第9話:決戦:システムコアの再起動
巨大なサーバーがクラッシュする時、それは静かに訪れるのではない。
断末魔のような悲鳴と、物理的な崩壊を伴って、周囲のすべてを道連れにしようとする。
光の管理者が霧散した直後、広場を支配したのは、これまでにないほど不快な「電子的な震動」だった。
「……サトウ殿! やったな、敵は消えたぞ!」
アリステアが、大剣を杖代わりにして立ち上がり、勝利の声を上げた。だが、俺は彼に応える余裕さえなかった。
視界の端で点滅する、真っ赤な警告ログ。
『警告。……管理者権限(ルート権限)の消失を確認。
……システムは「修復不能」と判断。
……プロトコル「終焉」が自動実行されました。
……半径10キロメートルの全パーティションの初期化を開始します。残り時間:600秒』
「……嘘だろ。……ラスボスを倒したらエンディングじゃないのかよ……!」
俺は、激しい頭痛に耐えながら叫んだ。
周囲の壁が、パラパラと砂のように分解され始めている。崩れているのではない。石造りのテクスチャが剥がれ、その奥にある「虚無」が露わになっているのだ。
「……サトウさん、顔色が真っ青よ! ……何が起きているの!?」
エラリーが駆け寄り、俺の肩を掴む。
「……この迷宮が、心中を始めたんだ。……あと十分で、この街ごとすべてを消し去るつもりだぞ」
「……なんですって!? ……そんなこと、止められないの!?」
「……止める方法は、ただ一つ。……あのコアに直接アクセスして、強制的に『正常終了』させるしかない」
俺は、中央で不気味に脈動する巨大なクリスタルを指差した。
クリスタルの周囲には、物理的な防御壁こそ消えていたが、代わりに触れるものすべてを分解するような「高密度の魔力ノイズ」が渦巻いている。
「……相棒。……俺の精神(意識)を、あのクリスタルの中に直接流し込めるか?」
『……極めて危険です、佐藤。……あなたの脳は、先ほどのオーバークロックですでに疲弊しています。……これ以上のデータ流入は、あなたの自己同一性を破壊する恐れがあります』
「……いいから、ポートを開けろ! ……ここで街ごと消されたら、金貨20枚を受け取る相手がいなくなるだろ!」
俺はふらつく足取りで、クリスタルの前まで歩み寄った。
「……皆さん、最後のお願いだ。……俺がコアをハックしている間、このノイズの中から這い出してくる『エラーの残党』から俺を守ってくれ。……一歩も動けない俺の背中を、預けてもいいか?」
アリステア、エラリー、カイル。
三人は一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐにそれぞれの武器を構え、俺を取り囲むように背を向けた。
「……任せろ、サトウ殿。……君を傷つけさせはしない。例え、この迷宮が崩壊しようともな!」
「……早く終わらせなさいよ、おじさん。……帰って、そのピザとやらを奢ってもらうんだから!」
俺は、彼らの言葉に小さく頷き、震える手をクリスタルに触れた。
――瞬間。
世界が、反転した。
俺の意識は、肉体という殻を脱ぎ捨て、情報という名の海へと投げ出された。
視界を埋め尽くすのは、黄金色の文字の奔流。
数千年前のエンジニアたちが書き連ねた、この世界の理を定義する膨大なソースコード。
『……佐藤。……これより、マニュアル・オーバーライドを開始します。
……現在、システムは「永久に終わらない再帰呼び出し」に囚われています。
……このバグの「親プロセス」を見つけ出し、KILLコマンドを実行してください』
俺は、意識の腕を伸ばし、情報の海を掻き分けた。
熱い。脳が、沸騰しそうだ。
かつての深夜残業、トラブル対応、謝罪行脚。
俺の人生のすべての苦い記憶が、このデータの奔流と混ざり合い、俺の心を削り取っていく。
(……見つけた。……これか)
暗黒の情報の底に、一つの歪んだ「文字の塊」があった。
それは、数千年前、何らかの災害で中断された「祈りの儀式」を完了させようとする、自動実行プログラムの残骸。
実行すべき対象がいなくなった後も、そのプログラムは「完了」の返り値を求めて、数千年間も空回りし続けていたのだ。
(……可哀想にな。……誰も、お前の仕事を終わらせてくれなかったんだな)
俺は、その悲しいバグに向かって、デバイスを通じた「解決策」を提示した。
「――お疲れ様。……この業務は、本日を持って終了だ」
俺は、管理者権限を叩き込んだ。
『[sudo systemctl stop akasha-core.service]……。
[Target reached: Power Off].』
現実世界では、アリステアたちが絶望的な戦いを繰り広げていた。
空間の裂け目から次々と溢れ出す、形を成さないデータの怪物たち。
エラリーの魔力は底をつきかけ、カイルは無数の傷を負い、アリステアの盾は砕けていた。
「……サトウ殿、まだか……!?」
背後で叫ぶアリステアの言葉に、俺の指先がピクリと動いた。
クリスタルの脈動が、止まった。
激しく吹き荒れていた魔力のノイズが、嘘のように静まり返る。
そして。
迷宮全体に、穏やかな、しかし絶対的な「音」が響いた。
――[Goodbye].
視界が、ゆっくりと元に戻っていく。
崩れかけていた壁が、その崩壊を止め、元の石造りへと固定された。
空中に浮かんでいたノイズの砂嵐は消え、窓もないはずの最深部に、本物の「月明かり」のような柔らかな光が差し込んだ。
「……は、はぁ……。……終わった……のか?」
アリステアが、膝をついて激しく喘ぐ。
エラリーとカイルも、その場に倒れ込み、自分たちの生きている実感を取り戻そうとしていた。
俺は、クリスタルからゆっくりと手を離した。
左腕のデバイスは、すっかり熱を持ち、画面には『System Idle(待機中)』の文字が静かに表示されている。
『……お疲れ様です、佐藤。
……初期化プロセスの停止を確認。……システムは「セーフモード」での再起動に成功しました。
……この迷宮は、もう拡大することはありません。……ただの「静かな遺跡」へと戻りました』
「……そうか。……なら、いい」
俺は、安堵のあまり、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
そこにはもう、歪んだ幾何学模様も、逆さまの階段もない。
ただ、古代の職人たちが精巧に作り上げた、美しいドーム状の石天井があるだけだった。
「……サトウ殿」
アリステアが、ボロボロになった手で俺の肩を叩いた。
「……君は、本当に……世界を救ったのだな」
「……世界なんて大層なもんじゃない。……ただの、溜まりに溜まった『仕事の片付け』ですよ。……さて、アリステアさん」
「何だ?」
「……悪いけど、俺を背負って帰ってください。……俺の体力ゲージ、もうマイナスに入ってるんです……」
「ははは……。ああ、任せろ。……最強の賢者を運ぶのは、騎士の誉れだ」
アリステアの豪快な笑い声が、静まり返ったコア・ルームに響き渡った。
魔法の迷宮を、ITの論理で正常終了させる。
くたびれたおじさんの「システム再起動」は、数千年の時を超えたバグを修正し、世界に束の間の平穏を取り戻したのだった。
第2章・第9話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
かつての社畜生活で培った「バグへの同情心」と「ルート権限」で、ついに迷宮を黙らせた佐藤さん。
文字通り命を削ったデバッグでしたが、ようやく本当の「定時退社」が見えてきました。
次回、第10話「迷宮監査役の誕生」。
帰還した一行を待っていたのは、英雄としての称賛と、ギルドからの「とんでもない辞令」でした。
おじさんの第2章、ここに完結です!
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