5話 夜のヴィジオン
咲夜は家に帰ると、すぐにログアウトした。すでに夕食時で、いつの間にか帰って来ていた両親の声が1階から聞こえていた。しかし、ひかりの声だけが聞こえなかった。
「……のど乾いた」
デスク横に置いてある一人暮らし用の冷蔵庫から飲み物を取り出す。咲夜の部屋にはトイレや洗面台まで備わっており、生活しようと思えばできなくもないが、実際にはほとんど使っていなかった。
その時、ドアがノックされた。
「はい」
「あ、終わったのね」
入ってきたのは母でエプロン姿のまま立っている。キッチンからの香りが、わずかに咲夜の部屋にまで漂っていた。
「いつ帰って来てたの?」
「うーん、三時間前くらいかな」
「そうなんだ。ひかりは?」
「帰ってきたときに顔を見たけど、“ゲームしてくる”って」
「あー……何時にログアウトするんだろ」
「咲夜、呼んでこれないの?」
「呼べなくはないけど、連絡先が分からないんだよね。調べてみようか?」
「お願い」
咲夜はそう言いながら、自分のパソコンを操作し始めた。部屋には二台のデスクトップがあり、そのうち一台にはひかりのゲームデータも入っている。そのためヴィジオンの基本データやIDを閲覧できるため、個人番号を確認してみることにした。
「……あった。できないこともないけど、どうする?」
「それならお願い。夕飯できたって伝えて」
「了解。十分くらいかかるけど大丈夫?」
「大丈夫よ」
「じゃあ、もう一回ログインしてくる」
「はーい」
母は満足そうに頷いて部屋を出ていった。
「……もう一回入るか」
ーーー
再度ログインすると、当然景色は変わっていなかったが、外はすっかり夜になっていた。
少し気になった咲夜は、母の言葉を思い出してひかりへ連絡してみることにした。
「確か、この番号だったはず……」
ベルが鳴り始め、部屋のスピーカーから音が響いた。どうやらこの家は、所有者の通話を自動的にスピーカーに接続する仕組みらしい。数秒後、通話が繋がった。
「もしもし、ひなです」
――ひかりはゲーム内では「ひな」と名乗っているらしかった。
「もしもし、咲夜です」
「えっ、お兄ちゃん?」
「そう」
「どうやって番号知ったの?」
「現実世界で母さんに夕飯だって言われたんだ。そのとき、アカウント管理から個人番号を確認した」
「なるほど、そういうことね」
「うん」
「今から家に帰るから、10分くらいかかるかも」
「了解。こっちは少し周りを見てから戻るよ」
「はーい。ママに言っとくね」
通話が終わると、咲夜はすぐにログアウトせず、家の外を見てみることにした。
今までは朝や昼の時間帯しか活動していなかったため、夜の景色を見るのは初めてだ。
小さな庭に出てみると、周囲には似たような家が並んでいる。その裏手には、小型の船舶なら通行できそうな水路というには広すぎる、まるで小さな運河のような水路に海水が静かに流れていた。
リリースからまだ二日しか経っていないため、人の気配は少ない。実際には多くのプレイヤーがヴィジオンにログインしているものの、この「本島」に住むことができるプレイヤーはまだ500人ほどしかいなかった。
「この裏が水路だってのは知ってたけど……思ったより広いな」
独り言をつぶやいたその瞬間、意外な方向から返事が返ってきた。
「そうですね」
咲夜は肩を跳ね上げた。完全に不意を突かれた。
「うわっ……びっくりした」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか、咲夜さん」
「す、すみません……中野さん」
声の主は、工場で出会った中野瑠璃だった。
「瑠璃でいいですよ。ドアの開く音がしたので、もしかしてプレイヤーかと思って」
「そうなんですね」
二人は視線を合わせる。咲夜は下から見上げ、瑠璃は上から見下ろす形だ。二軒の間には約1メートルの高低差があり、咲夜の敷地には擁壁が、その上に瑠璃の家の柵が立っていた。
「それにしても、ここが瑠璃さんの家だったんですね」
「ええ。リリース直後にログインして、すぐ見つけた家なんです」
「購入されたんですか?」
「いえ、借りました。意外と安くて」
「いくらなんです?」
「毎月9万Gですね。咲夜さんのところは?」
「うちは10万Gです」
「そちらのほうが高いんですね。でも、設備はそちらのほうが良さそう」
「え、そうなんですか?」
「気づいてません?」
「ええ、庭に出たのは初めてで……」
「少し、お邪魔してもいいですか?」
そのとき、咲夜は時間を確認した。
ちょうど約束していた10分が経過している。
「……あ、もう時間だ」
「そうなんですか。すみません」
「いえ。1〜2時間後に時間があるならならまた大丈夫ですよ」
「ほんとですか?」
「ええ」
「じゃあ、2時間後に。また来ますね」
「はい、待ってます」
そうして昨夜は自宅へ戻った。
ーーー
ログアウトし、ヘッドギアを外すと、目の前にはひかりがベットに座っていた。
「お、どうしたんだ」
「なんでもないよ。ご飯できたって」
「知ってる」
「私より長くログインしてたのに?」
「連絡した時点で知ってた」
「へぇ、そうなんだ」
「なんだよ」
「なんでもなーい」
「そういえば、あの番号登録したか?」
「しましたー」
「そういえば、エンジンできた」
「ほんと?」
「うん。あとは材料とカーボンだけ」
「カーボン欲しいの?」
「そう」
「覚える技術、増えない?」
「若干ね」
「そういえば、ログインする前に今後必要になりそうな技術纏めといたよ。あと、面白いこと見つけた」
「気になるな」
「でしょ」
「二人とも、ご飯冷めるわよ!」
階下から母の声が響く。
二人は顔を見合わせて、同時に笑った。
「行くか」
「うん」




