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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「私のことを忘れるくらい幸せになってね」と義妹が言ったので

作者: 高見 雛


 ある朝、目覚めたら私の世界は一変した。


 正確には、夜明けと同時に寝室へ押し入ってきた継母によって床に叩き落されたのだけれど。


 全身を打った痛みと突然の出来事への驚きに戸惑う私に、継母は金切り声で言い放った。


「この意地汚い泥棒猫! 今すぐこの家から出てお行きなさい!」

「え……?」


 泥棒? 私が?


 継母の大声を聞きつけ、慌てて駆け込んだメイドたちも私と同様に困惑の表情を浮かべている。

 そんな彼女たちの背後で、シルクの夜着の上にストールを羽織った少女がこちらを見ていた。


「クララお義姉様が盗みだなんて、嘘よね……?」


 甘く可愛い声で訴えかける。

 華奢な肩を震わせながら小さな手で口元を覆い、潤んだ目をすっと細めて。


 殿方が目にしたら思わず握ってしまいたくなるほどに可憐な両手の下では、口角が三日月のように吊り上がっていることだろう。


(やられた……!)


 私は一瞬で状況を察した。


 すべては、彼女――義妹であるアリサが仕組んだこと。


 三年前、私が14歳の時に実の母が病に倒れ他界した。

 喪が明けるとほぼ同時期に、父であるワーグナー伯爵が現在の継母とアリサを連れて再婚すると言い出した。


 継母は伯爵未亡人で、前夫の遺産の一部を譲り受けて郊外でひっそりと暮らしていたらしい。

 父いわく、悲しみを乗り越えて気丈に振る舞う継母の姿に惹かれたのだという。


 母を亡くして心に穴が空いていた時に、似たような境遇の女性と出逢ったことで彼女の本質を見抜けないまま再婚に踏み切ってしまったのだと私は感じた。


 再婚当初から、継母は私を毛嫌いしていた。

 肖像画に描かれた母と似た私の顔が癪に障るのだろう。


 1歳下のアリサは、継母とは逆で私によくしてくれた。

 数代前のご先祖様が北方の帝国出身だとかで、この国ではめずらしい金色の瞳に、ウエーブのかかった濃い蜂蜜色の髪をしていて、類まれな美少女だった。

 子犬のように人懐っこくて、屋敷の使用人たちともすぐに打ち解けた。


 ただ、常に言葉の端々に引っかかるものがあった。


『わたしね、先日の夜会で求婚されてしまったの。でも、お断りしたわ。だって、お義姉様より先にお嫁に行ったら申しわけないもの』


『ねえ、お義姉様。お義姉様にも早く縁談が来るといいわね。わたしみたいに』


『お義姉様っていつも真面目ね。冗談が通じないし、顔が真剣すぎて怖いわ』


『幸せになってね。わたしみたいに』


 悪い子ではないから。

 継母のように罵詈雑言を吐かないから。

 いつか、もっと仲良くなれる。


 そう信じていた私が愚かだった。


「あったわよ!」


 私のドレッサーの引き出しを乱暴に漁る継母が声をあげた。


「お前が私の部屋から持ち出したのよね。卑しい娘だこと!」


 継母の手にあるのは、小粒のサファイアを散りばめた青薔薇の髪飾り。


 私の実母の形見だ。


「それは私のものです! あなたが私から奪った! お母様の形見を返して!」


 床に膝をついていた私は抗議の意を示すために立ち上がろうとした。


 ガッ!


「あっ!」


 継母の硬い靴で肩を蹴飛ばされ、ふたたび床にひれ伏すかたちとなる。

 二の腕から首の付け根にかけて激痛が走った。


「これは旦那様にお願いして贈っていただいたのよ。お前のものではないわ。立場をわきまえて物を言いなさい!」


「この……」


 ひとでなし、という言葉を私はぐっと飲み込んだ。


「お義姉様……」


 それまで、メイドの陰に隠れてこちらの様子をうかがっていたアリサが近寄って来た。


 私の前で膝をつくと、美しい蜂蜜色の髪が一房、私の頬に触れた。

 吐息がかかるほどの至近距離で、アリサは小悪魔的な甘い声で囁いた。


「残念だわ。わたしがあんなにたくさん、お義姉様を気にかけて、お世話をして差し上げたのに。物欲には勝てなかったのね」


 瞬間、全身の血が沸騰したかと思った。

 頭の奥がぐらぐらする。


 怒りで、心も体もどうにかなってしまいそうだった。


「あなたがやったのね、アリサ……。あなたが、髪飾りを盗み出して、わたしを犯人に仕立て上げようと目論んだのでしょう?」


 わたしは継母たちに聞こえないよう、小さな声で言葉を向けた。


 今なら、まだ許せる。

 どうか、過ちを認めてこの場で謝ってくれたら。

 父が王都の出仕からこの領地に戻るまでの数か月、我慢して過ごせる。

 王都から父が戻ったら、保養地の別荘へ行かせてほしいと頼もう。

 この人たちと顔を合わせて何年も暮らしていくのは耐えられない。


「やだ、お義姉様ったら」


 アリサは可愛らしい声でクスクスと笑った。

 化粧をしていない起き抜けの顔でも、アリサは人形のように美しい。

 だからこそ、底知れない腹の奥が怖くておぞましい。


「泥棒のうえに嘘つきなのね。もうこれ以上、庇いだてはできないわ」


 残念、と言い添えてアリサは蜂蜜色の眉を下げた。


「庇いだてですって……? ただの一度もわたしを庇ってくれたことなんてないでしょう? 何を言われても、私のものを壊されても、『そんなつもりはないから、わざとじゃないから』と我慢してきたのよ。庇ってあげたのは私のほうだわ!」


「お黙りなさい、泥棒風情が!」


 叫んだのは継母だった。


「あっ!」


 栗色の髪を引っ張られ、私は苦悶の声をあげた。


「せめてもの情けよ。着替えて荷物をまとめる時間をあげるわ。それから、私は義娘思いの母ですから、馬車も用意してあげるわね。1時間後にこの屋敷を出て行きなさい」


 継母はそう言い捨てると、メイドたちを引き連れて部屋を出た。

 アリサもその後を追う。


 去り際に、アリサは蜂蜜色の髪を揺らしてこちらを振り返った。


 床に這いつくばる私を憐れんでいるのか、それとも企みが想定通りに進んで満足しているのか。

 満面の笑みを浮かべていた。


「さようなら、お義姉様。義理とはいえ泥棒と姉妹だったなんて知られたくないから、私の人生に二度と関わらないでちょうだいね」


 私の喉が渇いた音をたてた。

 どんな神経をしていたら、笑顔でそんなことが言えるのだろう。


 そして、アリサは小首をかしげて歌うように言葉を続けた。


「どうか、私のことを忘れるくらい幸せになってね」


 まるで呪いの楔のような言葉が、私の心臓に突き立てられた。



     ★



 必要最低限の荷物を鞄に詰め、粗末な旅装に着替えさせられた私は、馬車で三日ほど移動した。


 ワーグナー伯爵家お抱えの御者は私が幼い頃から勤めている人なので、国境まで私を護送することをひどく悔いていた。

 一時間おきに「申しわけございません、クララお嬢様」と涙まじりに謝罪の言葉を向けられた。


「どうか、もう謝らないで。こんな仕事をさせてしまってごめんなさい。それに、私はもうお嬢様ではないわ」


 屋敷を出る際に、継母から伯爵家からの除籍を言い渡されている。

 父の了承を得る前に手続きが行われるだろう。

 王都から父が戻った時、私の不在を悲しんでくれるかもわからない。

 継母とアリサの口八丁でコロッと騙されるのが関の山だろう。


 結局、形見の髪飾りは継母に奪われたまま返してもらえなかった。


「お嬢様。あと二時間ほどで到着いたします」


 御者がそう教えてくれた。


 継母の指示で、私は王国内でもっとも規律の厳しい修道院へ入れられることとなった。

 罪を犯した女性の更生施設でもある。


 最近だと、王太子殿下の暗殺未遂を起こした側妃のお一人が入られたらしい。

 噂では冤罪だと囁かれている。

 

 修道院への持ち込みを許可されているものは、衣類などの生活用品のみ。

 書物や筆記具はもちろん、裁縫道具は持ち込み不可である。


 好きな本が読めなくなるのはつらいけれど、頭痛を引き起こす怒鳴り声を聞かずに済んで、古びたドレスで夜会に行かされることもなくなると思うと、それはそれで気楽だった。


 私と同じようにあらぬ罪を着せられた女性のたまり場なら、先輩がたとも仲良くやっていける気がする。

 継母とアリサがいない環境、というだけで私の精神はかなり軽くなっていた。


 ガゴッ!


「申しわけありません、お嬢様」


 どうしたことか、馬車が急停止した。

 座席に身を預けていた私は、一瞬前につんのめりそうになったものの、転がり落ちることはなかった。


「どうかしたの?」


 小窓を開けると、御者が困った表情を浮かべて私と馬車の前方を交互に見た。


「人が……行き倒れておりまして」

「まあ、大変」


 急いで馬車を降りて、御者の示す方へと駆け寄った。

 鬱蒼とした森を通る一本道の真ん中で、一人の男性がうつぶせに倒れている。


「もし、大丈夫ですか?」


 御者が膝をついて男性の肩を軽く揺すった。


「う……」


「よかった。生きているのね」


 私は男性の頭を軽く持ち上げ、自分の膝に乗せた。


「お、お嬢様っ!?」


 御者が慌てた声をあげる。


「いいのよ。私はもう伯爵令嬢ではないもの」


 書類上はまだワーグナー伯爵家に籍はあるだろうけれど、数日もすれば除籍されて平民となる。


「お水を」


 御者が持ってきてくれた革袋を受け取り、男性の口元に水を少しずつ落としていく。


 私と同年代か、少し年上といったところだろうか。

 とても整った顔立ちをした男性だった。

 水色に近い銀髪に、同じ色の長い睫毛は花びらのように美しい。

 鼻梁もすっと整っていて、肌はシミひとつなく陶器のようになめらかだ。

 旅装姿だけれど、身に着けているものひとつひとつが上質で洗練されている。

 肩の下まで伸びている髪を結ぶ紐さえも、高級な品と思われた。


(どこかのご令息かしら?)


 お忍び旅行の最中に供とはぐれ、馬もどこかへ行ってしまったというところか。


「お嬢様。いかがいたしましょう?」

「ひとまず、この方を馬車に乗せて修道院へ向かいましょう」

「修道院へ? ですが……」


 男子禁制の修道院へ男性を運び入れるなど言語道断である。

 でも、敬虔なシスターならば行き倒れた人を放っておく真似はしないはずだ。


「責任は私がとるわ。なんの力もないけれどね」


 冗談めかして言うと、御者はため息交じりに微笑んだ。


「お小さい頃から変わりませんね、クララお嬢様は。捨て犬や捨て猫を放っておけない性分でいらっしゃる」


 目の前の美麗な男性を犬や猫と同じく扱うのは失礼な話だけれど、御者の言う通りだった。

 この人を放っておけない。


 御者が荷物のように男性を馬車へ運び込むと、ふたたび修道院へ向かって出発した。


 私は、彼が馬車の振動で転げ落ちてしまわないよう、隣に座って肩を支えていた。

 社交界で貴族令息と踊る時でさえ、こんなに顔が近いことなんてないのに。

 人生で初めて、男性の顔を間近に見ている。


(まるで彫刻……美術品のようだわ)


 閉じられた瞳はどんな色をしていて、どんな声で話すのだろう。


「ん……」


 じっと見つめていると、男性の睫毛が震えた。

 まぶたがゆっくりと開かれる。


「ここは……?」


 澄んだ湖の水面を揺らすような、穏やかな声音が私の鼓膜を揺らした。


「お、お目覚めですか? 道端で倒れたいらしたので、勝手ながら修道院へお連れしようとしていたところです」


 男性の双眸は切れ長で、薄い水色をしていた。

 寝顔も美しかったが、目を開けると光を宿した月のように神々しく見えた。


 男性はふと、自分の唇に指を当てた。


「夢かと思ったが……もしかして水を飲ませてくれたのか?」

「は、はい! 我が家の井戸水は澄んでいますので、お腹を壊すことはないと思います!」


 あの家を「我が家」と呼べるのも今だけなのだけれど。


 すると、男性はふっとおかしそうに笑みをこぼした。


「旅路の水は金銭よりも貴重だ。施しに感謝する」

「い、いいえ!」


 笑顔の破壊力が思いのほか強くて、私は声をうわずらせてしまった。美形の笑顔ってすごい。


「名前も名乗らずに失礼をした。俺はロイドという。申しわけないが、姓は控えさせてほしい」

「お気になさらず。私はクララと申します。近いうちに姓を失う身ですので、私も控えさせていただきますね」


「姓を失う……?」


 ロイドは目を細めて聞き返した。

 怪訝そうでありながら、私の身を案じているような表情だった。

 行き先が修道院ということから、事情を察してくれたのかもしれない。


「君は良家の令嬢で、何かしらの理由で除籍された……ということか?」

「ご明察です」


 最初の想像通り、彼は貴族令息に違いない。


「所作と言葉遣いを見ればわかる。幼い頃から高等な教育を受けて育ったんだろう」

「それは過大評価かと」


 ロイドがあまりに褒めてくれるものだから、私は恥ずかしくなって笑ってごまかした。


「初対面でこのようなことを尋ねるのは失礼だと重々承知している。そのうえで聞かせてほしい。君のような、自発的に人助けができる立派な令嬢がなぜ除籍など?」


 馬車は先ほどよりもゆっくりと進んでいる。

 修道院へ到着するまでしばらくかかるだろう。


 私は、家の名前は伏せて、話せる範囲でこれまでの事情をロイドに伝えた。


 母を亡くして抜け殻のようになっていた父が再婚したこと。

 形見の髪飾りを継母に奪われたこと。

 手持ちの古びたドレスを何度もリメイクして夜会に出席していたこと。

 義妹のアリサとは表面上仲良く過ごしていたけれど、実際は軽んじられていたこと。

 そして三日前、アリサの謀略にまんまと嵌められて窃盗の濡れ衣を着せられたこと。


「君の父上は、娘がそんな目に遭っても何も言わないのか……!?」


 話し終えると、ロイドは怒りに身を震わせていた。


「父と義母はお互いの心の痛みを理解し合っています。母が亡くなった今は、父にとって義母が心の拠り所なのです。私なんかよりもずっと大切な存在のはずです」


「そんな馬鹿な話が許されていいのか……?」


 ロイドがふたたび声をあげる。

 先ほどまでの穏やかな表情から一変して、眉間に皺を寄せて口元をゆがませている。


 つい、私は小さく笑ってしまった。


「す、すみません。嬉しくなってしまって」


「嬉しい? つらいことがあり過ぎて精神が疲弊しているのではないか?」


 私はゆるく首を横に振った。


「ロイド様が、私の代わりにこんなに怒ってくださることがとても嬉しいのです。ありがとうございます」


 寝室の床に叩きつけられて泥棒呼ばわりされたあの朝に比べると、今は驚くほど心が晴れやかだった。

 私は、これまで育てては里親のもとへ送り出した犬や猫たちに向けた時と同じように微笑んだ。


「き、君は変わった人だな。こんなことで喜ぶなんて」


 なぜかロイドはふいっと顔を逸らした。

 心なしか、彼の耳が赤くなっているような。


「今度は、ロイド様のお話を聞かせていただけますか? もちろん、話せる範囲で」


「……ああ、そうだな。失礼ながら君の家庭事情を暴くような真似をしてしまった。その分は話させてくれ」


 修道院への道中、ロイドは固有名詞を伏せて身の上を話してくれた。


 馬車が修道院へ近づくにつれ、私の全身から血の気が引いていくのを感じた。


(いやいやいやいやいや)


 話の途中ですでに、私は内心で頭を抱えていた。


(家名を伏せたとて!!)


 宮廷ドロドロ愛憎ものの小説を死ぬほど読んできた私にはわかってしまった。


 この人、王太子殿下暗殺未遂で修道院に入れられた側妃様のご子息だわ。


 つまり……第二王子殿下。


(そういえば、第二王子殿下のお名前ってロイド様だった)


 何代か前の国王陛下のお名前でもあるから、王国でもかなり人気のある名前なのだ。


 王宮の夜会には何度か出席したことがあるものの、継ぎはぎのドレスで王子様がたの御前へ出ることが憚られていたため、ご尊顔を見たことがなかった。


「あの……ロイド様はもしかして、修道院へ行かれるつもりでした?」

「ああ、その通りだ。道中で嵐に遭って、護衛たちとはぐれてしまった」

「親しい方と……面会など?」

「そのつもりだ」


 修道院は男子禁制。

 ただし、特例が適用された場合に限り数分の面会が許される。


「面会の特例って……王族のみに適用されると聞き及んでいますが」


 つい、聞かなくてもいいことまで聞いてしまっている気がする。

 奥歯がガタガタ震えてきた。


「君は聡明な女性だな」


 ロイドは形の良い唇の端を上げた。


「あの……私、口封じとかされたりします……?」

「どうしてそうなる?」

「だ、だって、やんごとなきご身分の方の……国を揺るがすお家事情ですよ……!?」

「君は命の恩人だ。それに、他人の秘密を言いふらすような人ではないだろう?」


 互いの肩が触れ合う距離で、二人きりの空間でそんな言葉をかけられたら、嫌でも意識してしまう。


 初めて会ったばかりの人に対してドキドキしてしまうなんて、自分がこんなに軽い女だったのかと自己嫌悪に陥りそうになる。


「俺の目的は、母の濡れ衣を晴らし名誉を回復することだ」


 そして、王太子暗殺未遂の真犯人を探し出すこと。

 ロイドはそう続けた。


「今回の旅で、目的はもう一つ増えそうだ」

「え?」


 私が聞き返すと、ロイドは私の平凡な栗色の髪に触れた。


「君の濡れ衣を晴らして形見の髪飾りを取り戻すこと」


 決意を秘めたように強い眼差しが、私をまっすぐに見据えた。


 やがて、馬車は目的の修道院へ到着した。

 門の内側への立ち入りは禁じられているため、私たちはここで馬車を降りた。


「助けていただき感謝する」


 ロイドは御者に一礼すると、自分の衣服を飾っていた宝飾品の一つを手渡した。


「こっ、このような大層なもの! 受け取るわけには……!!」


 彼の身分を知らない者が見ても明らかに高級な品物に、御者は卒倒しかけた。


「どうか気持ちとして受け取ってくれ。命を助けてもらったのだから安いくらいだ」


 ロイドの真摯な言葉に、御者は恐縮しつつ宝飾品を受け取って馬車を走らせ去って行った。

 別れ際、「お嬢様、どうかご自身のお心を信じて生きられてください」と励ましてくれた。


「では、俺はこれで」

「修道院はこの先ですよ?」


 目の前にたたずむ堅牢な門の向こうに、石造りの三階建ての建物がそびえている。


「男は正門をくぐれないからな。俺は裏門から行くんだ」


「そうなのですか……」


 ほんの数時間の旅が、長くもあり短くも感じられた。

 もうお別れなのかと思うと寂しい。


「お母様と……たくさんお話をしてくださいね」


 私にはもう母がいないせいか、つい口からそんな言葉が出た。


「ああ、ありがとう。五分で話せるだけ話してみる」


 午後の木漏れ日がロイドに降り注ぎ、長い銀髪が水面のようにきらめいた。


 一礼して正門をくぐろうとする私の背に、ロイドの声が向けられた。


「また会おう。クララ・ワーグナー伯爵令嬢」


「……え?」


 振り返った時には、美しい光を散らすような銀髪はすでに消えていた。



     ★



 修道院での生活は、実家の百倍……それ以上に快適だった。


 何かしらの陰謀に巻き込まれた、元良家の女性が集うだけあって、修道院の中はちょっとしたサロンのようだった。


 その修道院サロンの中心にいる女性が、元側妃様。

 ロイドの母親である。

 冴えた月明かりのように美しい銀髪と青い双眸は、ロイドと同じ色合いをしていた。



 元側妃様――レオノーラ様は私をこっそりお部屋に招いてくれて、「内緒よ」と前置きして言った。


「息子を助けてくれてありがとう。いつかここを出たら、あの子のお嫁さんになってちょうだいね」


「み、身に余る光栄です……」


 王子様のお母上は冗談もスケールが大きい。


 あの時、ロイドが私の姓を知っていたのは、私と同様に話の内容から推察したのだろう。

 王国内の貴族なんて星の数ほどいるのに、ピンポイントで当ててくるところに怖さを覚えた。


 それからおよそ半年の月日が流れた。


 私は、レオノーラ様と一緒に修道院を出ることになった。

 聞くところによると、やんごとなき身分の方が王都郊外にお屋敷を構えて、二人でそこに住むようにとのことだった。


 用意された(やたらと立派な)旅装に着替え、レオノーラ様と一緒に(これまた立派な)四頭立ての馬車に乗せられ、丸一日移動した。


 自然豊かな土地にポツンと建っている、小さいながらも瀟洒なお屋敷。


 数人の執事やメイドに出迎えられ、私は恐縮しきりで足を踏み入れた。

 レオノーラ様は暗殺未遂の罪を着せられてもニコニコしていただけあって、相当に肝が据わっていらっしゃった。


「今日からお世話になりますね。よろしくね」


 驚いたことに、私は王国の筆頭公爵家の養女になっていた。

 半年前にワーグナー伯爵家から除籍され、平民となったはず。


 父であるワーグナー伯爵は、継母と離縁し、アリサも除籍されて平民になったらしい。

 その後の二人は王都のどこかでその日暮らしをしているとかいないとか。


 継母の悪逆非道を知った父がブチギレて離縁を叩きつけたのだと、執事が話してくれた。

 知らないうちに公爵令嬢になってしまった私は、近いうちに養父母にご挨拶に行くことが決まった。


 なお、ワーグナー伯爵の後継は私らしい。

 父伯爵が引退する際に、私に伯爵位を譲ると書面を通して伝えてくれた。


「私のような者が公爵令嬢で、伯爵位まで頂戴していいのでしょうか……?」

「もちろんよ。だって、クララちゃんは王族の命を救った英雄だもの」


 すっかり屋敷になじんでくつろいでいらっしゃるレオノーラ様がニコニコしながら言う。


「レオノーラ様の冤罪については、どうなったのでしょうか?」


 修道院から出られたということは、濡れ衣を晴らせたと思っていいのだろうか。


「母上は無罪だ。真犯人はすでに投獄されている」


 よく通る玲瓏な男性の声。

 今まで生きたきた中で唯一、私の心臓を大きく跳ねさせた音色。


「ロイド……様?」


 上質な軽装に身を包んだロイドが、開けられた扉の前にいた。


「真犯人は正妃の侍女だった。侍女は地下牢に、正妃は塔に幽閉されている。王太子……兄上は、責任を感じて身分を返上されると進言した」


 ロイドは、どこかに苦さを含んだ笑みを浮かべて言った。


「では、レオノーラ様の濡れ衣を晴らして名誉を回復するという目的は果たせたのですね!」


 私は思わず立ち上がってロイドのそばへ駆け寄った。


「よかった……!」

「クララ……」


 なぜか頬を赤く染めるロイドを、レオノーラ様が微笑ましく見守っている。


「私までこのような素敵なお屋敷へお招きくださって、感謝の言葉もございません」


 私は一歩下がると、ひさしぶりに淑女の礼をとった。

 修道院に入ったばかりの頃、一度だけレオノーラ様に礼をしたところ、「そんな堅苦しい挨拶やめてちょうだい。もっと気楽にして!」と淑女の礼は禁じられていた。


「もう一つの目的も果たすことができたよ」

「……もう一つ?」


 私が首をかしげて聞き返すと、ロイドはおかしそうに笑った。


「君は自分のことには無頓着なんだな」


 ロイドは執事を呼び寄せ、一つの小箱を受け取った。

 紫色をした布張りの小箱を見た途端、私の背筋に電流のようなものが走った。


「こっ、これ……? ロイド様!?」


 弾かれたように顔を上げると、ロイドは満足そうに目を細めた。


「君の父上は思ったよりも話の分かる方だった。あの後、すぐに後妻殿から取り返してくれた。修道院への持ち込みは禁止されているから、君が外へ出るまでの間、俺が預からせてもらっていた」


 私は震える手で小箱を受け取り、そっと開けた。


「ああ……!」


 箱の隙間からこぼれ出る懐かしい青色のきらめきに、思わず涙があふれた。


「お母様……」


 母の形見。サファイアの青薔薇の髪飾り。

 戻って来た。


 ロイドが取り戻してくれた。


「ロイド様……ありがとうございます……!」


「この髪飾りを着けて、俺のパートナーとして夜会に出席してほしい」


「え?」


 聞き返すと、ロイドは私から目線を外して言いにくそうに答えた。


「君を公爵家の養女にしたいと言ったのは、俺なんだ。いずれ、妻に迎えることを考えて……。君の父上も快諾してくださった」


「つま!?」


 自分でも出したことのない妙な声を出してしまった。


 髪飾りの小箱を抱えたままアタフタしていると、レオノーラ様が助け舟と見せかけてトドメを刺してきた。


「はじめに言ったじゃない~。息子のお嫁さんになってね~って」


「あれは冗談でしょう!?」


「まあ、失礼ね。本気よ! ロイドのお嫁さんはクララちゃんしかいないわ!」


 レオノーラ様は年齢不詳の美貌で子どものように頬をぷくーっとふくらませた。


 あまりの可愛らしさにほっこりしたのも一瞬。

 私はとんでもないことに気づいてしまった。


「待って。王太子殿下が位を返上なさるということは……?」


 おそるおそるロイドの顔を見返す。


「繰り上がりで俺が立太子することになる」


「ということは、いずれは……?」


「次期国王かな」


「……の、妻ということは?」


「次期王妃かな」


(いやいやいやいや!)


 私は今度こそ頭を抱えた。


「わわわわわ、私にそんな大層なお役目……務まるはずが……!!」


 今からでも養女縁組を取り消してワーグナー伯爵家に戻りたい。

 もしくは髪飾りを服の中に隠して修道院へ戻りたい。


「でもね、クララちゃん」


 のんびりした口調でレオノーラ様が言う。


「クララちゃんの亡くなったお母様のご実家って、何代か前の国王の王女様が降嫁されたおうちよね?」

「そうなんですか!?」


「知らなかったのか……」


 自分に無頓着にもほどがあるぞ、とロイドが呆れたように言った。


「つまり、クララちゃんは血筋的には次期王妃が適役ってこと。もう逃げられないわよ~がんばって!」


「君はとても勉強家だとお父上からうかがっている。妃教育も難なくこなせるはずだ」


「へぇ……」


 状況を整理すると、


 まず、実父のワーグナー伯爵と面会。いろいろ話す。

 それから養父母となった公爵夫妻と面会。粗相のないようマナーのおさらいをしておく。

 ロイドのパートナー(婚約者?)として夜会に出席。国王陛下に謁見?


「こうしていられないじゃないですか。ロイド様、家庭教師の手配をお願いできますか!? 公爵ご夫妻と国王陛下にお会いしても恥ずかしくないようレッスンさせてください!」


「クララちゃん、やる気まんまんね。おかーさん嬉しいわ~」

「おかあさん……?」


 そうだ。

 もしも、私がロイドと結婚したらレオノーラ様がお義母様になるのだ。


「お義母様ができるんだ……」


 これからの慌ただしい日々に慄くより先に、嬉しさのあまり涙がこぼれた。


「クララ!? どこか具合でも?」

「あら大変。お部屋で休みましょう」


「違うんです、違うの……幸せで」


 心からあふれ出る幸せが温かい涙となって、私の頬を濡らしていった。



     ★



 公爵令嬢で次期女伯爵で次期王妃となった私は、めまぐるしい日々を送っていた。


 ロイドやレオノーラ様、それから王太子を退かれたお義兄様の優しさに触れて、私の心は幸せで満たされていた。


 実父は領地で一人ぼっちになってしまったけれど、駐在の騎士や使用人たちと楽しく過ごしていると手紙で教えてくれた。


 婚約式をひかえたある日のこと。

 ワーグナー伯爵の元後妻とその娘が乗合馬車の事故に巻き込まれて死亡したという報せを耳にした。


 その知らせが届くまでの間、私はただの一度も義妹だった少女の顔を思い出すことはなかった。



『私のことを忘れるくらい幸せになってね』



 奇しくも、彼女の言葉通りとなったのだった。




 おわり

お読みくださりありがとうございました!

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