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茅野さんと飯森くん

作者: 高月麻澄
掲載日:2025/10/29

「――好きだ。付き合ってほしい」


 誰もいない、放課後の図書室。

 閉館作業を終えて帰ろうとしたとき、そう告白されて、理子(りこ)は困惑した。

 だって、告白してきた相手が相手だったから。


 同じクラスで、もう一人の図書委員――飯森(いいもり) 恭介(きょうすけ)

 身長が高くて顔も良くて、でもそれを鼻にかけることもないくらい性格も良い。明るくてクラスでも人気者だから、男女問わず交友関係だって広い。もちろん、クラスでは目立たない自分のような存在にも気さくに声をかけてくれる――まるで物語の中から飛び出してきたような、素敵な人。


 だから、そんな相手に告白されたところで、理子は飯森の言葉をすぐには信じられなかった。

 本が好きで暇さえあれば読書をしているような、あまり人と関わらない自分がまさか、彼のような男の子に好かれるなんて、到底思えなかったから。


 クラスで太陽のような存在の彼と、日陰者の自分。住む世界が違いすぎて、明らかに釣り合いが取れていない。

 唯一の接点といえば、こうして週にたった一度、放課後に図書室の当番を一緒にするくらい。

 それでも、彼に好かれるようなことをした覚えなんてない。


 まだ、友達内での遊び、たとえば『罰ゲームで嘘告白』してきた、という方が信じられた。

 もっとも、飯森がそんなことをするような人間ではないと、わかってはいるのだけど。


 それに、告白をしてきた飯森の顔が、その真剣さを物語っていた。

 緊張した面持ち。頬は紅潮しているし、よく見れば身体も小さく震えている。

 教室でも、図書室でも、こんな彼はこれまで見たことがなかった。


 これは本気の告白――それをようやく理解して、理子は目を見開いた。

 初めて男の子から告白された、ということもあるが、それよりも――


「……茅野(かやの)?」


 固まってしまった理子の顔を、心配そうな表情をした飯森が覗き込んでくる。眉を下げてもなお整ったその顔が近付いてきて、理子は息を呑む。一瞬で頬と耳が熱を帯びたのがわかった。


 ――自分も、好きだったから。


 こんな自分にも話しかけてくれて。女の子扱いしてくれて。

 当番中にもよく本を読んでいるからか、オススメの本がないか訊いてきたり。そして、勧めた本を読んでくれて、その感想を楽しそうに報告してくれたり。


 そんなの、好きにならないわけがなかった。


 ふと目が合うと向けてくれる、柔和な笑顔が好き。あんまり人と話すのが得意じゃない自分の話を、ゆっくり聞いてくれるのが好き。勧めた本をちゃんと読んでくれるのが好き。「茅野」とちょっと低めな声で、でも穏やかに呼んでくれるのが好き。並んで歩くとき、ペースを合わせてくれるのが好き。


 たくさん、好きなところがあって――それが唐突に(あふ)れてきて、理子の頬を伝った。


「――ちょっ、茅野⁉ ……ごめん、なんか嫌だった?」


 慌てて顔を伏せたが、飯森にばっちり見られていた。

 こんなときにも優しいその言葉が、余計に涙を溢れさせる。


「っ、ち、ちがう、の……っ……」


 告白が嫌だったと勘違いされたくなくて、震える声で理子は慌てて否定する。

 好きな人に告白されて嫌なわけがない。嬉しいに決まってる。


 でも。


 それ以上に思ってしまう――なんで、自分に、と。


「……ごめん、いきなりでびっくりさせちゃったよな」


 こちらを(おもんぱか)ってくれる、飯森の優し気な声音。

 手の甲で涙を拭いながら、理子はそれを嬉しく思う。

 と同時に、飯森の想いを受け取るわけにはいかない、という気持ちも湧いてくる。


 だって、釣り合ってない。住む世界が違う。

 自分が退屈な女だということは自覚している。もし付き合っても、彼を楽しませたり喜ばせたりすることが、自分にできるとは思えない。もし付き合ったとしても、きっとうまくいかない。

 それに、自分なんかよりもよっぽどお似合いな、明るくてかわいい女の子が、飯森に想いを寄せていることを知っている。その女の子を差し置いて、自分が飯森と付き合ったりなんてしたら――向けられるであろう敵意を想像してしまって、理子は恐怖に身を(すく)ませる。


 だから、飯森のことは好きだけど、付き合いたいとまでは思っていなかった。

 そもそも、想いを伝えようとも思っていなかった。

 週に一度、放課後にこうして一緒に図書室で過ごすだけ、ただそれだけでよかった。


 断らなくちゃ、と理子は頭の中でぼんやりと考える。

 付き合っても、お互い不幸にしかならないのだから。


 でも、唇が震えて言葉を紡ぐことができない。

 ごめんなさい、と。付き合えない、と、言うだけなのに。

 たった一言伝えるだけなのに、どうしてもそれができない。


 断った方がいいと頭ではわかっているのに、心が拒んでいた。

 気持ちを受け取ることも、断ることもできない。


 泣いてしまったこともあり、居たたまれなくなった理子は、身体を反転させて逃げようとして――


「――茅野、待って!」


 ――飯森に腕を引っ張られ、そのまま抱きすくめられた。


 背中から伝わってくる、飯森の、熱さすら感じる体温、激しい鼓動。

 何より、好きな人の腕の中という事実が、理子の足をその場に縫い留めた。


「……ご、ごめん。すぐ離れるから――」


 飯森も咄嗟の行動だったのか、慌てたようにそう言って、飯森が身体を離そうとする。

 理子は思わず、自分の身体の前に回されている、彼の手に自分の手を重ね合わせた。

 解かれようとしていたその手が、離れようとしていたその身体が、止まる。


「……茅野?」


 困惑した声が耳元で聞こえて、理子はハッと我に返った。

 無意識の内に引き留めてしまっていた。引き留めて一体どうするのか。


 耳元に感じる、飯森の息遣い。鼻を(かす)める爽やかな香り。

 顔が、耳が、熱い。重ねた手が震える。心臓が飛び出してきそうなほど暴れていて、痛いくらい。


 何か言わなくちゃ、と理子は思う。

 けれど、熱に冒された頭は回らず、何を言えばいいのかすらわからない。

 逃げようという気も、身体を離そうという気も、起こらない。


 二人の間に沈黙が訪れる。

 静かな図書室に、二人の息遣いだけが響く。


「――あのさ、茅野」


 その沈黙を先に破ったのは、飯森だった。

 触れ合っている彼の手に、力が入ったのが伝わってきた。


「……俺の告白、迷惑だった?」


 沈んだ声でそう言われて、飯森にそんなことを言わせてしまったことに理子の胸が痛む。

 後ろから抱き締められているから、彼の顔は見えない。だが、声の調子から、暗い顔をさせてしまっていることがわかってしまう。それがわかるほどには、この図書室で一緒に過ごしてきた。


 飯森の問いかけに、理子は静かに首を横に振った。

 迷惑なんてことはない。想いを寄せている人に「好き」と言われて、迷惑になんて思うはずがない。


「そっか、良かった」


 心から安堵したような、飯森の少し低めな声が、理子の耳を打つ。そして、そのまま心へと()みていく。


「いきなりでごめん。返事はすぐじゃなくていいから、落ち着いたときにでも考えてみてほしい。待つからさ」


 すぐにでも返事がほしいだろうに、この期に及んでこちらのことを考慮してくれる飯森の言葉に、理子は首を縦に振るのが精一杯だった。

 声が出せない。声を出したら、色々なものが溢れてしまいそうだった。


「ありがとう、茅野。よし、帰ろっか」


 努めて明るく言ったのがわかる声を出して、飯森が身体を離す。

 それを名残惜しく思う自分がいることに気付いて、理子はだめだ、と思う。

 彼を求めてはだめなのに、欲しくなってしまっている。


 図書室から出て、夕陽が射し込む廊下を並んで歩く。

 歩くのが遅い自分に合わせてくれる、飯森の優しさがいつも以上に胸に響いた。


 今、飯森はどんな顔をしているんだろう。

 理子は恐る恐る、彼を見上げて――その瞬間、目が合って慌てて顔を逸らした。


 飯森の顔が見れない。

 ずっと胸は高鳴ったままだし、顔も耳も熱いままだ。

 自分がどれほど飯森のことが好きなのかを、今さらながらに自覚する。


 心が揺らぐ。

 普通に考えれば、付き合えるはずがないのに。

 なのに『付き合いたい』と思ってしまっている自分がいる。


「考えてみてほしい」と飯森は言った。「返事はすぐじゃなくていい」と。

 一度逃げることを許してくれた彼に感謝すると共に、理子はそれを少し憎らしく思う。来週からテストなのに、こんな心持ちでテスト勉強なんかできるはずがない。


 だからといって、すぐに返事をすることは(はばか)られた。 

 断るべきだと思っていても、断ったら後悔するだろうな、というのがありありとわかっていたから。


 昇降口までの短い時間、いつもなら話しかけてくるはずの飯森は、さすがに今日は黙ったままだった。

 その隣を歩きながら、どうしようどうしよう、と同じ言葉が理子の頭の中で回り続けていた――


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