不正ログイン
「だから、本当なんだってば!」
夜、とある居酒屋。男は声を荒げたあと、ハッと我に返り、周囲をぐるりと見回す。他の客たちがこちらを見ているのに気づき、慌てて肩をすぼめた。そして、声を潜めて繰り返した。
「……だからさ、本当に不正ログインされたんだよ」
「はいはい、言い訳はもういいって」
向かいに座る友人は、枝豆をのんびりとつまみながら、あっさりと言った。
数日前、男がSNSを開くと、血の気が引いた。そこには、まったく覚えのない投稿があったのだ。すぐに削除し、『お騒がせして申し訳ございません。先ほどの投稿は不正ログインによるもので、僕が投稿したものではありません。セキュリティ管理が甘かったです』と謝罪の投稿をした。
だが不安は拭えず、今夜こうして友人に相談したのだった。しかし、友人はまったく信じていない様子。
「待てって。マジで投稿した記憶がないし、連絡もらって確認したら、あんなことになってたんだよ」
「んー、でもさ、アカウントを乗っ取られたのに、パスワードは変えられてなくて、すぐに取り返せたんだろ?」
「ああ、迂闊な犯人でよかったよ……」
「ああ、それに加えて、たった一回投稿しただけで満足する犯人でよかったな」
「愉快犯か、怖くなってやめたんだろうな……。はあ、絶対おれの評判落ちたよな……」
「まあな。言い訳がましい奴って思われたかもな」
「いや、だから本当なんだって! 本当に乗っ取られたんだよ!」
「はいはい、本当は別のアカウントと間違えたんだろ?」
「違うって! おれ、アカウント一個しか持ってないし。……もう信じてもらうしかないけどさあ、おれ、もうすぐ三十でさ、あんな投稿する? さすがにしないよ」
「いやー、年食っても馬鹿なことする奴なんて山ほどいるしな」
「あ、それか、SNSの不具合かな……」
「不具合?」
「そう! 勝手に文章が作成されて投稿されたり、他の人の投稿が間違っておれのアカウントから発信されたりとか!」
「なんでお前だけにそんなバグが起きんだよ」
「それか、スマホの故障か? おい、おい!」
「スマホに八つ当たりすんなよ。あのさあ……」
「ん? なんだよ?」
「さっきからすげー大げさに言ってるけど、お前、一般人だからな?」
「だから?」
「誰がそんな無名のアカウントを狙うんだよ。普通、もっと大物狙うだろ。政治家とか超人気者とかさ」
「いやいや、隙があれば誰だって狙われるもんなんだよ! ほら、たまに、そんなに有名じゃない芸能人も被害報告してるだろ?」
「お前と同じように別アカで投稿するつもりが間違えたんだろ。で、言い訳してるだけ」
「だから、他のアカウントなんてないんだってば!」
「もうどっちでもいいよ。そもそも、評判が下がったとか言ってたけど、お前って全然フォロワーいないじゃん」
「少ないけど、その分、人間関係が濃密なんだよ」
「ふーん、で、その『乗っ取られた』って報告に反応あったのか?」
「いや、なかったけど、みんな、不正ログインの恐ろしさに言葉が出てこないんだよ……怖い……」
「お前はさっきから言い訳が止まらないけどな」
「もしかして、あの投稿がおれの本性だと思って、みんなショックを受けたのかも……クソッ、みんな信じてくれよ……」
「自己評価高いな。あ、でも連絡が来て気づいたんだよな? 誰が教えてくれたんだ?」
「お母さん」
「母親かよ」
「『あんた、あんな投稿しちゃ駄目よ』ってさ」
「息子のSNSチェックしてんのかよ……。まあ、いいけどさ。で、俺はその投稿見てないんだけど、どんな内容?」
「お前、それをおれの口から言わせるのかよ……」
「どうせ大したことないだろ。まあ、嫌なら別にいいけど」
「その……『若い体っていいなあ』って」
「……お前、その日酔ってたろ」
「酔ってないって! おれが酒苦手なこと知ってるだろ? ほら、今だってこれ、ウーロン茶だし!」
「慣れてないからすぐに酔ったんだろ? ガールズバーか? キャバクラか? お持ち帰りできてよかったなあ」
「だから、違うんだって!」
「ははは、まあ、認めないほうが賢明かもな。ネットじゃちょっとの過ちで袋叩きだしな。まあ、お前の場合は心配するほどでもないだろうけど」
「だから、違くて! 最近、他にも変なことが起きてんだよ……。記憶が抜け落ちていたり、意識がふっと遠くなったり……そうだ、あの日、あの心霊スポ……」
「ん、どうした?」
「……いや、なんでもないですよ。変なこと言って申し訳ありませんなあ。ははは、気を取り直して乾杯! ん? なんだ、これ酒じゃないのか。では、こっちにもお酒いただきましょうかな!」
「えっ……乗っ取られてる……?」