006 見習いの少女 3
「……え?」
そして、歩き疲れたセリアがそろそろひと休みしようかと思いかけた時、……それが目に入った。
「……ズタボロで、死にかけた、……仔犬?」
地面に転がった、血塗れで意識のない、仔犬。
まだ死んでいないということは、呼吸のために身体が微かに動いていることから、かろうじて判別できた。それに気付かなければ、死体としか思えないような状態である。
「自己回復……、していない? 魔力切れ?」
普通の動物であっても、多少の魔力はある。それが、意識せずとも自然に治癒や回復を促進するものなのに、この仔犬は回復の兆候が全くない。
……ということは、魔力が残っていないということである。
「もっと酷い怪我をしていて、ここまで回復するのに魔力を使い果たしちゃったのか……。
でも、このままじゃ……」
……助からない。
それがはっきりと分かるくらい、酷い状態であった。
「…………」
野良犬か、狼の仔。
保有魔力量は、ごく僅か。
たとえそうしても、助かるかどうか、分からない。
「……いや、助からなければ、また使い魔を捜せば済むだけのこと。問題は……」
そう、助かってしまった場合、である。
ろくな魔力量もなく、戦闘力も大したことがない。
成長すれば、食費がかなり掛かる。
使い魔として世話をするだけの価値がない。
……そして何より、数日後に迫ったハンター試験には、何の役にも立たない。
(……どうする? どうする? どうする……)
今までは、ひとりであることの寂しさをまぎらわすために考えたことを口に出していたが、さすがに思案の内容は頭の中だけで考えている、セリア。
(このままだと、多分死んじゃう。でも、使い魔の契約をしてパスを通せば、私の魔力で身体強化と治癒の促進ができて、助かるかも……。
でも、使い魔の契約をして、そして助かれば……)
自分かこの仔犬、どちらかが死ぬまで、契約が続く。この、満タンの状態であっても僅かな魔力量しか持たないであろう、小さな仔犬との使い魔契約が……。
そしてそれが意味するのは……。
(ハンター試験は、使い魔による魔力増加なしの、今のままの状態で臨まなければならなくなる……)
使い魔契約をして魔力のパスを通すことは、おそらく可能であろう。
死にかけである今の状態であれば、契約を拒めるだけの精神力も魔力もあるまい。
戦って屈服させ、服従を強いるという形での契約の場合と同じ状況である。
……しかし、そうした場合……。
自分の飼い犬でも何でもない、ただの野生の仔犬。
弱肉強食の、自然の摂理。
淘汰圧により、弱きもの、不適なものを排除しようとする、種を強くし守るための自然の摂理であり、神の意思。
……死すべき運命の、ちっぽけな命。
血に塗れていなければ、ふわふわのもこもこであろう、純白の毛並み。
まだ生後数カ月であろう、小さな命。
到底助かりそうにない怪我を負いながら、諦めずに生きようと必死に足掻き、空気を取り込み、酸素を送り続ける、その小さな肺と心臓。
意識はないであろうが、ぴく、ぴくと微かに動く、その手足。
「あああああああ〜〜っ! 分かったわよ! 分かりましたよ、コンチキショーがっっ!!」
そして小さな生き物に歩み寄り、しゃがみ込んで……。
「我、そなたの命を奪わず。同じ神によりて同じ大地に生まれし同胞として血の盟約を結び、心を共にすることを誓わん。
……異議なき時は、沈黙をもって同意とせよ……」
そして、作業用のナイフで左手の小指をほんの少し傷付けて、僅かに血が滲み出るその部分を、その小さな生き物の傷口にそっと押し当てた。
普通であれば、この時点で一種の精神感応のようにこの言葉の意味が伝わるはずであるが、意識のない生き物に異議を唱えることなどできるはずもなく、契約はそのまま受け入れられた……という形になった。
通常であれば、戦うことによって体力と魔力、そして抵抗の意思を削ぎ落とし、精神的にも魔力的にも抗えず、受け入れざるを得ないようにしてから行う儀式である。それが、既にそうなっている状態であったため、そのまま行えたわけである。
これが、同じように死にかけのドラゴンとか死にかけのグリフォンとかに出会えたのであれば、千載一遇の幸運であるが、そもそも、そんな強い神獣や聖獣が、死にかけでその辺りに転がっているわけがない。
もし格上の生物に倒されたとしても、その場合はちゃんと止めを刺すであろうから、そのような状態で生きているということはあり得ない。
そして、徐々に魔力のパスが繋がり、流路が形成されてゆく。
(この程度の仔犬だと、空っぽの魔力を完全に補充するのに、私の魔力の1割、いや、5分もあれば充分か……)
魔力が完全に枯渇すると、回復や治癒に回せる分がなくなるだけでなく、意識を失って倒れてしまう。
それだけで死ぬことはないが、それが戦場であったり、助けてくれる者がいない危険な森の中とかであれば、結果的に死に繋がる場合が多い。
しかし、今回はそのような心配は必要ないはずであった。
(……よし、成功だ! 魔力のパスが開き、私の魔力が仔犬に流れ込み始め……)
そして、ぷつりとセリアの意識が途絶え、その場に倒れ込んだ。
* *
「……ここは……、知ってる天井だ……」
意識を取り戻したセリアの目に映ったのは、嫌というほど見慣れた、自分のベッド……と言うと寝具職人が助走を付けて殴りかかって来そうなレベルの、ただの木製の台……に横になった時に見える、お馴染みの天井であった。
……つまり、ここは自分の家である。
「お姉ちゃん、重いよ! もっとダイエットしてよ。森からここまで運ぶの、すごく大変だったんだからね!」
「……え……。森? 運ぶ? どうして……。
ええと、私は確か、……使い魔を探して森の中へ……。
……って、犬! あの仔犬はっ!!」
そう叫び、慌てて周りを見回すセリア。
どうやら、妹からの『重い』という暴言は、聞き流したようである。
「あの子なら、ほら、そこ。そこの木箱の中だよ」
そう言われて、指差された場所を見ると、確かにそこにある木箱の中に、あの仔犬が入っていた。
血塗れで、意識がないままであるが……。
木箱の中にはちゃんと藁が敷いてあり、一応、出来得る限りの配慮はなされているようであった。
血塗れのままなのは、体力を失った状態の仔犬や子猫を洗うと、それにより僅かに残っていた体力を消耗してしまい、死んでしまう場合があるからであろう。
なので、お湯に浸して固く絞った布で軽く拭いてやり、温めたミルクを染み込ませた布を口に含ませるとか、身体を温めてやるくらいに留めた方が良いと判断したようである。
妹……10歳前後に見える少女……としては、自分の知識でできる限りの、最大の努力を行ったようである。
「それと、この子、犬じゃなくて狼っぽいよ。狼としても、ちょっと変だけど……。
突然変異か何かかな? だから、群れから追放されてひとりぼっちのところを、他の獣か魔物に襲われたんじゃないの?」
「なる程、確かに……」
妹のリゼルの推測に、納得して同意するセリア。
リゼルはまだ10歳であるが、かなり頭がいい。
言動は普通に年相応なのであるが、洞察力と思考力に優れているのである。
その点、姉のセリアは15歳であるが、魔法の制御と応用能力には優れているが、その他はごく普通の少女である。
……いや、正義感と負けず嫌いは、人一倍であったが……。
「で、どうしてあんな場所で魔力枯渇でぶっ倒れていたのよ?
もし、今日はどのあたりに行く予定かを聞いていなかったら。
予定の時間を過ぎても全然帰って来ないから捜しに行って、すぐに見つけられていなかったら。
私が見つける前や、荷車を取りに戻っている間に、魔物に襲われていたら。
荷車が使えない、森の奥の方だったら。
……どうなってたと思うのよ! この、この、……馬鹿姉ええぇ〜〜!!」
今まで普通の態度であったのに、急に顔をくしゃりと歪め、ぽかぽかとセリアの胸を叩くリゼル。
無理もない。両親を失い、残ったたったひとりの家族なのである。
もし、今、姉まで失えば……。
そう考えると、恐怖と悲しさと、そしてそのような危険な真似をした姉に対しての怒りがこみ上げるのも無理はない。
そしてそれは自分にもよく理解できるため、謝るしかないセリア。
「……ごめん。ごめんね、リゼル……」
もし、リゼルが同じようなことをすれば。
そして、自分ひとりが残されたら。
そう考えると、心から謝罪するしかない。
そしてひとしきり泣いた後、ようやく落ち着いたリゼルが、疑問の言葉を溢した。
「でも、お姉ちゃん、いつも超慎重派だよね? なのに、自分の魔力量が少ないことを自覚しているから常に魔力量の残りを気にしているお姉ちゃんが、単独行動の時に魔力枯渇で倒れるなんてことはあり得ないよね? いったい、何があったの?」
……実は、セリアにもよく分かっていない。
なので、自分の頭の中を整理するという意味も込めて、リゼルに経緯を説明するセリアであった。




