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終章 私という迷宮(ラビリンス)

自分を責める声は、いつだって私の中にあった。

それは母の声に似ていて、教師の声に似ていて、かつて愛した誰かの沈黙に似ていた。


──また、間違えたね。

──どうして、普通になれないの?

──あなたが悪いのよ。いつも。


過敏で、不器用で、繊細すぎる自分。

それを“治す”ことが回復だと、ずっと思い込んでいた。


けれどある日、気づいたのだ。

この声たちは、“他者の残響”に過ぎない。

それらは、私の神経系に刻まれた古い記憶であり、誰かの価値観が刷り込まれたノイズだった。


本当の私は、もっと静かで、もっと透明な場所にいた。


私は自分の過去を、いくつかの断片として見直した。


彼に心理的に侵入された日々。

母とぶつかり合いながらも、その眼差しに傷ついてきた子ども時代。

自分という存在が、常に“誰かにとっての何か”としてしか認識されてこなかった歴史。


「私は、誰かの期待を満たすために生きてきたのか?」

そう問いかけると、答えはすぐに出た。


──違う。私は、私としてしか生きられなかったのだ。



その日、私は鏡の前に立ち、ひとつの行動に出た。

髪を結ぶことも、化粧を整えることもせず、ただじっと、自分の目を見つめた。

映っていたのは、不完全で、弱くて、時に利己的で、しかし確かに生きようとしている“生き物”だった。


「ごめんね」と私は口にした。


それは、かつての自分――傷つきやすくて、強がってばかりだった自分への言葉だった。

「あなたは何も悪くなかった。生き延びようとしていただけだった」


その瞬間、不思議な感覚が胸に広がった。

許しとは、他者に向けるものだと思っていた。

だが、最も困難な“許し”とは、自分自身に向けるものだった。


私は、私を責めることをやめた。

私の過敏さ、気難しさ、孤独の渇き、それらすべてを「特異な神経設計」として受け容れることにした。


「私は、こういう人間だ。けれど、それでいい」


その言葉は、まるで新しい神経接続のようだった。

未使用だった内なる回路が、今ようやく開通したような。

自己理解ではなく、自己の“承認”。


それは革命ではなかった。静かな決定だった。



夜が深まり、私はノートを開く。

かつて彼に言えなかった言葉、自分自身に投げかけられなかった質問、それらを一つひとつ書き出していく。


「私の価値は、他者によって測られるものではない」

「孤独は、罰ではなく、思考の贈与だ」

「共感は、支配の道具ではなく、差異を尊重する橋である」


書き終えたとき、私は気づいた。

それは、“彼”への手紙ではなく、“過去の私”へのラブレターだったのだ。


そして私は、ようやく迷宮の中心にたどり着いた。

そこには、もう誰もいなかった。

ただ、私自身だけが立っていた。


孤独ではなかった。

ようやく、「私という存在」と再接続できたのだ。

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