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1階

1階でございます。

シンデレラは今日のような日に憤りを覚えながら、本日も新宿の街へ足を運んでいた。



 彼女の本名は当然のことながら、シンデレラではない。SNS上で活動をする際に使用をするハンドルネームである。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるために、ありのままの姿を掲載しよう、という高校一年生の少女にしては幼稚な考えでこの名を付けたのだ。

 その目的のために名前や住所以外のあらゆるものを不特定多数の者が出入りをする空間に曝け出した。その端正な顔立ちやバランスの良い肉体。自分と同じ程の人気を持つインフルエンサー達との楽しげな会合の様子や、渋谷に麻布十番といった高級街での豪勢な食事、六本木等の高層ビルから眺める美しい夜景、そしてファンから貰った品々──。

 殆ど全てを世に晒した代わりに、彼女は累計五〇〇万人という、小さな国の人口と同等の数のフォロワーを得ることが出来た。彼らは自分が彼女にとっての白馬の王子様だと静かに自負をし、様々な手を使ってアプローチを仕掛ける。シンデレラが世に送り出す、洒落た画像に陳腐な文章を付けた投稿にコメントをすることは当然のことながら、ファンレターやお菓子、さらには彼女の名前にそぐうガラスの靴を所属事務所に送り、アピールをするのである。「シンデレラ」と名の付く彼女に数え切れない男が求婚をする。それは物語とは全く逆のことであった。

 しかし当の本人はというと、物語に登場をする心の清らかな少女ではなく、何方かと言えばシンデレラを虐める三人の義姉が最も近いのではないだろうか。はっきり言って、良いのはルックスだけなのだ。

 まず同業者との会合に関しては、仲睦まじそうなのは投稿された写真の中だけで、食事はしても仲は険悪である。下手をすれば殴り合いになるのではないかという懸念を周りに抱かせる程の犬猿さであった。写真を撮ったら、後は食事をしながら互いの妬みだけを言って解散をする。多量のいいねを生み出す種を開発した後は殺伐とした空気を残して帰る。ある意味で害悪極まりない者たちだ。

 次に豪勢な食事や華麗な夜景に関しては、王子様擬き達を絶望させること間違い無い。あれは所謂パパ活をして手にしたものであった。その手に乗ってくれる中年男性など、ただ若い女に見栄を張ってあわよくばその後に貪りたいという願望で出来ている、煩悩の塊なのだ。操って協力させることなど、彼女の外見を使えば容易なことであった。これに関しては、自分の力で手に入れるのではなく他人を介して幸せを得るという点では、原典と何も変わらない気がするのだが。

 さらにはファンから貰った品々を写真に収めて、「いつも応援有ありがとうございます」の文言と共に投稿をし、王子様擬きを喜ばせて、いつか自分が白馬に乗って彼女を迎えに行く妄想に浸らせる。けれども彼女はその中身を知らない。ファンレターは中身を読まずに捨てる紙切れに過ぎず、ガラスの靴は質屋で高く売れる。もっと言えば、毎日数万円以上する食事に舌鼓を打っている彼女にとっては、数千円のお菓子などごみ屑に等しいのだ。即ち、これはただのリップサービスなのである。

 しかしながら、シンデレラの悪行はこれだけに留まらない。彼女にはファンと同等の数をした、所謂アンチが大量にいる。何を投稿しても罵詈雑言を並べる輩が現れるのだ。それをブロックしては見ないようにしている。例えばアンチが勝手に言っているだけなのであれば、シンデレラ自身に非は無いのであるが、火の無い所に煙は立たないのだ。「アニメとかオタクの趣味に生産性とか無いじゃん笑」「◯◯とかっていう映画、マジでクソじゃん笑」と、彼女は彼女で特定のものに対して悪辣な言葉を投げかけている。アンチ、と言うよりも大抵はそれに関する反論でコメントは埋め尽くされるのであるが、アンチのコメントとそれとの見分けがつかないのだ。

 さらには彼女は所謂マウントをとることが非常に多い。先程のアンチや反論をしたいだけの者が意見を述べたとしても、「私はフォロワーが五〇〇万人いるんだけど、その分際で何?」と言って一切の意見に聞く耳を持たない。まぁ、そもそも反論をする者は片っ端からブロックをするがために、彼女の目の中に入って来る機会は少ないのだが。しかも「シンデレラちゃんとコラボしている商品を買ったよ」「いつかシンデレラさんとコラボしたいな~」というごくありふれた投稿にも、「私よりブスなお前にこれが似合うわけないだろ。使うなカス」「たかがフォロワー1万人が何言ってるんだよ死ね」と裏アカで悪辣な言葉を投げかける。これがまだ世にバレていないことが奇跡だ。

 それらを含めて言えることは、シンデレラは、原典のようにその出生や状況のために周囲の人物──ここでは物語の読者であろう。──に悲哀だと言われるのではなく、自業自得なのだと彼女のファンではない外野からは思われている。高々「五〇〇万」という数字とそれによって得られた名声、そこから生み出される富のために驕れる彼女は、ただの裸の女王様。それが現在の状況なのであるが、全く彼女は気にせずに、いつも通りの生活を送っているのだ。



 今日、彼女は新宿のとあるデパートに来ていた。学校で使う筆記用具に、フライパンや化粧品等の動画サイトに投稿する企画で使う道具を購入するためだ。

 独りでデパートに入って行くと、中では家族連れやカップルが、仲睦まじそうに行動をしている。手を繋ぐのは勿論のことらしく、仮にそれが出来なかったとしても程良い距離感を持って行動を共にしている。

 さらには仮に同じく独りで店内にいるとしても、小綺麗なスーツやTシャツを見に纏って背筋をしゃなりと伸ばして歩く彼らには、同じブランド物で全身をコーティングした自分が一切身に付けていない気品に満ち溢れていた。

 反吐が出そうになるシンデレラは、眩しく光る白い照明の中にある、シンプルながら高級感のある化粧品売り場には全くそぐわない面をしながら小幅で歩行をする。いつも華やかな格好や雰囲気を醸し出しながら活動をしている彼女とは、本人にも拘わらず似ても似つかなかったのだが、不織布のマスクで口元を覆っていることから、誰にもそれに気が付かれない。

 透明なショーウィンドーにてスポットライトを一身に受ける口紅やチーク、マスカラ達を無視して歩く。目立とうと努力をし最大限のバックアップを受ける彼らであっても、既に持っているシンデレラにとってはただ目線に入るだけの小物に過ぎない。

 途中、それよりも大きな物がシンデレラの左脚にぶつかって来た。目線を下げて見るとそれは小さな男の子であった。ぶつけた顔を押さえている男の子の方へ、彼の両親と思しき男女がやって来て、「どうもすみません」と頭を下げた。シンデレラが軽く会釈をすると、再度彼らは頭を下げてその場を去って行った。

 シンデレラは不機嫌になった。あの男の子が彼女の左脚と共に琴線にぶつかってしまったのではない。彼がぶつかったのはエステで丹念に手入れをされた脚だけであった。苛立ちを覚えた対象は、手を繋ぎながら去って行く親子の後ろ姿であった。「気を付けなさいよ」と念を押す両親に、「はーい」と分かっているのかどうか判らない返事をする。「理想の家族」という言葉の代表例とも取れる様相は、シンデレラを不愉快にさせるのに充分なものであったのだ。

 室内やショーウィンドウの中の白い照明が彼らを照らすがために、シンデレラは思わず目を瞑る。そして右手を握り締めて口角を変な方向に上げた後、再び足を進めた。

 やや通りにくい道を歩いて辿り着いたのは、二基のエレベーターの前であった。薄茶色の扉は室内の白い灯りを吸収することによって、影を作って寧ろ暗い印象を醸し出している。

 上昇と下降を示す三角形のライトは何方も下降していることを示していて、左側のものは七階から、右側のものは十階から下りて来ているのが判る。

 一階に到着するのを待つのも憂鬱なのであるが、今のシンデレラの両隣にはカップルや親子連れが手を繋ぎながらその時を待っている。彼らが無償の愛を含んだ笑顔を顔に浮かべる度に、彼女はマスクの下で歯軋りを静かにした。反吐が出そうだ。出来れば今すぐにでもトイレに駆け込んで胸の中に渦巻く何とも言えない感情を処理したいのだが、物理的に吐き出すことなど不可能であることから、この症状に悶えるしかないのである。

 暫くして、ベルの音が鳴ったのと同時に、左側のエレベーターが着いたようだ。薄茶色の扉が無くなった代わりに、中に押し込められていた乗客達が次々と譲り合いながら、けれども我先にと降車する。空になったところで待機をしていた者達が入り始めた。けれども、シンデレラが乗ることは無い。乗ろうとする素振りすら見せることは無かったため、再びベルが鳴って扉が閉まり、エレベーターはライトで上の方向を示して上昇を始めた。

 それを見送ったシンデレラの前で、閉められた扉の薄茶色に再び影が差す。後方から放たれる白い光との差が激しいためか、目がチカチカし始めてきた。目を瞑って逃げ出そうとも考えたのだが、エレベーターが着いた時に自分以外の誰かが乗って来るのを警戒しなければならないがためにそれは出来ない。

 大変憂鬱な気持ちになったところで、遅れて右側のエレベーターが到着した。扉が開いて二人程が降りる。

 警戒しながら辺りを見渡す。奇跡的に自身の周りには誰もいない。この好機を逃すことはせず、シンデレラは大きな箱の中に乗り込んだ。

 扉よりも薄い茶色の壁で作られたエレベーターの中は落ち着く。アニメ作品とコラボをした期間限定のキャンペーンや、何処かの地方の特産品を集めた物販展を告知するためのポスターが限られた枠の中で、豪華な雰囲気を崩さない最善のバランスで配置されている。見上げると扉の上の方に回数を示すランプがあって、今は「1」に灯っている。

 素朴な高級感に満ちたこの空間を今自分は独り占めしている。その事実が彼女の気持ちを静かに昂らせた。シンデレラに限らず、こういう人間は自分が特別な場所や状況下に置かれることによって、最大の快感を得ることが出来るのだ。しかもその快感というのは自分独りで味わうことでも良いのだが、身体が弾け飛んでしまうくらいのものを感じるために必要なのは、それを公に曝け出すということ。そして顔も名前も分からない、分かっているとしてもその真偽が不明な相手から歓声と罵声を受け取ることである。彼女はもうその虜になってしまったのだ。でなければ、不特定多数の人間が出入りをするプラットホームに幸せそうな自分を開示などしない。開示していることこそが何よりの証拠だ。

 けれどもシンデレラは突如として不機嫌になった。階数ボタンの所にもう一人、人がいたのだ。黒いスーツを羽織ったその人物のことを最初はエレベーターガールか何かだと思ったのだが、このデパートではもうエレベーターガールの制度は廃止されていることを思い出し、自分と同じただの客だと察した。

 予想外のことにマスクの中で一回舌打ちをする。この場所を制圧した快感がこの見知らぬ人物にも享受されるのだと思うと、これまで独りになれるようちっぽけで無駄なとも思える努力が全て水の泡となって消えていくような感触を覚えたのだ。

「何階に向かわれますか」

 いきなり話しかけられた。少し高めの声からこの人物が男子であることは判り、シンデレラは警戒してしまう。自分の投稿を閲覧する人間の割合は、男性が七割、女性が二割、性別不明等のその他が一割というように男性が圧倒的多数を占めている。今はまだ扉が開いているため良いが、もし閉まってから再び開くまでの数秒間に何かをされるやもしれない。杞憂ともとれる恐怖が沸々と湧いてきた。

「……二階で」

「はい。畏まりました」

 恐る恐る言うシンデレラに対し、男は晴れやかな声で言った。シンデレラの位置する場所から顔は見えないのだが、きっと笑みを浮かべているのだろうと思うと、まるで自分がエレベーターガールを気取っているように見えて若干怖くなった。

 その怖さと自分以外にもこの場にいるということへの不快感から逃げ出そうと思ったところで、残念なことに 僅かにモーターが音を鳴らしながら閉まった。重力に逆らって動いているがために、全身に重石がのし掛かったような感覚が襲って来る。

 ここから恐怖の数秒間が始まる。この男は一体何を仕出かそうとするのかに対して相手に悟られないよう怯え始めた。抱きついて来るのか、卑猥な言葉でもかけてくるのか──。

「今日は全館でフェアをやっているんですよ。楽しんで行ってくださいね」

 シンデレラの予想とは裏腹に、男は一切の手出しをして来なかった。寧ろこのデパートに関する情報を提供するという、彼女がその情報を必要としているか否かは置いておいても、良い待遇を受けさせたのだ。まさかのことに驚愕すると共に、自身の考えが完全なる杞憂であったことに勝手に恥ずかしさを覚えたのだ。マスクの下では頬を赤らめ、中に湿った息が充満し始める。

 少し経って、ポーンと鳴ったのと同時に、全身にのし掛かる重石が全て退いて身体が軽くなった。

『二階でございます』

「二階です。どうぞ」

 扉が音を立てて開く。その先を男が左手で指し示し、降りることを促したのだ。

 軽い会釈をするシンデレラ。もう二度と会うことは無いであろう他人と別れることが出来る喜びに舞い上がってしまいそうになるのだが、間接的とは言え表に出る仕事をしている彼女だ。見栄えが悪くなると思って全力で抑え込む。

 そしてシンデレラは狭い箱から、外の世界へと飛び出して行ったのだ。

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