2話 始まりの日常と新たな選択
咲夜は借りた家の中をひととおり確認したあと、すぐにログアウトした。
借りた家の内装はあまりにも簡素で、倉庫と小さなキッチン、シャワールームがあるだけ。家具らしいものは何もなく、まるで仮設住宅のようだった。
「まあ、最初はこんなもんか」と独り言をつぶやいて、ログアウトボタンを押す。
現実に戻ると、時計の針はすでに午前2時を回っていた。
「やば、明日学校あるのに……」
そう言って急いでシャワーを浴び、ベッドに潜り込む。意識はすぐに遠のいていった。
ーーー
朝。
咲夜は昔から朝に弱い。毎朝のように、妹のひなりが文字通り叩き起こすのが日課になっていた。
外では昨夜からの雨がまだ激しく降り続いており、警報まで出ている。それでもひなりはいつも通り、咲夜の部屋に突撃してきてから声を張り上げていた。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたよー!」
「……もう少しだけ」
「そんなこと言って毎回起きないでしょ、ほら!」
結局、ひなりに布団を引っぺがされるような形で咲夜は起こされた。
リビングに行くと、すでに朝食が用意されている。テーブルの向こうで、ひなりが呆れたように笑っていた。
「やっと起きた」
「おはよー……」
「何時までゲームしてたの?」
「2時くらい」
「もー、また夜更かししてたら父さんに怒られるよ」
「はいはい、分かってますよーだ」
「まだ寝ぼけてる?」
「うーん、少し考え事してた」
その言葉に、ひなりは思わず目を丸くした。普段の咲夜は何かを考えていても滅多に口に出さない。だからこそ、悩んでいることがあると分かった瞬間、少しうれしくなってしまった。
「……何の考え事?」
「始めたゲームで、どんな職に就こうかなって」
「がっくりだよ。てっきり進路とか恋愛の話かと思ったのに」
「進路かー。まあ、家から近い大学か、一番レベルの高いとこかな」
「また適当なこと言ってる」
「いいじゃん。どうせ大卒にはなるんだから」
「その発想がもう適当なの!」
口では文句を言いながらも、ひなりはどこか楽しそうだった。
咲夜が悩んでいる姿を見るのは珍しいのだ。
「で、なんでそんなに悩んでるの?」
「うーん、何の職が稼げるのか分かんなくて」
「ヴィジオンの話だよね?」
「そう」
「あのゲームかー。友達も気になってたって言ってたよ。お兄ちゃん、覚えるのが得意なんだから、ゲーム内でも技術職とか設計職で稼げば?」
「……それもありか」
「でしょ?」
ひなりはゲームにも詳しい。咲夜の影響で昔から機械やシステム系の話には強いのだ。
ただ、ひなりはヴィジオン自体はまだ未プレイ。ヘッドギアは持っているが、ゲームの購入はしていなかった。
「試してみるよ」
「うん、私も始めようかな」
「え? でもお金あるの?あれ結構高いでしょ」
「うーん、3万くらい足りない」
「やりたい?」
「うん!」
「じゃあ貸してあげるよ」
「ほんと!?ありがとう!」
ひなりは突然立ち上がり、咲夜の食器を片づけるとそのまま彼の腕を引っ張った。
「ちょっと手伝って!」
「え、今!?」
「今!」
その勢いのまま、自室に連行された。
ーーー
結局、ひなりのアカウント登録に最後まで付き合わされ、咲夜は「女の子の着替えを見ちゃダメ!」と怒られながら追い出された
仕方なく咲夜は自室に戻り、パソコンを立ち上げた。
「さて……移動とかで塚使えるエンジンでも調べておくか」
ヴィジオン内の特許データベースをゲーム外でも確認できるか調べて行くと外部から開くことができた。
意外にも、エンジン関連の特許はまだ誰も登録していない。
「チャンスだな」
画面を見ながら、どんなエンジンを覚えるか考え始めたその時——
コンコン、とドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアの隙間から、ひなりが顔をのぞかせた。
「アバターできたー!」
「お、早いな」
「でしょう。で、何してるの?」
「技術系で稼ぐ方法を探してた」
「おっ、今回は素直だね」
「悩んでも仕方ないしな」
ひなりは咲夜のモニターを覗き込む。
「へー、エンジン作るの? 材料とかめっちゃ大変そう」
「作るわけじゃなくて、まずは覚えるだけ」
「え、作らないと登録されないんじゃ?」
「それが、製作必須ってどこにも書いてないんだよ」
「……つまり、抜け道を突くわけね」
「そういうこと。規制が入る前に先行しておく」
「さすが悪知恵兄ちゃん」
咲夜は笑いながら、次々と検索ワードを打ち込んでいく。
その指の動きはまるで楽器を奏でるように速かった。
「航空機用エンジン……あ、これだな」
第二次世界大戦時代から現代までの設計図のよう詳しい情報がありそうなエンジンリストを表示し、性能表を整理していく。
「よし、ある程度まとめた」
「相変わらずタイピング早いね」
「毎日触ってるからな」
咲夜が一覧を眺めながら言った。
「で、どれがいいと思う?」
「えー、わかんないよ。燃費とか?」
「燃費と汎用性か。AIに聞いてみるか」
そう呟いてコマンドを打ち込むと、数秒でAIが一覧を解析し、表形式で結果を返した。
「やっぱ課金AIは早いな」
「そんなに課金してないって」
「でもそれ、結構高いでしょ?」
「まあ多少は。でも必要経費だよ」
「ふーん。で、結局どれにするの?」
咲夜が画面を指さす。
そこに表示されていたのは、P-51 マスタングに搭載された「ロールス・ロイス・マーリンエンジン」。
12気筒、過給水冷式、V型ピストンエンジン。レシプロ戦闘機の代名詞とも言える名機だった。
「いきなりこれ大丈夫かな……?」
「大丈夫。どうせそのうち誰かやるよ」
「そっか……まあ試すだけだしね」
ひなりは咲夜の隣に腰を下ろし、画面を覗き込みながら言った。
「私の初期エリア、本島にしたけど、あそこって国作れないんだよね?」
「そう。本島はAIの直轄区域だから、国家樹立は禁止。でも企業本部は建てられる」
「へー、なんかAIの国みたい」
「そんな感じだな」
「私のアバター、どこスタートかな一応1番は本島にしたんだけど」
「本島は人気だからな。もしかしたら外れるかも」
「まあいいや、2位のエリアでもいいし」
「2位?」
「家があるとこ」
「ここか」
「うん、NPCが多そうだし」
「なるほど、堅実だね」
ひなりはタブレットを取り出し、何かを指差した。
「これ見て。服装選択のとこ、値段が出てるんだけど……どうすればいい?」
「あーこれか、服装何か設定した?」
「した」
「それが原因だな」
「何かやばい?」
「やばくはないんだけど正直、今はオシャレより資金優先かな」
「マジで?」
「マジで」
「じゃあ、この服装をゲットするのを最初の目標にする!」
「いいと思う」
「よし、今から入るね」
「おう、いってら」
ひなりは勢いよく部屋を出て行った。まるで嵐のような勢いだった。
静かになった部屋で、咲夜は再びモニターに目を戻す。
「さて、マーリンエンジンの構造でも頭に叩き込むか」
モニターの光が彼の顔を照らした。
その瞳は、すでに次の世界への計画へと向いていた。




