第3話:動く迷宮と、おじさんのマッピング
迷宮の入り口というのは、いつだって不気味なものだ。
だが、レアルトの北方に突如として出現した『虚数迷宮』の入り口は、不気味というより「不自然」だった。
周囲の森の風景から切り取られたかのように、そこだけ空間が歪んでいる。石造りの門柱は左右で高さが異なり、奥へと続く階段は、見つめているだけで平衡感覚を失いそうになるほど奇妙な角度で捻じれていた。
「……相棒。視覚情報の補正を最大にしろ。このままじゃ、中に入る前に三半規管がやられる」
『了解。……周辺空間の幾何学的な歪みを検知。佐藤の網膜投影に「水平基準線」を重畳します。
……警告。この迷宮、通常の物理法則が一部オーバーライドされています。慎重な進行を推奨します』
「オーバーライド、ね。……仕様変更が多すぎる現場みたいだな」
俺は誰にも聞こえない声で愚痴をこぼし、重い足取りで一歩を踏み出した。
俺の後ろには、昨日キックオフを終えた『銀翼の騎士団』の面々が続いている。
リーダーのアリステアは、昨日指摘した剣のヒビをギルドお抱えの鍛冶師に緊急修理(パッチ当て)させたようで、その表情には緊張と、俺に対する微かな期待が混じっていた。
「……サトウ殿。準備はいいか。ここから先は、我々の常識が通用しない空間だ。……決して、我々の側から離れないでくれ」
「……ええ。……アリステアさんこそ、俺の指示を聞くまでは剣を抜かないでくださいよ。……無駄なリソースの消費は、攻略の効率を下げますから」
俺たちは、吸い込まれるように歪んだ階段を下りていった。
第一階層。
内部は、青白い燐光を放つ苔に覆われた、巨大な回廊だった。
だが、その構造はあまりにも異常だった。
「……何だ、これは。……三日前に入った時とは、全く形が違うぞ!」
斥候のカイルが、愕然とした声を上げた。
彼の持つ手書きの地図は、もはや何の役にも立たない。かつて直線だった通路は円を描き、そこにあるはずの広場は、巨大な壁によって遮られていた。
「……カイル、落ち着きなさい」
魔導師のエラリーが、杖を構えながら鋭い声を飛ばす。
「……私の『探知魔法』で経路を……。……っ、な、何これ!? ……跳ね返ってくる魔力の波形が、バラバラだわ! ……迷宮が、意志を持っているみたいに情報を拒絶している!」
「……魔法の探知は無駄ですよ。……エラリーさん」
俺は、左腕のデバイス『Link』のホログラムを、彼らにも見えるように空中に大きく展開した。
「……相棒。……パケット通信の要領で、微弱な魔力パルスを四方に飛ばせ。……反射時間を計測して、動的なマッピングを実行。……変化のログを取れ」
『了解。……アクティブ・スキャンを開始。
……10秒ごとに構造の「再構成」を確認しました。
……佐藤。この迷宮は、一定の周期でメモリを解放し、新しい地形データを書き込んでいます。
……つまり、ここは『動的配列』で構成された迷宮です』
「……動的配列、か。……メモリリークでも起こしてくれりゃ楽なんだがな」
俺は、ホログラム上に生成された「刻一刻と形を変える3Dマップ」を指差した。
「……皆さん。……見てください。……壁が動いているように見えますが、実はそうじゃない。……特定の場所にある壁が『消え』、別の場所に壁が『生成』されているんです。……これは魔法の呪いじゃなく、ただの『処理ルーチン』ですよ」
アリステアたちが、食い入るようにホログラムを覗き込む。
「……この青いラインが、今現在の正しい通路だ。……だが、3分後にはここが壁に置き換わる。……代わりに、あそこの行き止まりが『開く』。……いいですか、俺がカウントダウンを始めたら、全速力であの行き止まりに向かって走ってください」
「……壁に向かって走れと言うのか!? ……狂気の沙汰だ!」
「……俺を信じるって、昨日言いましたよね? ……それとも、あてのない魔法探知で迷い死にますか?」
俺の冷徹な問いかけに、アリステアは奥歯を噛み締め、剣を握り直した。
「……わかった。……諸君、サトウ殿の指示に従え! ……準備をしろ!」
俺はデバイスのタイマーを見つめる。
迷宮のアップデートまで、あと15秒。
「……10、9、8……。……走り出して!」
「――行くぞッ!!」
アリステアを先頭に、俺たちは全力で「行き止まり」の壁に向かって駆け出した。
50歳のおじさんの心臓が悲鳴を上げ、膝がガクガクと震える。だが、ここで止まれば、文字通り「壁の中に埋め込まれる」という致命的なバグが発生する。
「……3、2、1……今だ!」
衝突する、と思った瞬間。
目の前の石壁が、ノイズのようにブレ、一瞬にして消失した。
その向こう側に現れたのは、下層へと続く螺旋階段。
「――なっ、本当に道が開いた……!?」
カイルが驚愕の声を上げる。俺たちは間一髪で、新しく生成された通路へと滑り込んだ。
背後で、ついさっきまで俺たちが走っていた空間に、巨大な石壁が轟音と共に「出現」した。
「……はぁ、はぁ……。……死ぬ。……定時退社の前に、過労死するわ、これ……」
俺はその場に座り込み、激しく上下する肩を抑えた。
『佐藤。……心拍数が140を超えています。深呼吸を推奨します。
……なお、現在の位置は第二階層。……第一階層の踏破時間は、過去のAランクパーティーの記録を70%短縮しました』
「……効率がいいのはいいことだが、おじさんの体力ゲージを無視した設定はやめてくれ……」
アリステアとエラリーは、呆然とした顔で、閉ざされた壁と俺を交互に見ていた。
「……サトウ殿。……貴殿には、本当にこの迷宮の『理』が見えているのだな」
エラリーが、震える声で杖を指した。
「……今のは、ただの幻術じゃない。……世界そのものが書き換わった。……あんな神の御業のような現象を、あなたは『周期』だと言い切ったのね……」
「……神様は、もっと親切な設計をしますよ。……これは、もっと雑で、効率の悪いシステムだ。……おそらく、この迷宮を作った『何か』は、もう制御を失っている。……だから、あちこちに矛盾した通路ができるんです」
俺は立ち上がり、膝の埃を払った。
「……いいですか。この迷宮において、皆さんの『経験』や『勘』はバグの元です。……『道があるから進む』のではなく、『道ができるから進む』。……この考え方に切り替えてください。……そうしないと、この先の『動く敵』には勝てませんよ」
「……動く、敵?」
アリステアが眉をひそめたその時。
螺旋階段の奥から、ガシャン、ガシャンという、重厚な金属音が響いてきた。
それは、石の回廊にはあまりに不釣り合いな、巨大な金属製のガーディアンだった。
だが、その姿は異常だ。腕が三本あり、頭部が逆さまに付いている。さらに、その動きは滑らかというにはほど遠く、数秒ごとにカクカクと不自然な加速を繰り返していた。
『警告。……「不具合のある自律防衛プログラム」を検知。
……対象は空間のバグの影響を受け、物理演算が乱れています。
……佐藤。あいつの動きは、視覚的に予測不可能です。……フレームレートが飛んでいます』
「……フレームレートが飛んでる、だと? ……チート(加速)野郎かよ」
俺は、デバイスからアリステアたちの視界に「リンク」を繋いだ。
「……皆さん。……あいつの動きを目で追わないでください。……俺が、あいつの『次の出現位置』をマーカーで表示します。……そこに、剣を置いておくだけでいい」
「……出現位置だと? ……あんなにデタラメに動いているのにか!?」
「……デタラメに見えるのは、あいつの座標処理がバグってるからです。……でも、移動先の計算は一定だ。……行きますよ!」
俺はホログラムを操作し、ガーディアンの3秒後の座標を割り出した。
アリステアの視界に、真っ赤な『×』印が投影される。
「……アリステアさん、右斜め前! ……そこに大剣を叩き込め! ……今だ!」
「――おおおぉぉッ!!」
アリステアが、誰もいない空間に向かって、全力の大剣を振り下ろした。
その直後。
ガーディアンが、文字通り「瞬間移動」するように、アリステアの剣の軌道上に姿を現した。
ガギィィィィンッ!!
完璧なタイミングでの一撃。ガーディアンの金属の頭部が、自らの加速の勢いも相まって、粉々に砕け散った。
「……な、何が起きたの……!?」
エラリーが絶句する。カイルも、腰を抜かしたようにその場に立ち尽くしていた。
「……予測撃ちですよ。……格闘ゲームの基本です」
俺は、デバイスの熱を逃がすように腕を振った。
エリート冒険者たちが必死に戦って勝てなかった迷宮の「怪物」を、ただの予測演算で無力化する。
彼らにとっての「未知の恐怖」が、おじさんの手元で「解読可能なデータ」に変わっていく。
「……サトウ殿。……君は、本当に何者なんだ?」
返り血を拭うことも忘れ、アリステアが震える声で尋ねる。
「……ただの、しがないシステム監査役ですよ。……さて、定時まであと三時間。……第二階層の『バグ』を、さっさと片付けましょうか」
俺は、さらなる深淵へと続く暗い通路を、デバイスの青い光で照らした。
迷宮のシステムをハックする。
くたびれたおじさんの「監査」という名の冒険が、本格的に加速し始めていた。
第2章・第3話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
物理演算が乱れ、フレームレートが飛んでいる敵……。
ゲーマーやエンジニアなら一度は苦しめられたことのある「挙動不審なバグ」を、佐藤さんはデータでねじ伏せていきます。
次回、第4話「効率的な進軍、あるいは散歩」。
おじさんのナビゲーションに慣れてきた騎士団。
あまりにもスムーズすぎる進軍に、彼らは次第に「自分たちが何と戦っているのか」がわからなくなっていきます。
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