古奇譚
ろくろ首
妖怪とはその地方の問題を形にしたものだろう。地域によって問題は異なる。そんな中でも、比較的共通しているのは水の事故だろう。全国的に水に恵まれ水田があった日本では、必須のことだった。だから水の精の妖怪が創造される。井戸など人の管理しやすいものは妖怪にならない。川と海。海は一般人には遠すぎ大きすぎて、妖怪になるなら、漁師仲間の内だけだろう。川はすぐ傍にある。子供が落ちて死んだ。氾濫した、決壊した、干上がった。各地でその地の問題を具現化した妖怪が創造される。それが明治になって多分、柳田国男の「遠野物語」と芥川龍之介の「河童」だろうけど、それによって統一された。それまではガタロとか川太郎とか、川伯とか様々に呼ばれていた怪異が「河童」となった。様々な外見も、属性も統一された。
さて今から語るろくろ首だが、もともと寝ているうちに首が離れて宙を飛ぶ。「抜け首」とか「離れ首」と呼ばれていたようだ。首が伸びるのは江戸期になって読み本等で有名になり、見世物になったからではないか。抜け首も伸び首も女なので、この妖怪は女という、男からすれば理解不能な問題を具現化したものらしい。
ある地に男が住んでいて、まだ若いうちに身内をすべて流行り病で亡くし、田畑だけが残った。独りで耕作するのも大変だし、女がいてくれたら助かるのではないかと周りに言われ、そりゃ助かるけど、だけど、じゃあそうするよと言ってすぐ何とかなるわけでもあるまいと思っていると、隣村から女が来て、男一人で困っている人がいる。お前も最近縁者をすべて亡くして困っている身だから行って会ってみてはどうかと言われたと訪ねてきた。抜群に美しいと言うわけではないが、まあまあの器量よし、数日様子を見てみると、家の用事もそつなくこなす。大飯食らいというわけではない。宗教に特にのめりこんでいる様子もない。怪しいそぶりもない。ならばこのまま共に暮らそうかとなった。祝言と言っても共に身寄りはない。夫婦となるにあたって女が言うことに、身寄りなく、財もさほどなく、ただ置いてもらって有難い身です。ただ一つお願いしたいのは寝所を別にしてもらいたい。御殿に住んでいる身でないことは承知している。私の寝床は竃の横、土間でけっこう。寝姿のあまりのみっともなさを以前家族に言われて気に病んでおります。聞けばいびき、歯ぎしりなどもするようでとのこと。夜になって事が済むと妻は土間に降りて藁を敷いた上に敷布をかけて布団をかぶって寝る。朝は早くに起き出し寝顔を見せない。男はほかに不満はなく、別の寝所とて、すぐそこの土間であるからどうでもいい。そうして何の問題もなく暮らしていたが、ある晩、深夜に用を足したくなって起き出し、家の外に出ようとすると妻の身体が土間にあってその土間は狭いものだから首が小屋から出るくらい。これではさぞ寝苦しいだろうと妻の肩に手をやろうとすると、その上がない。つまり頭がない。肩から上は何もない。腰を抜かすとはまさしくこのことで、男は腰からストンと妻の傍らに座り込んだ。腰が抜けた。しかし、特に何も起きない。そういえば、ろくろ首という妖がいると聞いたことがある。何でも夜になると首が抜けて頭だけで徘徊するらしい。夜行く人を襲って嚙みついたりするらしい。しかし妻は朝平然としていて口元が血にまみれていることなどない。ろくろ首は首が抜けてる夜の間に体を移動させると死んでしまうそうだ。だが、妻はよくやってくれている。別に危害を加えられたわけでもない。まあこのままでいいか。二口女で隠れて米をたらふく食われるより一等ましだなどと思い、そのまま、外の雪隠に行って用を足して戻ってきて自分の寝床に潜り込み、そのまま寝付いた。
さて夜が明けて目を覚ますと妻が傍らに座ってにらんでいる。何かと思っていると、あれほど寝姿を見るなと言っておいたのにあなたは約束を破った。こうなってはあなたを殺すほかはない。嫌いで殺すわけではない、ただ返す返すも恨めしい、憎い、残念でならないと言う。
こんな狭い小屋でお前の寝姿を一生見ないで済ませられるものか、いつかこんな日が来ることは分かっていたであろう、それにただ殺すのであれば、私が寝ているうちに殺せばいいものを、わざわざ一言いう限りは、何かあるのだろう、さあ、言ってみろと迫ると、ならば、言おう。我々には弱点がある、それを知ったらお前は死なずに済む。それは、「見ていながら、見ていないものだ。」この謎を三日以内に解くことができたら、お前は死なずに済むだろう、しかし、解けなければ、我らのおきてに従って死んでもらう。そう言って妻の姿は消えていった。
「見ていながら、見ていないもの」とは何か。男は周辺を見渡し、自分の見ていることに注意し、集中し、思案したが何も思い浮かばない。小屋を出て村を彷徨し、山に入る。別に逃げ出そうというのではない。今になって妻となった女が愛おしいと気づいた。化け物なのだろう、しかし、短い間であったが夫婦として暮らし、同じ作業をし、同じ釜の飯を食らい、同衾した。やがて子供もできるのだろう、共に年を取っていくのだろうといつしか思っていた。情が移るとはこのことか。女が謎をかけた。殺すべき男に殺さず謎をかけたとは、またやり直すきっかけがあるに違いない。何としてもこの謎を解かねばならない。しかし、何も思い浮かばない。住職に聞くなら子細を話さなければならない。それは困る。もし話せば村中が女を捕らえて縛り、殺してしまうだろう、あるいは女が村人すべてを殺してしまうか。山を越え、城下にたどり着いた。目指してきたわけではないが、今日は市が立っていて珍しいものがある。櫛がある。女にやればうれしがってくれただろうか。しかし、銭の入る仕事をしているわけではない。買うためには工面しなければならないが、工面のしようがない。所詮、我々には手の届かぬものだ。そうしてみるとここにあるものは我々の手の届かぬものばかりだ。特に今なくてはならぬものばかりが並ぶ市をさ迷いながら、男は、女が望むなら死んでもいいかという気になってきた。
何も思いつかぬまま小屋に戻って、横になって女のいないのを感じる。独り身の時に戻ってみると、女がいてこの狭い小屋が一層狭くなった。今女がいなくなって、この狭い小屋が広く感じる。広く感じて周囲が隙間だらけに思えてなんだか心細い。例え化け物だって一度は情を通じた仲だ。いなければ寂しい。寝返りばかり打って夜を過ごした。
何をするわけもなくただ寝返りばかり打って三日を過ごした。寂しいと思う気持ちは女に対する恨みに代わる。女に言ったが、こんな狭い小屋、遠からず女の寝姿を見ただろう。さすれば私は殺される。お前は最初から私を殺すためにやってきたのか? 一体私はお前に何をしたと言うのだ。別に生に執着しているわけではない。日照りや大雨、飢饉や害虫、疫病、真面目に暮らしても生活は変わらない。住職に言われるまでもない。この世は地獄とまではいわないが、そう楽しい所でもない。極楽という所があるのなら、死んでいけるのならその方がいいだろう。父や母がいるなら先に行くわけにもいかないが、妻や子供がいるなら、幸せというものがあるかもしれなかったが、そうでない以上、未練はない。ただ、そんな幸せのかけらを垣間見させて取り上げる女が気に入らない。恨みは怒りに変わった。腹立たしい。何としても一言恨み言を言ってやらねば気が済まない。とそこまで考えて、なんだかわかったような気がした。
三日経って女がやってきた。男に対峙して座る。答えは出ましたか。
その前に聞かせてほしい。こんな狭い小屋でお前の寝姿を見ずに一生添い遂げるのは無理だ。遠からず私はお前の正体に気づいたであろう。ならばお前は私を殺すと言う。お前は最初から私を殺すつもりだったのか、なぜ私はお前に殺されねばならぬのか、お前に何かしたのか、そのわけを聞かせてくれ。
しばらく黙ったままだった女が目を伏せながら語り始めた。
お前様が山に枝を拾いに行くとき、決して枝を折ったりせず、ただ落ちて転がっている枝のみを集める。無駄に虫を殺さず、魚を取る時も自分が食べるぎりぎりのみ。すべての命を大切にして、道にある地蔵様には必ず手を合わせる信心深さ。そんな風を見ているうちに、私はお前と暮らしてみたいと思い始めた。身は異生であるけれど、お前となら添い遂げられるのでは思った自分が浅はかであった。お前にはすまないことをした。私と出会わなければまだ生きられたものを。しかしこれも定めであれば、申し訳ないが死んでもらいたい。決して恨みや憎しみではない。お前と出会えてわずかな間であったが、幸せというものを知った。申し訳ない。と女は言う。
では重ねて聞くが、もし私が答えたならばどうなる?
それは、お前が助かる。死ななくてよいのだ。
いや、そうではなくてお前はどうなる? 正体を知られて、私が残るとなると何かと支障があるだろう。
心配には及ばない。先ほども言ったがお前が憎いわけではない。感謝こそしている身、お前が死なずに済むならこれに尽きる、と。
ならば答えよう。「見ていながら、見ていないもの」。それはお前だ。私はお前を当たり前の女として、自分の妻として一緒に暮らした。しかし、正体を知らなかった。つまり、「見ていながら見ていなかった」。ただこれでは謎の答えと言えないなら、これはどうだ? と胸元から出してきたのは、小ぶりの鏡。
昔より、何物をも切り裂く、邪までも切り除く剣。光り輝き闇なく隅まで照らす玉、そしてすべてを写し出す鏡。これらは我らが魔の最も嫌うもの。確かに鏡はすべてを白日の下に写し出す。しかし鏡の写すものを人は見る。鏡を見ることはない。その通りだ。お前は優しく、賢い。ふとした偶然でお前を見つけ、いつしかお前なら一緒に暮らせるかもと迷った私の一方的な思い込みがお前を不幸にした。殺すところであった。それが果たせず、なんと清々しいことか。ああ、よかったよかった。
男は今までのことを思い返していた。物心ついたころより田畑に出て、親の真似をして働いてきた。その頃は働くと言う言葉も知らず、ただそうするものと思っていた。ほどなく二親とも亡くなり、葬儀は村の者たちが手伝ってくれた。こうするものだと教えてくれた。その後は、今まで通りのことをただ繰り返していた。ある時、女がやってきて、今まで通りの生活ながら、何かが変わった。話すと言うことが付け加わった。特に何を話すわけでもない。ただ傍らに女がいて、仕事が一段落すれば、「休もうか? 」と言い「もう少し」と応えがある。心というものを知った。胸の奥にある何か。そこから言葉が染み出てくる。女に言ってみた
私もそうだ、お前さえよければこのまま一緒に、何もなかったように暮らしてくれぬかと男が言おうとした時、静かにうなだれた女の首がそのままころりと落ちた。顔と体は木のようになり、まるで木像の首を落としたかのよう。男は驚いたが、すぐに落ち着いた。不思議なほど哀しみはなかった。もう女に逢えないのだなと得心していた。家の裏に穴を掘って埋め、翌日からまた今まで通り畑仕事に精を出した。女のことはとても大事な事として時々思い出したが、何か夢を見ていたようで、自分から思い出そうとしないとあっという間に風化していくようで心もとなかった。
女を埋めたところから百合の一本も芽を出して花を咲かせてくれないかと思ったが、何も生えず土饅頭のままだ。味気ないので祠を建てた。と言っても石を積んだ上に木片で細工した、腰の辺りまでの小さいものだ。毎日朝夕、手を合わせてみたが、それだけだった。
その後どうなったか。特に何もなかったようだ。
女、神と諍うて言い負かすこと
ある所に信心深い一家が住んでいた。まあ小屋と言う方がふさわしい家に家族五人で住み、仲良く暮らしていた。小屋の裏の小さな祠に朝夕、手を合わせ、水を替え、慎ましい夕餉の一部を供えた。
ある時、長雨の後の日照りはいつまでも続き、どうしようもなくなってきた。男は貧しくとも皆が幸せに暮らせるようにと祈っていたが、やがて、何とか、生き延びられるように、そして今は妊娠している妻のために、どうか、おなかの子が無事生まれるようにと祈った。祈りもむなしく、家族は流行り病にかかり、飢えやせ衰えた体ではどうしようもなく、男は自分の子供と母親、妊娠している妻を手にかけた。このまま苦しんで死んでいく、それを見ていることに耐えられなかった。最後に自分も鉈で首を叩くように手を振り、死んだが、その直後、隣人がやってきた。鉈で頭を割られ死んでいた女はそのショックからか、子供を産み落としていた。まだ日足らずで小さく、産声など到底上げられないほど小さく細く弱弱しかったが、確かに生きていた。隣人はへその緒を切って赤子を己の懐にいれて持ち帰った。ほどなく雨が降り、田畑はなんとか湿るほどには潤った。何とか生き物たちは生きながらえることができた。
赤子も何とか生き永らえた。その赤子は誰とも口を利かなかった。特に変わったところはなかったが、神仏に類するものは避けるようにふるまった。祠に手を合わせることもなく、祭りにも参加しなかった。女は村全体で養育し、その分村の雑役をこなして生をつないでいた。
女が十二になった頃また、天候不順で不作となった。凶作とまでは行かなくとも十二年前の打撃が何かと後を引いていた。備蓄余蓄がない。後一つ何かあると村は壊滅しそうだった。寄り集まって話したが特に打つ手がない。人柱を建ててみてはという話になった。これは実は女を持て余して何とかしたいと言う村の気持ちの表れでもあった。女はそろそろ一人前になる。いつまでも村の家が廻り持ちで寝床を与え面倒を見るわけにもいかなくなった。誰か嫁として取ってくれる処もない。嫁が死んで跡が欲しいと言うような老人は十二年前の凶作で死んだ。いずれ年頃の男たちが女をおもちゃにするだろう。それはいい。しかしそれで妊娠でもされたらどうする? 今のうちに何とかしておきたい。売ることも考えたが、誰が売る? その銭は誰が貰う? 女に神の嫁になる気はないかと聞いてみた。さすがに気が咎めたのだろう、神の嫁になれ、人柱になれとは言わなかった。しかし、女に拒むことはできない言い方だった。女はそれでいいと言った。悲しげでも怒っているようでもない、言った者の目をきちんと見て、「それでいい」と言った。村人は娘の声と言葉を初めて聞いた。普通の娘の声であり、しっかりした物言いだった。
女のために着るものを作り、できるだけの食事を用意し、日が暮れてから村の大人数人が先導して村を抜け、森に入り、奥深い所に至った。女の言で、女の家だった裏にあった、男一人が背負子で背負えるほどの小さなものだった祠を持ってきていた。腰ほどまである岩の上に祠を置き、その前にむしろを敷いて食べ物を並べ、女を残して男たちは去っていった。夜が更ける。梟の啼き声が聞こえる。風が葉を揺らす。一応ろうそくが灯されていたがやがて燃え尽きるだろう。女は枝を集めて火を焚こうともしなかった。ただ、じっと祠を見ていた。
霧が出てきた。それほど暖かったわけでもなく、夜になった冷えたわけでもない。霧は濃くなって夜だと言うのに周り一面真っ白になった。霧の彼方から何かが近づいてくる。影のようで、揺らめいている。老人のようなしかし明朗な口調で女に話し声をかけた。
「ひさしぶりだな。わしの嫁に来たわけでもあるまい。何が望みだ」
「望みなどないわ。お前の化けの皮を剥しに来た。」
これはこれは、ひどい言いざまだなと影は笑いながら応え、言葉を続けた。何が不満だ。お前たちの願いを全てかなえてやったではないか。生き延びさせてほしいと願い、その通り、二日、生き延びさせてやった。幸せになりたいと願い、死ぬとき、お前の夫は何と言った? こうしてせめて家族みんなで死ねるだけでも幸せだと抜かしたではないか。お前が子供を産ませてくれと願うから、ほれ、今、わしの目の前にお前がいる。わしはお前たちの願いを全てかなえてやったぞ。
声は彼方から四方から響いて聞こえてきたが、女は声の主の方へ目をやろうと険しい表情で周囲に気を配った。そして言った。何をぬかすか、この畜生め。どうせ正体はましらかタヌキ、伊綱イタチの類であろ。神とあがめられながら、お前は無力ではないか、天災を何とも出来ぬ、我々の運命も何とも出来ぬ。ただ、我らの祈りの解釈をずらしてさも成就したかのように見せかける。インチキ占い師と同じ手ではないか。
わしが畜生でも元人でも、誰かが神と言うなら神ではないか。我ら異人は確かにお前たちにはない力を持っている。
力だと、笑止な。お前にどんな力がある。先ほど言うたではないか。お前の力は所詮、我らの祈りの解釈をゆがめるだけだと。世にある祟り神のどれ程が本懐を成就した。どれも己の恨みを晴らせなかったではないか、恨む相手に神と称え上げられ社殿を建ててもらってそれで満足か。第一人が神になどなれるものか。人が生まれて以来どれほどの者が恨みをのんで死んでいった? 人に、自然に、この世に。血を吐くように恨み言を言い、血の涙を流し、自ら血を流して己の恨みを訴えた。それでどうなった? 呪った相手は翌日ものうのうと生きながらえていたではないか。人に、呪うことですさまじい力を生み出せるなら誰も苦労はない。誰も不幸せになどならぬ。人は、他人の恨みや呪いを恐れた。それはただ、臆病だったからだ。勇者達を見よ。己の夢のために多くを犠牲にしてその骸を足蹴にしながら、高笑いして進んで言ったではないか。そして後の世で勇者と呼ばれる。お前が神であるなら、臆病な人々に祭り上げられたつまらぬ恨み人の類ではないのか、そうでないなら、人の言葉を知り、人の肉の味を知った畜生の類か。
ならばお前はどうだ。あの飢饉の中、娘を生み、その娘に転生したお前こそ奇跡ではないか。
奇跡。そんな転生に何の意味がある。大方、今はその飢饉の真っ最中で、夫に頭を割られ、息絶えようとしている私の見ている夢なのではないか。転生、生まれ変わりと言う者がいるが、所詮は死ぬのが怖い、そんな人間の性が夢見た戯言にすぎぬ。言霊? 言葉に力などないわ。この世の力ある者に対せぬ弱者が縋った儚い幻にすぎぬ。そんなものがお前を神にする。私はお前など認めぬ。我々人は自然に対峙し、時には克服し時には敗れる。人同士も同じだ。強いものが勝つ。時には油断であったり、知恵であったり、偶然が弱い立場の者を勝たすであろう。だがそんな僥倖に期待せず、ただその日のために、力をつけるだけだ。ゆめゆめ、そんな鬼神を信じてはならぬ。
この話、どうやら女が言い勝ったようだが、ではどうなったと言うと、ここで話が終わっている。ただ、その女が捨てられたと言われる森の奥に小さな祠が二つ建っていて、だから女が勝ったと言われているだけだ。大体この国に人柱とか生贄という風習があったのかどうか。
もっとももしそんなことがあったとしても、女はそんな祠を建ててほしかったのかどうかは分からないが。