3話 特許の隙
1時間ほど画面とにらめっこしながらエンジンの資料を暗記していると、またドアがノックされた。
今度は返事をする間もなく、ドアが勢いよく開いた。
「あ、ごめん」
「別にいいよ。どうした?」
「やっぱり、始めのスタート地点はここだった」
「そうか。じゃあ、この周辺ってどんな感じだった?」
「なんて言ったらいいかなー……」
「けっこう田舎?」
「ううん、田舎って感じじゃなくてね、本当に“この街そのもの”が再現されてたの」
「ってことは、ちゃんとした町並みがあるんだ」
「そう。そしてこの家もあったんだけど、NPCが住んでたよ」
「おお、で、いくらだった?」
「5000万」
「なるほど。何かしら事業を始めれば買えるぐらいか」
「うん。あとね、向こうで例の材料なしで大丈夫か試してきた」
「どうだった?」
「お兄ちゃんの予想通り。特許、取れたよ」
「それはいいニュースだな」
「でしょ? それに取れた物に驚くと思うよ」
「何を取った?」
「ハーバー・ボッシュ法」
「はぁーー!? どういうこと!?」
咲夜の驚きも無理はなかった。
ハーバー・ボッシュ法は、火薬の原料となる硝酸を大量生産するための基礎技術だ。そんな重要な特許を、まさかゲーム内で先に取れるとは思ってもいなかった。
「よくそんなものの特許が取れたな」
「どうもね、“現物がないと登録できない”と思ってる人の方が多いみたいで」
「なるほど……じゃあ、基本技術の部分がまだ誰にも取られてなかったのか」
「そういうことみたい」
ひかりはこういう嗅覚が鋭い。咲夜が堂々と正面裏道を突破するのに対して、ひかりは抜け道ひっそりを見つけるタイプだった。
「それにしても、よく覚えてたな」
「ハーバー・ボッシュ法のこと?学校でこの前にで勉強した上に小テストして合格するまで繰り返しやられたから」
「ああ。それは、ご愁傷様。登録はどうやったんだ?」
「登録は簡単だったよ。化学式を紙に書いて、近くにあった製作機に入れたらそのまま登録された」
「意外と簡単に取れるんだな……となると、薬品や素材を大量に作る製法を片っ端から取った方が今後、有利だな」
「だね。エンジン関係だけじゃなくて、カーボン素材系も押さえた方がいいかも」
「よし、じゃあエンジン特許を取りに行ってくる」
「了解。あ、パソコンちょっと借りるね」
「構わんよ」
「ありがとー!」
咲夜は昨日と同じようにヴィジオンへログインした。
ログアウトした時と同じ光景が広がっていたが、窓の外の光の加減が違っていた。
ゲーム内の時間ではすでに2日が経過しているため、当然といえば当然だ。
部屋のタブレットで製作機の設置場所を確認すると、意外にも近く、家から徒歩5分ほどの場所にあるようだった。
その場所は、咲夜が街の探索をしていた時に「ここを本拠地にできたら」と考えた工場だった。
海に面しており、桟橋から直接出入りできる造り。中には中型の製作機が設置され、最大5メートルの構造物まで製作できる。
だが、値段を調べたところ10億近くもしたため、購入は断念。賃貸でも毎月100万Gが必要で、仕方なく諦めた場所だ。
「あー、ここか……」
そう呟いて中へ入ると、すでに先客がいた。
「なんでこれが作れねぇんだよ!」
いかにも柄の悪い男が、製作機を蹴り飛ばしていた。
咲夜が思わず立ち止まって見ていると、男がこちらに気付いて睨みつけてきた。
「おい、なに見てんだ!」
「えっ、あ、いえ……」
「見てただろうが!」
「たまたま通りかかっただけで……」
冷静に対応する咲夜。しかし相手はどんどんヒートアップしていった。
「ここは俺の根城だ!」
「そうなんですか? 一応確認しますね」
咲夜は携帯端末で物件情報を確認した。
――所有者:NPC。
つまり、まだ誰のものでもない。
「あの、所有者はNPCのままですけど」
「そんなの関係ねぇ!」
「関係あると思うんですが」
「あぁ? なめてんのか!」
「汚くて、なめたくないんですけど」
「そういう意味じゃねぇ!」
冷静に返されるたびに、男の方が気勢を削がれていった。
結局、持っていた紙と金属インゴットを地面に投げ捨て、舌打ちして出て行った。
「えっと……これ、どうしますか?」
咲夜は落ちていたインゴットを拾い上げ、声をかけた。
「そんなガラクタ、くれてやる!」
それだけ言い残して男は去っていった。
手元に残ったのは鉄のインゴットと、子どもの落書きのような図面。
どう見ても粗雑な絵だが、銃のようにも見える。
「銃……かな? でも、銃関係の特許ってもう取られてるのか?」
調べてみると、火縄銃やマスケット銃といった原始的なものしか登録されていなかった。
つまり、近代的な銃器の設計特許はまだ手つかずだったのだ。
「ってことは、細かい寸法とか構造値が入ってないと登録できない仕組みか」
咲夜は紙に簡単な数値を書き足し、試しに製作機へ投入してみた。
画面には「製作費:10,000G」と表示される。
――特に驚きはない。先ほど、ひかりから詳しく取り方は聞いていた通りだ。
承認ボタンを押し、インゴットをセットすると、製作が始まった。
1分ほどで、図面と同じ形の銃のような物体が現れたが――登録通知は出なかった。
「あー、やっぱり。値がなければ作れない、値があれば作れる。そういうことか」
仕組みを把握した咲夜は、新しい紙を探すことにした。
ひかりの話によると、製作機が置かれた施設には時間貸しの個室があり、そこに登録用の紙とペンが常備されていて購入できるということだった。
「じゃあ、部屋を借りてみるか」
端末から個室をレンタルしてみると、画面に表示された部屋は思いのほか広く、簡易的な生活もできそうな空間だった。
各部屋に繋がっている廊下の一角には自販機があり、飲み物や携行食が並んでいる。
「おお、初めて見た……!」
現実世界では見飽きるほどあるが、ヴィジオンの世界で見るのは初めてだ。
試しに飲み物を買ってみると、実際に日本で流通している商品がそのまま出てきた。
しかもラベルには現実の企業名――。
「なるほど……これが換金の仕組みか」
現実企業がゲーム内広告として商品を出しており、その広告料がゲーム内経済と現金化の基盤になっているのだ。
咲夜は缶を手に取り、満足げに一口飲んだ。
この世界のリアルさは、想像していたよりもずっと深い。
「……さて、ここからが本番だな」
咲夜は再び製作機の前に座り、新しい図面を書き始めた。
紙の上で、現実と仮想の線がゆっくりと溶けて混ざっていく――。




