第10話:迷宮監査役の誕生
長い、長すぎる残業が終わった。
レアルトの北方にそびえる『虚数迷宮』。その歪んだ門から這い出してきた俺たちの目に飛び込んできたのは、水平線に沈みゆく夕日と、どこまでも青く、そして「論理的に正しい」空の色だった。
「……戻ったぞ。……我々は、生きて戻ったんだな」
アリステアが、俺を背負ったまま、絞り出すような声で呟いた。
彼の銀の甲冑は傷だらけで、マントはボロボロだ。だが、その瞳にはこれまでにない達成感と、確固たる誇りが宿っていた。
俺は、彼の逞しい背中で微かに頷いた。
「……アリステアさん。……重くてすみませんね。……俺の肉体、もう完全にシャットダウン中なんです」
「はは……。気にするな、サトウ殿。……この程度の重み、世界を救った重さに比べれば、羽毛のようなものだ」
「……世界なんて救ってませんよ。……溜まってたタスクを片付けただけです」
俺は誰にも聞こえない声でぼやき、左腕のデバイス『Link』の最終ステータスを確認した。
『プロジェクト:虚数迷宮・システム監査。……ステータス:完了。
……全ての致命的なバグの修正を確認。……空間の安定度、99.9%。
……佐藤。……お疲れ様でした。……直ちに睡眠と、過剰な栄養摂取を推奨します』
「……ああ。……分かってるよ。……もう、何もしたくない」
街への帰還は、俺の望んでいた「密かな帰還」とは程遠いものになった。
レアルトの城門には、異変が収まったことを察知したギルドの職員や、心配して集まっていた市民たちが溢れかえっていた。
ボロボロの『銀翼の騎士団』、そしてそのリーダーに背負われた、見たこともない作業服のおじさん。
その異様な一行が姿を現した瞬間、爆発するような歓声が街を揺らした。
「――おい! 戻ってきたぞ! 銀翼の騎士団だ!」
「迷宮が……迷宮が消えかかっている! 霧が晴れたんだ!」
「あの背負われている男は誰だ!? もしや、噂の『事務の賢者』か!?」
野次馬たちの好奇の視線が、針のように俺を刺す。
俺は慌ててアリステアの背中に顔を埋めた。
(……勘弁してくれ。……俺はただ、定時で帰って寝たいだけなんだ。……英雄扱いは、この輝かしい若者たちだけで十分だろ)
翌日。
俺は、ギルド本部の最上階、ギルドマスター執務室にいた。
昨日とは打って変わって、俺は最高級のポーション(栄養ドリンク)と、半日の睡眠のおかげで、なんとか「人間」としての体裁を取り戻していた。
目の前には、ギルドマスターのゾルダン。そして、昨日の激戦を共にしたアリステアたちが並んでいる。
「……サトウよ。……まずは礼を言わせろ。……貴様のおかげで、この街は救われた。……あのまま迷宮が拡大していれば、レアルトの半分は異空間に呑み込まれていたところだ」
ゾルダンが、分厚い手を差し出してくる。
俺はそれを、恐る恐る握り返した。熊のような握力に、また右手が壊れるかと思った。
「……礼なら、アリステアさんたちに言ってください。……俺は後ろで板を叩いていただけですから」
「……謙遜はいい。……サトウ殿。……君のいない迷宮は、ただの死への直行便だった」
アリステアが、真剣な眼差しで俺を見つめる。
「……私は決めた。……これより、我ら『銀翼の騎士団』は、君を名誉顧問として迎えたい。……君の言葉こそが、我らの進むべき『最速のルート』だ」
「……僕も異議なし! ……サトウさんのいない冒険なんて、もう考えられないよ」
カイルが元気に手を上げる。エラリーも、少し赤くなった顔で俯きながら頷いた。
「……まあ、あんな効率的な戦いを見せられたらね。……泥臭いだけの冒険には、もう戻れないわ」
俺は、彼らの熱い視線に、ただ苦笑いを返すしかなかった。
ゾルダンは、テーブルの上にズッシリと重い革袋を置いた。
チャリン、と美しい金属音が部屋に響く。
「……これが、約束の報酬だ。……金貨20枚。……それと、この先の身分証だ」
俺が差し出された身分証を受け取ると、それはこれまでの鉄色ではなく、見たこともない「クリスタルのような輝き」を放つ特殊なものだった。
そこには、俺の顔写真(のような精密な似顔絵)と共に、現地の文字でこう刻まれていた。
『冒険者ギルド特別顧問・迷宮監査役 サトウ・ケンジ』
「……迷宮監査役、ですか」
「そうだ。……貴様には、今後、レアルト近郊のあらゆる迷宮の『正常性』を監視する権利を与える。……貴様が『危険』だと判断した迷宮には、我々ギルドも即座に立ち入り禁止を出す。……いわば、迷宮の生殺与奪の権限を握る、街の門番だ」
門番。……あるいは、システムのセキュリティ管理者だ。
俺は、その重厚なプレートを見つめながら、溜息を一つ吐いた。
「……一つ、確認ですけど。……これ、毎日出勤しなきゃダメですか?」
「……はははっ! 相変わらずだな、貴様は。……基本は自宅待機で構わん。……異常が発生した時だけ、その『板』で俺たちに報告を上げろ。……あ、それと。……事務局の連中が、貴様に『計算の自動化』の講義をまたやってほしいと泣きついていたぞ」
「……それは追加報酬(残業代)を出してくださいよ」
俺たちは、不自然なほど晴れやかな空気の中で、笑い合った。
その日の夜。
俺は、『三つの月亭』の特別室で、約束の「打ち上げ」を行っていた。
テーブルの上には、俺の好みを把握したミーナさんが手配してくれた、カリカリに焼けた特大のピザ(に近い料理)と、キンキンに冷えたエールが並んでいる。
「――カンパーイッ!!」
アリステア、エラリー、カイル。
最強のパーティーと共に、俺はジョッキを合わせた。
高級なチーズがとろけるピザを頬張り、冷えたエールを喉に流し込む。
「……くぅぅ……これだ。……これを求めていたんだ。……迷宮でのインスタント飯も悪くないが、やっぱりプロの味は違うな」
「……サトウさん。……また、一緒に行こうね。……次は、もっと南にある『歌う森』とか……」
「……カイル君。……悪いけど、しばらくは休暇だ。……俺は、この金貨を使い切るまで一歩も外に出ないぞ」
俺の言葉に、みんなが笑った。
夜風が、バルコニーから吹き込んでくる。
見上げる夜空には、二つの月が静かに並んでいた。
会社員だった頃の俺は、こんなふうに誰かと笑い合いながら、達成感に浸ることなんて一度もなかった。
失敗すれば怒られ、成功すれば「やって当たり前」だと言われる世界。
でも、この世界は。
俺が必死に動かした「論理」の先に、心からの感謝と、美味しい酒、そして信頼できる仲間がいた。
「……悪くない。……五十歳からのキャリアアップも、悪くないな」
俺は、左腕で静かに点滅する相棒に、心の中で呟いた。
『佐藤。……本日の幸福度指数、計測不能。……リミッターを突破しました。
……アドバイス。……飲みすぎは、明日の肝臓に重大なバグを発生させます。……摂取量はジョッキ3杯までに留めてください』
「……ふん。……今日だけは、その警告は無視だ」
俺は、新しいジョッキを掲げた。
魔法の迷宮を、エンジニアの知恵でハックする。
くたびれたおじさんの「迷宮監査役」としての新しい日々は、こうして賑やかな喧騒と共に、幕を開けたのだった。
――第2章:新米冒険者はデータの夢を見るか? 【完】
第2章・完結までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
最初はただの「くたびれたおじさん」だった佐藤さんも、今やレアルトの街になくてはならない「監査役」となりました。
魔法の正体が古代のサーバーだったという驚愕の展開を経て、彼と相棒の関係も、より強固なものになったようです。
おじさんの物語は、ここで一旦一区切りとなりますが、もし続き(第3章)が見たい!と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価(★★★★★)】で応援いただけると、とても励みになります!
第3章では、隣国からの視察団や、新たな「巨大なシステムバグ」が佐藤さんを待ち受けているかもしれません。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
よろしくお願いいたします。




