第2話:翻訳アプリと、初めての接触
お読みいただきありがとうございます。
第2話では、いよいよ言葉の壁に挑みます。
魔法が使えないおじさんが、現代のガジェットを使ってどうやってコミュニケーションを取るのか。
少しずつ世界が広がっていく様子を楽しんでいただければ幸いです。
川辺で泥のように眠り、目が覚めた時には、周囲は薄暗いオレンジ色に包まれていた。
どうやら数時間は意識を飛ばしていたらしい。
「……痛たた。これ、明日じゃなくて、もう筋肉痛が始まってるな」
這うようにして立ち上がり、左腕のデバイス『Link』の画面を叩く。
空中に浮かび上がったステータス画面は、無慈悲な数値を俺に突きつけた。
『バイタルチェック……疲労蓄積レベル:高。推奨される休息時間:あと8時間。
空腹度:68%。水分摂取が必要です』
「わかってるよ……。飯があれば苦労はしないんだ」
俺は再び小川の水を一口飲み、空腹を紛らわせた。
このまま森で野宿をするのは、あまりにもリスクが高い。デバイスのスキャン機能によれば、夜間は動体検知の反応が数倍に跳ね上がるらしい。つまり、夜行性の「何か」が活動を始めるということだ。
「相棒、文明の匂いがする方向を頼む。一番近くの『人里』だ。なければ、せめて道っぽい場所を」
『承知しました。広域地形スキャンを実行……。
北東2.4キロメートル地点に、人工的な平坦路および微弱な煙の成分を検知。
最短ルートを算出します。なお、佐藤の現在の歩行速度では、到達まで約50分を要します』
「50分、か……。今の俺にはフルマラソン並みの絶望感だな」
俺は重い足を一歩ずつ踏み出した。
デバイスが投影するARのガイドラインを頼りに、暗くなり始めた森を進む。
途中、茂みの奥で「光る目」と遭遇したが、デバイスが『危険度:中。音を立てずに左へ迂回してください』と冷静な指示を出してくれたおかげで、何事もなくやり過ごせた。
二十代の勇者ならここで剣を抜くのだろうが、五十歳の俺は迷わず逃げる。命の安売りをするには、俺は少し長く生きすぎた。
ようやく森を抜け、膝の高さまである草むらを漕いでいくと、そこには確かに「道」があった。
アスファルトではない。馬車が通った跡のような、轍のある土の道だ。
「……あ」
その道の先に、影が見えた。
二つの車輪がついた荷車と、それを引く一頭の大きな家畜。
そして、その傍らで車輪の修理をしているらしい、人影。
「おい、誰か……」
呼びかけようとして、俺は口を閉じた。
ここは異世界だ。言葉が通じる保証はどこにもない。
俺は即座にデバイスを操作し、パッケージに入っていた『言語解析・リアルタイム翻訳アプリ(多言語対応・学習型)』を起動させた。
『翻訳アプリ、スタンバイ。指向性マイクを対象に固定します。
解析用サンプルデータ……不足。会話を継続的に取得し、言語体系を構築してください』
「……やってみるしかないか」
俺は両手を上げ、自分が武器を持っていないことを示しながら、ゆっくりと人影に近づいていった。
相手がこちらに気づき、跳ねるように振り返る。
それは、粗末な布の服を着た、日に焼けた中年の男だった。農夫か、あるいは運送業者だろうか。
男は俺の奇妙な作業服と、光る左腕を見て、顔をひきつらせた。
「$#%&! &*?!」
男が何かを叫ぶ。
案の定、何を言っているのかさっぱりわからない。
だが、左耳に装着しているワイヤレスの骨伝導イヤホンから、デバイスの無機質な合成音声が流れた。
『解析中……文法構造:北方古語系と酷似。語彙データを補完します……。
……「誰だお前は」「魔導具使いか」というニュアンスを検出』
「……ああ、ええと……」
俺は喉を鳴らし、できるだけ穏やかな声を意識した。
「怪しい者じゃない。道に迷ったんだ。腹が減って……助けてほしい」
俺の言葉を聞いた男は、さらに混乱したようだった。
当然だ。あちら側には、俺の言葉が「未知の呪文」か何かに聞こえているはずだ。
『言語学習完了。翻訳出力を開始します。
デバイスのスピーカー、または思考波送信……スピーカー出力を選択。
佐藤の音声を、対象の言語に変換して再生します』
「よし、頼むぞ」
俺は改めて、男に向き直った。
「驚かせてすまない。私はただの旅人だ。車輪が壊れているのか? 良ければ、手伝わせてくれないか」
俺の口から出たのは日本語だったが、ワンテンポ遅れて、左腕のデバイスから「未知の言語」が、はっきりとした発音で再生された。
男は目を見開き、今度は俺の左腕を指差して、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「……! $#%&……『詠唱なし』で『翻訳魔法』だと……!?」
『翻訳結果:「詠唱なしで翻訳魔法だと」と発言しています』
……どうやら、このデバイスそのものが、この世界では「とんでもない代物」に見えているらしい。
俺は内心でため息をついた。
目立ちたくはない。だが、この男の機嫌を損ねれば、今夜の飯どころか、野垂れ死ぬ未来が確定する。
「魔法、のようなものだと思ってくれ。それより、車輪を見せてくれないか」
俺は歩み寄り、デバイスの「構造解析モード」を起動した。
ホログラムの赤いレーザーラインが、折れた車輪の軸をなぞっていく。
『解析完了。木材の疲労骨折です。
応急処置案:あちらの硬い街路樹の枝を切り出し、この角度で補強すれば、5キロメートル程度の走行は可能です』
「よし……。ええと、おじさん。あっちの木を使って直せるぞ。時間は10分もかからない」
俺の言葉がデバイスから出力されると、男は疑わしそうな、それでいて救いを求めるような複雑な表情で、俺と、俺の左腕を見つめていた。
こうして、俺の異世界生活における「初めての営業活動」が始まった。
特別なスキルはないが、この『Link』に入っているツールさえあれば、おじさんの知恵でもなんとかなる……かもしれない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
無事に(?)最初の人類と遭遇した佐藤さん。
デバイスの翻訳機能が「詠唱なしの魔法」と勘違いされるなど、早くも波乱の予感です。
次回、第3話は「魔法のない『計算』という名の魔法」。
助けたおじさんの村へ向かい、そこで佐藤が直面する「異世界の不条理」をITの力で解決(?)していきます。
面白いと感じていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと、執筆のパワーになります!
よろしくお願いいたします。




