ダンジョンと幼なじみ。
まずは、とチハルが指折るように挙げる。
『去年の夏休みに、あたしたちが引っ越したでしょ?』
「……は? 引っ越し?」
『ほら、お母さんがさあ。怖いから引っ越す! って聞かなくて。
この国から出てく! みたいな。
………………それも覚えてないの?』
「うちの母さん、そんな思想が強いタイプだったか?」
たしかに、元から心配性な人ではあったとは思うが。
『ほら、あの頃はダンジョンって日本にしか出現してなかったし。
ダンジョンの外に影響はないっていうのも、まだ分かってなかったから。
で、ユウちゃんを残してフィンランドに引っ越したわけ。お隣の白瀧さんちと一緒にね。
まあ、そのあと結局世界中にダンジョンは出現したわけだけど……。ちなみにいま、こっちめっちゃ寒いよ』
…………。
…………あー。
ちょっと待ってくれ。
情報量が多い。
俺を置いてお隣さん総出でフィンランドに引っ越したらしいのも非常に気になるが、もっと気になる単語が出てきた。
「…………ダンジョン? いまダンジョンって言ったか?
なんだダンジョンって」
『え!? それも覚えてないの!?
ユウ兄、いちおう探索者やってるのに!?』
心配そうな様子を声に滲ませながらも、チハルが説明してくれたところによると。
――半年前、日本を皮切りとして突如「ダンジョン」が世界中に出現した。
……それは話を聞く限り、俺が異世界で嫌と言うほど体験したあのダンジョンというよりも、もっと“ゲーム”的だ。
ダンジョン内ではスキルという名の特殊能力が使える上、魔法が使用できるようになる。
当然、そこにはモンスターがいて、アイテムがある、と。
そして、その内部をスキルや魔法で探索し、ネット上で配信を行う……。
そういう人々を探索者と呼び、俺もそのうちのひとりなのだという。
「……なんだそりゃ」
一般人が嬉々としてダンジョン攻略に乗り出すのも不可解だが、その上なぜネットで配信を……?
と思わなくもないが、どうやら半年の間に世界は様変わりしてしまったらしい。
「――で。
俺はそのダンジョンで怪我して入院してる、と」
『ううん。
ユウ兄はダンジョン帰りに転んで気を失ったらしいよ』
「間抜けすぎるだろ……」
自分の醜態に呆れる。そりゃ、母さんも「バカなことはやめろ」って言うだろうよ。
通話を切って遮音魔法を解除したところで、看護師が顔を覗かせた。
大丈夫そうなら帰ってもいいがどうする、とのことだ。
まあ、悩むまでもない。
家に帰るとするか。
諸々の手続きを終え、病院を出る頃には外はすっかり夜になっていた。
記憶を頼りに、実家のマンションまで歩く。
かなり魔力を消耗したせいで疲労感もあるが、懐かしい地元の景色を堪能したかったのだ。
そういえば……。
家族は日本にいないらしいが、一人暮らしってことになるんだろうか。
そう思いながら、ポケットに入っていた鍵をドアに差し込んで回す。
……良かった、住んでる場所は変わってないんだな。
しかし、そうなると親は子どもひとりに高い家賃を払ってる……ってことになるのか。
……なんとも贅沢な話だ。親父、意外と稼ぎあったんだな。
「……帰ってきたんだなあ」
自分の部屋に直行してベッドに倒れ込むと、実感がじわじわと昇ってきた。
強烈な眠気に襲われながら、スマホをポケットから引っ張り出す。
時刻はまだ夜の八時前だった。
ダンジョン。
海外移住した家族。
俺の知らない半年間。
様変わりした世界……。
とりあえず、眠ってから色々と考えるか――そう目を閉じかけて、
『入院のこと、サヤ姉には内緒にしてあげたよ』
チハルから、そんなメッセージが来ていることに気が付いた。
姉。
姉?
俺の知る限り、鍋島家は四人家族のはずだが……。
…………ああ、桜彩のことか?
そういえば、たしかチハルは桜彩を慕ってそう呼んでいた気もする。
しかし別に、醜態を秘密にしてもらいたいわけでもない。
第一、向こうも興味はないだろう。俺たちはいわゆる同い年の「幼なじみ」だが、中学に上がったあたりで疎遠になっていたはずだ。
『あと、サヤ姉にばっか負担かけちゃだめだよ』
続けてきたその文章の意味は、もはや全く分からない。
また、俺の知らない「激動の半年」の間になにかあったのかも知れないが……。
まあ、いずれ分かるだろう。
そんなことをぼんやりと考えつつ、意識が眠りに落ちていく。
***
――俺がそのメッセージの意味を知るのは、それから一時間後。
何者かの侵入に目を覚ました俺が、リビングで桜彩に遭遇し――。
どうやら半年前から一緒に住んでいるらしい、ということが分かってからだった。