第1部:紫の瞳と灰色の少年 第1話 紫の瞳の少女
コツコツ書いていければと思います!
朝露の残る敷石を、銀の蹄が軽やかに打つ。
学院の正門前に、黒い馬車が静かに停まった。王国でも名の知れた大貴族――《紫紋》家の紋章が、漆塗りの扉に金細工で刻まれている。
扉が開き、ひとりの少女が現れた。
黒髪が朝日を浴びてきらめき、膝丈のスカートに添えられた白いレースが、そよ風を受けてふわりと揺れる。
「おはようございます、皆さま。今日も麗しい空ですね」
整った声と、完璧な笑顔。
少女――リリス・アークフェインは、まるで貴族の理想像そのもののように微笑んだ。
が、学院の門をくぐってしばらく。人目が離れると、彼女は吐息とともにその微笑みを解く。
「――くだらない。朝っぱらから“ごきげんよう”の連呼、どこの芝居かしら」
リリスは、ぶつぶつと毒を吐きながら回廊を歩いていた。目の前でうやうやしく頭を下げる生徒たちにも、かろうじて愛想を保つ。
(まぁ、いいわ。今は“猫”を被っておくのが得策。学院では“優雅な公爵令嬢”で通せば、下らない面倒を避けられる)
リリスは、表向きは高貴で優雅な令嬢。だが、その本性は――
冷静沈着で理知的。情に流されぬ現実主義者であり、己を磨き続ける意志の強さを持つ女傑だった。
“高嶺の花”と称されるその美貌も、本人にとっては「武器」の一つに過ぎない。
笑顔も、仕草も、声色さえも――すべては演じられた仮面だ。
リリスは人気のない裏庭のベンチに腰を下ろし、足を組む。
「……はぁ。気楽な平民がうらやましいわね」
ぼやきながら、ふと視線を上げたそのときだった。
「――あの、隣、いいかな?」
不意にかけられた声に、リリスはゆっくりと首を巡らせる。
そこには、見知らぬ少年が立っていた。
少し長めの灰色の髪。柔らかな雰囲気。制服の襟元はきっちりと締められ、姿勢もどこか控えめ。
だが、その中に、言葉では表しにくい芯のようなものが見える。
「空いてるようだったけど、一言ないと失礼かなと思って」
「……どうぞ。お好きに」
リリスは表情を変えずに頷いた。が、内心では警戒心が動く。
(誰? この男……あの胡散臭い“貴族の挨拶”もなしに話しかけてくるなんて、平民?)
彼は隣に座ると、少し戸惑ったように息を吐いた。
「僕、今日から編入してきたんだ。ユウ・シェリスって言います。」
「編入……へぇ。珍しいわね」
「うん。少し事情があって。あ……あの、ごめん、変なタイミングで声かけちゃったかな?」
リリスは、少しだけ口元を緩める。
警戒すべき相手には違いない。だが、彼の仕草や言葉には、嘘がない。
(この感じ……“慣れていない”わね。人付き合いに。けど、不快じゃない)
彼女は改めてユウの顔を見る。眼差しは優しく、どこか曇っていた。
まるで、自分の存在そのものに申し訳なさを感じているような、そんな印象を受けた。
「……リリス・アークフェインよ。よろしく」
「よろしく…えっと、リリスさんでいいかな?」
「好きに呼んでいいわ。どうせ“お嬢様”って呼ばれ慣れてるし」
「そうなんだ? じゃあ……リリスさん」
彼女の紫の瞳が、ふと揺れる。
今の言い方――軽口でもなく、からかいでもない。ただ、丁寧に呼びかけた名前。
ユウは、そのまま少し空を見上げる。
「君の瞳、きれいだね。……紫って、珍しい」
「……ふぅん。言われ慣れてるけど、まぁ、嫌いじゃないわ」
リリスはふと笑った。わずかに、本物の笑み。
彼の言葉には、取り繕いも、媚びも、下心もなかった。
その瞬間、ほんの一瞬――リリスは“仮面”を外していた。
(……この男、案外、面白いかも)
そんなことを思った自分に気づき、リリスは首を小さく振った。
「そろそろ戻るわ。付き合ってくれて、感謝するわよ、ユウ」
「ううん。こちらこそ、ありがとう。……リリスさん」
呼び慣れていないその名前を、真っ直ぐな声で言われて。
リリスは、ふと足を止めた。
(……油断すると、“素”を見せそうになる)
その警戒と、なぜか芽生えた興味――
それが、ふたりの物語の、始まりだった。
――To Be Continued.