒険者ギルドへの門出(仮)」。
ついに村を出て、本格的に「職業:冒険者」としての身分を手に入れようとしますが、そこには「50歳、未経験」という冷酷な現実が待ち受けていました。
面白いと感じていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと幸いです。
おじさんの腰痛が少しだけ和らぐかもしれません!
よろしくお願いいたします。




