第1話:女神の「彩度」が落ちる時
3章開始です!!
「美しさ」というものを数値で測れるようになったのは、人類にとっての幸福だったのか、それとも不幸だったのか。
レアルトの街を救った『迷宮監査役』という大層な肩書き。それによって得られたのは、潤沢な活動資金と、それ以上に厄介な「王都からの直通電話」だった。
宿『三つの月亭』のバルコニー。俺は朝の微かな冷気を含んだ風を感じながら、カップ一杯のコーヒーを啜っていた。かつては駅の自販機で買った安物で済ませていた朝の習慣も、今では豆の選別からこだわった、この世界でも最高級の逸品に変わっている。
だが、その香りを味わう余裕を、左腕のデバイス『Link』が空中に投影した「緊急依頼書」の赤いホログラムが奪い去っていた。
「……相棒。このスキャンデータ、ノイズじゃないのか? 解像度が低すぎるだろ」
『否定します、佐藤。これはセンサーの不具合ではなく、対象の「存在確率」が希薄化している結果です。……王都の聖堂に安置されている「始まりの女神像」。その魔力放射強度は、過去一ヶ月で15.4%減少。……興味深いのは、石材に物理的な摩耗や損傷がないにも関わらず、魔導回路としての機能……すなわち、国全体を覆う広域結界の出力が、目に見えて減衰している点です』
送られてきた「女神像」の近接投影画像。
かつては国を象徴するほど神々しく、目にする者すべてを平伏させたという白銀の石像は、今やどこか薄汚れ、輪郭が砂嵐のようにボヤけて見えた。それは単に経年劣化で汚れているというより、世界の風景からその部分だけ「レンダリング(描画)」が追い付いていないような、形容しがたい違和感があった。
「……彩度が落ちているな。それも、特定のレイヤーだけが剥がれ落ちるように」
俺は思わず、かつてWebデザインの最終チェックで、徹夜明けのデザイナーに叩きつけたような冷徹な言葉を漏らした。
そこへ、厚い石造りの廊下を激しく叩くような足音が響き、扉が遠慮なくノックされる。
現れたのは、ギルドマスターのゾルダン。そして、その後ろには、見たこともないほど豪奢な、金糸の刺繍が施された司祭服を纏った中年の男が立っていた。
「サトウ! 朝早くから済まんが、事態は一刻を争う! 王都から『聖教団』の特使が、軍用馬を三頭潰してここまで駆けつけた!」
「……あなたが、噂の『監査役』殿か。……私は王都大聖堂の意匠監理官、マルチェロと申します」
マルチェロという男は、脂汗を拭うことも忘れ、焦燥しきった様子で俺の手を握った。その手は冷たく、小刻みに震えている。
「監査役殿、どうか、どうかお力添えを! ……国の守護の要である『始まりの女神像』の輝きが、今この瞬間も失われつつあるのです! 当代随一の宮廷絵師たちを呼び寄せ、古の記録にある『荘厳な色合い』で塗り直させましたが、魔力は戻るどころか、かえって弱まってしまった! もはや結界は限界です。このままでは王都が魔物の群れに呑み込まれる……!」
「塗り直した、ですって? ……誰の許可で、どんな基準で色を選んだんですか?」
俺の眉がピクリと動いた。エンジニアとして、最も嫌な予感がしたからだ。
現場の仕様を理解していない人間が、良かれと思って「表面だけ」を弄る。それはシステムにとって、致命的なバグを埋め込む行為に他ならない。
「……それは、教典にある通りの『慎み深く、落ち着いた灰色と茶色』を……。古来よりそれが聖なる色とされてきましたから」
「……相棒。……昨日の事前スキャンデータと、今現在の女神像の色度をシミュレートして比較しろ。魔力伝導率のグラフも添えてな」
『了解。……解析完了。
……佐藤。致命的な「カラー・ミスマッチ」を確認。
……修復に使われた塗料の波長が、古代の魔導回路(意匠)と完全に干渉し、魔力を外部にリークさせています。
……端的に言えば、高画質なモニターの表面を、不透明な泥絵具で塗りつぶしたような状態です。内部の演算回路が熱を持ち、処理落ち(スロットリング)が発生しています』
「……やっぱりか。……ゾルダンさん、マルチェロさん。……女神像の魔力が落ちている原因、一瞬で分かりましたよ。……あんたたちが呼んだ絵師たちが、余計なことをしたからだ」
俺はデバイスを操作し、女神像の表面に流れる魔力の「グリッド線」を空中に可視化した。
本来なら滑らかに繋がっているはずの光の線が、塗り直された箇所の周辺でノイズのように激しく明滅し、断絶している。その光景は、まるで美しい血管が泥で詰まり、破裂しかけているようだった。
「な……!? なんだ、この無惨な光景は……! これが、我が国の守護神の真実だというのか!?」
「……意匠のバグですよ。……マルチェロさん、あんたたちはこの像を『信仰の対象』として、つまり飾り物としてしか見ていない。……でも、これを作った古代の設計者にとって、女神像は街全体を包む結界を維持するための『超高性能な多機能アンテナ』だったんですよ」
俺は冷めたコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がった。
「アンテナである以上、その表面の『色彩』や『形状』には、魔力を効率よく受発信する。ための『絶対的な正解』がある。……それを勝手な宗教的美意識で塗り直すのは、スーパーコンピューターの基板にペンキをぶちまけるのと同じ行為だ。……魔力が通らなくなるのは当たり前ですよ」
「そ、そんな……! では、どうすればいいのですか!? 我々は、良かれと思って……!」
「……デバッグするしかないでしょうね。……本来あるべき色彩……。……魔力が最も共鳴し、加速し、増幅される『究極の意匠』を再構成するんです」
俺の脳裏には、ある鮮烈なイメージが浮かんでいた。
元の世界で目にした、あのビビットで、強烈なコントラストを持ち、見る者の視神経を一瞬でジャックするような色彩。
現代のトップクリエイターたちが描く、彩度の暴力とも言えるほどの輝き。
おそらく、この世界の古代文明……すなわち「サーバー設計者たち」が求めていた機能的な美の正体は、それだ。慎み深い灰色など、効率の悪いゴミに過ぎない。
「……王都へ行きます。……ただし、俺の指示は絶対だ。……途中で『派手すぎる』だの『聖性に欠ける』だのいう、素人のフィードバックは一切受け付けません。……いいね?」
「わ、分かっております! ……すべてお任せいたします! 監査役殿の望む通りの絵具、金箔、素材……すべてを国費で用意させましょう!」
マルチェロが何度も、祈るように頭を下げる。
俺はデバイスの画面に、女神像の「ワイヤーフレーム」を投影し、再構成のためのプロンプトを入力し始めた。
(……美少女像の修復プロジェクト、か。……はた目にはおじさんの趣味の極みに見えそうだが……。……これも、世界という名のOSを正常に保つための、立派なインフラ保守だ)
おじさんの脳内シミュレーションは、すでに「最高に美しく、最高に機能的な女神」のレンダリングを、一秒間に数億回の速度で開始していた。
『佐藤。……プロジェクト「女神の再構築」、正式に承認しました。
……なお、色彩の再構築に伴い、あなたの視覚リソースには一時的な過負荷が予測されます。……美麗な画像の見すぎによる、眼精疲労と脳の過熱に注意してください』
「……わかってるよ。……目薬代わりになる冷却ポーション、1ダース用意しておいてくれ。……長期戦になりそうだからな」
迷宮の深淵を抜けたおじさんが次に挑むのは、世界の「色」そのものをハックし、神の解像度を再起動する、前代未聞のデザイン・プロジェクト。
くたびれたおじさんの監査記録。
失われた色彩を巡る戦いが、今、静かに幕を開けた。
第3章・第1話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
いよいよ王都へと舞台を移す佐藤さん。
女神像の不具合を「レンダリング・エラー」と断じるおじさんの視点は、今回も健在です。
次回、第2話「古代のプロンプト(詠唱)を探して」。
本来の女神の姿を再現するため、佐藤さんはデバイスを駆使して「失われた設計図」の解析に挑みます。
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