王冠の行方
この作品は「王妃の試練」の続編となります。
人によっては、不快になる内容なのでご注意下さい。
また前作と矛盾があるというご意見があり、信頼できる人と確認しましたが、問題なしと判断しました。
それでも矛盾があると言うのなら、具体的にここだと明示して下さい。
令和5年8月22日(火)、8月31日(木)
誤字修正に伴い、一部加筆修正を行いましたが、内容は変えていません。
令和5年9月2日(土)
ネット検索に引っかからせたくなく、タイトルを変更しました。
令和5年9月14日(木)
見直し作業を終え、本文の表現を変更しましたが内容は変わっていません。また作業を終えましたので、タイトル及び著者名を戻します。
「信じられないわ! 王妃からは嫌われていたけれど、ラテューの親友という立場だったから、誰より近くで王子に寄り添っていたのは、この私よ! それがなんで、またあの家の娘が選ばれるのよ!」
王太子、アメント殿下の婚約者が決まったという話は、あっという間に貴族社会に広まった。二人が顔を揃って披露する日も、後日開催される殿下の誕生会だと発表されたので、姉上の怒りは止まらない。
姉上の言う“あの家”とは、ラテュー様の生家だ。
とはいっても、家長はすでに交代されている。ラテュー様の父上が、自分の弟夫妻へ地位を譲り、今は城で働いている。
その生家の娘が婚約者に選ばれたと知り、婚約者候補にも挙がっていなかったラテュー様の従妹が相手だなんて、信じられないと姉上は叫んでいる。
「あの家と、これで手打ちにしたのかもしれないな。一度壊れた関係を修復し、一族や派閥を黙らせるのに最適な相手だったということだろう。だが、それでも予想外だ」
腕を組む父上も憤懣を抱えている感じだ。
情報を得るようにと、父上から第二王子、マレディ殿下へ近づけと言われたのは、もう何年前だろうか。
新たな婚約者について、マレディ殿下はなにか情報を得ていないかと尋ねられたが、そのたびに僕は、殿下はラテュー姉様に会いたいと悲しまれているだけですと言えば、勝手に失望された。
「まだ十歳になったばかりとはいえ、曲がりなりにも王族。それなのに、実の姉のように慕っていたラテューが消えただけで、べそをかくとは……。幼稚すぎる、使えん王子だ。だが将来を考えると、まだまだお前には、友情ごっこを続けてもらう必要があるな」
権力、名声を求める両親と姉。
一体三人はそれを手に入れ、なにを成し遂げたいのだろう。僕には明確な未来が見えず、ただそれらだけを求めているようにしか見えない。
国のため、民のためと言いながら、自分にとって都合の良い世界しか見ない、僕より年上の三人。大人とはよく分からないものだと、静かにティーカップを持ち上げる。
そして迎えた誕生会。
「レチェリ様、ごきげんよう」
姉上に声をかけてきたのは、婚約者を連れたリムズ様。その昔、ラテュー様と殿下の婚約者候補の最終まで残られた方だ。
ラテュー様に敗れ、二人の仲は親しくないと言われており、実際二人が積極的に関わっている場面はほとんどない。だが、あの試練の期間、リムズ様はラテュー様に対し、なにも動きはしなかった。そのことを姉上たちはどうするか思っていたのやら。
「今日は殿下の将来に関わる大切な日ですから……」
ちらりと姉上の隣に立つ、僕を見られる。
「私たちもらい臣下として、殿下が陛下になられた際、尽力できるよう、二人で祝いに参りましたの」
姉上の目が険しくなる。
ラテュー様を蹴落とし、殿下の婚約者になろうとしていたので、まだ婚約者が決まっていないのだ。優良物件と言われる同年代の男性には、もう相手が決まっている。すっかり計画が上手くいったと安心していた三人は、やっとここで焦りを見せている。それを煽るような言い方に、姉上も言い返したかったのだろう。
「リムズ様こそ、また殿下のお相手に選ばれなかったようで……」
「当然でしょう。私にはご覧の通り、すでに将来を約束した相手がおりますもの。最初から数に入って降りませんん」
それではと立ち去る二人を、姉上は睨み続けた。
「ヴェラン、こっちだ」
笑顔で片手をあげ声をかけてきたのは、マレディ殿下。
僕は断りを入れ、殿下たちのもとへ向かう。
今日、この場にいる同年代の者は非常に少ない。殿下を中心に、そういった年代の者たちが集まっている。気心知れた顔ぶれに、ようやく呼吸が楽になると、アメント殿下たちが姿を見せた。
「今日は私の誕生会に集まってくれ、礼を言う。そして事前に通達していた通り、今日この場で、私の婚約者を発表させてもらう。さあ、こちらへおいで」
そう言って殿下が、背後の垂れ幕のようなカーテンへ向け、手を差し出す。その手を取り現れた人物の登場に、一気に会場がざわめいた。
「な、なぜ……! どうして貴女がそこに立っているのよ、ラテュー!」
あまりの衝撃に、この場がどういう所か忘れたのか、叫ぶ姉上の声が聞こえる。
知っていた僕たちは殿下に続いて、祝いの言葉を述べる。
「兄上、改めてご婚約成立の喜び、ここに申し上げます」
「アメント殿下並び、ラテュー様に幸運ある未来あれ」
「未来あれ」
会場の所々から、仲間たちが動揺することなく頭を下げる。
なにも知らない人たちにとっては、試練に耐えられず隣国へ逃げたはずのラテュー様が、なぜ檀上に立っているのか理解できないだろう。そう、姉上たちのように。
「これはどういうことですか! 彼女は試練に耐えられず、国を出た人間! それを、また……! 大体、王子の婚約者となるのは、違う娘のはずではありませんか! それが、なぜ……!」
姉上と同じように納得できないと叫ぶ臣下へ向け、冷静に陛下が告げる。
「妙なことを言う。ラテューの両親は地位を返上したが、家から名を消してはおらぬ。ラテューもまた同様なだけよ」
「……は?」
随分と間抜けな声だ。
家督を譲るということは、貴族を抜けたと勘違いしていた者が、やはり多かったか。
「つまり王太子は、一度解消された婚約関係を再度結んだだけのこと。しかもこれは、最初から双方合意のもと」
以前より痩せられたままのラテュー様は、毅然とした態度を崩さない。その姿は、家に閉じこもられる前に戻ったように見えるだろうが、それは違う。ラテュー様はずっと、なにも変わっていない。それを僕たちは知っている。
「なにをふざけたことを! 大体、それでは先日まで王太子の婚約者を決めるやり取りは、なんだったのです! 茶番だったのですか? 遊びではないのですぞ!」
「王妃は反対していたであろう? それを勝手に議会や一部の貴族が動いていただけだ。それに我々は本気だ。全ては今日のため、王家が進めてきた計画なのだから」
「計画?」
「そう、王妃の試練と呼ばれる慣習を、完全に消し去るため。先代の頃から密かに動き、やっと今日実を結んだ。私の頃ではまだ色々と足りず、王妃には辛い目に合わせてしまった」
陛下の隣に着席されている王妃様は、気にしていないと言うように微笑まれると、陛下の手の上に、ご自身の手を重ねられた。
「しかし、王妃の試練であれば先日、陛下がお止めになると宣言されたではありませんか」
「そうだな。しかしあの時、各家の一族の当主しか呼ばなかった。私は試したのだよ。結果、私の言葉を一族だけではなく、家族にさえ伝えなかった者たちが見つかった。こやつらは、王妃の試練を続ける……。もしくは、続けたいと考える者たちと判断した」
通常であれば、陛下に呼び出され命令された内容を伝えるべきだ。それを怠った者たちは今、なにを思っているのだろう。知られていないと安心していたのに、知られていたと、恐怖を感じているのだろうか。
「このおかしな慣習には、祖父も父も疑問を抱いていた。本当に必要なのかと。だが多くの臣下は、続いてきたこと。必要なことと言い、なぜ必要なのかは語らず、ただ継続を求め、それかまるで我々からの強制だと言わんばかり、勝手に動く。疑問を呈しているにも関わらずにな。しかし中には我々と同じくこの制度に対し、思う者たちもいた。だからまず、王家と同じ考えか否か、それを調査するために各家に密偵を放った。今ではどこの家にも密偵が放たれていると思え」
「な……っ」
「いくら王族とはいえ、そのような横暴なこと、許されるとお思いか?」
「お黙りなさい。我が家にも密偵を放っていながら、陛下を責める道理を貴方はお持ちなのですか」
陛下に対し非難の声をあげた一人に向け、ラテュー様がぴしゃりと言い放つ。
「その密偵は父の信用を得ようと、無理やり私の部屋の扉を開けようとしたので、こらしめる必要を感じ、その手をペーパーナイフで何度も刺しました。そのおかげで貴方には、あの女は狂っていると、真に迫る物言いになり、助かりましたが……。私が精神を病んだと言い触らす、誰かが欲しかったので」
「う……」
汗をかきうなだれる様子から、まさか密偵を放っていることを気がつかれていないと、本気で思っていたのかと驚く。
相手は未来の王妃となる御方。つまり、王族となる女性。ただの貴族よりも上で、その護衛方法や周囲の人間に関する調査は、仔細に渡るというのに。
そういえば我が家にも、他家の婚約者候補と呼ばれた家の者が密偵を放っていたな。父上たちは気がついていないようだが。気がついた上で、あんなに怒りを露わにするはずがない。
皆そうやって人を送りこんでいるのに、いざされていると分かれば横暴だと文句を言えるのは凄い。まるで僕たち子どものようだ。
「王妃の試練もそうだが、この国の多くの貴族は、王家を軽んじている」
「そのようなことは……!」
「ではなぜ、私の言葉を誰にも伝えず、己の中だけに留めた。国王である私の言葉を、皆へ伝えるようにと命令されながら、なぜ無視をした。納得のいく回答をしろ!」
錫杖をだん! と床に突く陛下が怒りのせいか、巨大化したように見える。
「現国王、未来の王妃への仕打ちから考え、現在この国の貴族の大半は、玉座というのは形ばかり。もしくは自分たちの手の内の存在で、名ばかりの頂点の一族という解釈をしていないか? 違うというのなら、釈明せよ!」
再び、だん! 床が突かれる。
「これより名を呼ぶ。その者たちは陛下へ回答、もしくは釈明をせよ」
もう誕生会はどこへやら。アメント殿下が巻物を広げ、読み上げていく。途端、会場が混乱の渦となる。
「どういうことですか、あの噂は本当だったのですか! 私には噂は噂だと、そう言ったではありませんか!」
「なぜそんな大切な話を……! 妙だとは思ったのよ、やけに最初、止められて……。私、ラテュー様の従妹に対し……。謝罪して終わる話ではありませんわ! お父様、分かっていて? あちらは侯爵家で、我が家は伯爵家! どうするの! そんな大切な話は、ちゃんと教えて下さいな!」
「勝手に動くのが悪いのだ!」
名を呼ばれた家々の者たちが、互いに互いを非難する。
そう、ラテュー様の従妹が試練だと嫌がらせを受けていたが、大半が陛下からの話を知っており、乗りかかる者はいなかった。さらには止めようとした友人もいたようだが、結局は距離を取られるようになり……。
「親子や一族の言い争いは、場を変えて行え。それで、釈明はまだか?」
「……長年の慣習のため、ご冗談だと……」
「そ、そうです。王妃としてふさわしい人物か見極めるため、必要な課程。それを失くすとは、信じられず……」
ようやく絞り出された答えに、陛下は鼻で笑う。
「では侯爵家のお前に問う。お前は自分の娘が他家へ嫁ぐ際、その家から、我が家の嫁にふさわしいか試練を与えましょうと言われ、冬は薄手の服を着せられ、食事も質素なもの。反論しようものなら、ひもじく寒い思いをする領民の気持ちを理解するためです。民の気持ちに寄り添うために必要な課程なのです。そう言われ、お前は娘にそれを何ヶ月も体験させられるのか? さらにその期間が終われば、私達は家族。家族だから許し、愛し合いましょう。そう言われ、愛せるか?」
「そんなこと大事な娘に……! ……あ」
やっと分かったのだろう。自分たちが、その娘がなにを行ったのか。
許しがたい行為を長きに渡り味あわせ、我慢しろ。これで我慢できなければ、結婚はできない。嫁として認めない。そう言ってきたのだから。
それをラテュー様だけではなく、歴代王妃に行ってきたのが僕たちでもあり、先祖皆でもある。
王妃になる。
ただそれだけで、周りが生き方を強いる。もちろんそれが、王族としての生き方なら問題ない。だが多くの者は、なぜあの娘が婚約者に選ばれた。妬ましい、許せない。だったら、王妃の試練の時に当たろう。そうすれば、なにをやっても許される。そんな浅ましい考えで、生き方を強いることは許せない。
こんな最低な慣習を続けていたことが、僕は恥ずかしい。
「あと話題になった新たな婚約者候補だが……。王族の一員になるのだから、条件が絞られることは仕方がない。だが不思議なのだが、そんな地位の娘たちでありながら、婚約者が今もいないということは、どういうことか。よほど問題のある娘たちなのだろうな。だからこそ、余計に王妃は反対していたのだが……。これは純粋な疑問なのだが、なぜ問題のある娘たちを王太子の婚約者候補として名を挙げた?」
問題のある娘と言われ、ラテュー様を蹴落とした後、殿下の婚約者になろうとしていた者たちは、屈辱に顔を赤くしたり、泣きそうに顔を歪めたりした。
陛下に言われたのだ、問題のある娘だと。ここでそう言われ、それがどんな結果となるか、分からないほど愚かではないのだろう。姉上など勝ったと思っていたから……。怒り、顔が真っ赤だ。いつ怒りを爆発させるか分からない。
「まあ、陛下。それは私を蹴落とした後、新たに自分が婚約者になるため、最初から障害を作らないよう、婚約者を決めていなかっただけのことでしょう」
ラテュー様が答えると、陛下もそうだろうなと頷く。
「その理由もあっただろう。つまり、そういう娘を持つ家は、最初からラテューを蹴落とすつもり……。つまり、王太子の婚約者として認めていなかった訳か。それにしては、こんなこと、本当はやりたくありません。ラテューに謝れないままお別れなんて悲しい、とか言っていたな」
まるで世間話のように陛下は軽い口調で言うが、心当たりのある者たちは、ほとんどがなんらかの反応を見せる。
「う、う、嘘ではありませんでした! 私は! 本当に! 王子、そうですわよね? 私、王子の前でどれだけ憂いていたか、ご存知ですよね!」
「そ、そうですわ! ラテュー様が戻られ嬉しくて、驚いて……」
姉上も必死だ。だが檀上の殿下の目は、冷ややかなまま。
「改めて計画の全貌を明かそう。まずラテューが王太子の婚約者となった理由だ」
これは当時、ラテュー様を推す王妃様派と、それ以外の派閥で争ったが、結局は王妃様の意見を陛下が尊重されたことになっている。そのため、王妃様がまず口を開く。
「私がラテューを推した理由は、彼女の母親が外国から嫁いできた者だからでした。この慣習に対し、拒否、違和感を持つ親の存在が計画にとって、都合良かったからです。もちろん彼女自身の物事へ取り組む姿勢、勉学に対する伸び力等も考慮しました。リムズでも問題はありませんでしたが、より計画を円滑に進めるには、ラテューが良かったのです」
これには姉上の口の端が、少し上がる。
そんな理由で婚約者に選ばれたのかと、優越感にでも浸っているのかもしれない。でも見ていたら、殿下とラテュー様が互いを尊重し愛し合っていると、気がつくはずなのに。
「さらに当時、私は皆に言いました。もし王妃の試練のことで不安があるのだとしたら、長く続き、これからも続けようとあなたたちが考えるほど立派な慣習。それならば外国に知られても、問題ないでしょう、と。これにより多くの者を黙らせ、また、慣習について思うことのある者たちが判明することに繋がりました」
「これまでも慣習を止めるよう、王家は動こうとしたが上手くいかなかった。どの時代も、これまで多くの貴族が妨害してきたと伝わっている。歴代王妃の中には、皆を平等に見られたのは、誰も信用していないからだと言い遺した者もいる。それほど心に傷を与える慣習を止めたいと考えるのが、当然であろう」
「私たちは幼い頃から、いずれラテューが試練という名の辛い期間を与えられると聞かされ育った。その頃からずっと私には、必要と思えない慣習だった。なによりラテューに、そんなことで、苦痛を味わってほしくなかった。だから最後まで皆の良心へ訴えるよう、何度も必要なことなのかと尋ねたのに……。残念だったよ」
「私については、自ら志願したのです。計画の一部となることで、この慣習について外国へ情報を流すと。なにも知らず迎えに来てくれたイトコたちからは、私の決意が固いと知り、今は国へ帰り、社交場等で、この慣習について話してくれていることでしょう」
「しかも彼らには追加情報も渡している。私が終わらせたはずの慣習を、続けようとしたり、続けていたりする家があると。つまり、私という国王の求心力が弱いと判断する国も出てくるだろう。そうなれば、どんな未来が起きるかその可能性を考えなかったのか……!」
隣国を中心に慣習が知られていると知った者たちは、ざわめいた。彼らとて分かっていたのだ。本当は誇れぬ、悪しき慣習だと。
「長かった……。父の代から味方作りを始めた。この慣習について、直接諫言する者もいた。馬鹿げた慣習は廃止すべきだと。そういう者たちから話をし、味方へ引きこんだ。多くの情報が必要となるため、各家へ密偵を放った。だが家によっては厳しく、なかなか送りこめず、時間がかかってしまった」
「慣習廃止を訴えていても、信用できるかどうかは、また別問題。だからそれを調べるため、どうしても各家へ密偵を放つ必要がありました。全て整った頃、ラテューへの試練の話が持ち上がり……。本人が話した通り、王太子は可能であれば廃止したい意向を示しましたが、陛下の頃と同じく、その訴えは退けられました」
穏やかに慣習を廃止できるのであれば、そうされたかったのだろう。だが、殿下の意向は却下された。
「恥ずかしながら私の父は、慣習だから当たり前という、考えを放棄している側の人間でした。父にとっては、ただ習慣だから当然だったのです。当たり前のように、それがあって普通だと。ただ他所から見た時、どう思われるのか考えることを放棄したことは、よくありません。でも、そういう方もこの場には多くいらっしゃることでしょう」
外国をろくに知らなければ、それがどれだけ異常なのか分からない。そういう気持ちや考えは、僕にも分かる。考えを放棄したと表現されたことにより、ばつが悪そうになる人には、同情してしまう。
「しかし母にとっては、受け入れがたい慣習でした。私は両親を前に強い衝撃を受けたことにより、狂ったように振る舞いました。そして隣国のイトコと一緒に家を出た際、なにも持たなかったのは、ここへ帰ってくるからでした」
姉上はなにも持たず、従妹のぶかぶかの服を着て、髪の毛に艶はなくぼさぼさで、汚らしい女になったと嘲っていた。しかしそれが騙されていたと知り、今はなにを思っているのだろう。
「髪の毛を伸ばし放題にし、私より身長の高い従妹の服を着て、同じ髪の色の色、同じ背丈の女性と入れ替わっても、容易には気がつかれないと考えました。隣国へ向かう途中、私は別人と入れ替わり密かに城へ戻り、両親と再会し、騙していたことを謝罪しました。当時、両親が本当に私の精神が参ったと勘違いし、素で怒ってくれたからこそ、私が狂ったと信じた方は多かったことでしょう」
「しかしラテューが本当に隣国へ向かうか、疑う者もいた。尾行していた連中の一部は、捕らえておるよ」
計画を知らされた時、僕たちはそこまでしなくてもと言った。けれど、僕たちはまだ子どもだから、考えも経験も浅かった。事実、姉上は見送りと称し笑いに行き、馬車が出発しただけで満足したが、疑い、尾行をつけた家があった。
だが本当の大人たちが言う通り、あの恰好で宿泊先の部屋の中で入れ替わったら、騙せた。
多少の差異も身ぎれいにしていたら、見破られただろう。だがわざと髪を乱れさせ、服もぶかぶかであれば、その多少の差異はごまかせる。
ラテュー様のイトコたちも計画に協力してくれ、入れ替わった女性に対しラテューと呼び、一口でも食べてと食事を促したり、心配したりする場面を見せていた。
「まだ計画を知らなかった頃の両親は、貴女を嫌っていると言われる王妃様を訪ね、貴女を婚約者にさせない協力をすると申し出た。そこで王妃様により計画を打ち明けられ、両親は地位を叔父様たちへ譲り、城で勤めながら私の帰りを待ってくれました」
「王妃様、質問がございます。なぜ僕の姉を嫌われていたのでしょう」
どこかの場面でこの質問を行うようにと言われていた。今が頃合かと思い尋ねるが、周りの大人は直接的な質問に驚きを隠さない。こういった質問は、僕たちが子どもだからできる。そう、僕たちも大切な計画の駒。
「簡単な話です。あの子は、私の自称友人たちと同じ目をしていたから。ラテューへ近づき親しくなったのは、彼女を蹴落とすつもりか、王太子の愛人の座を狙っている目だったからです。あら、気がついていないとでも思って? 陛下からも聞かされていたのよ。ずい分と貴女たちから私の不満や悪口を聞かされ、体は密着され、うんざりすると。今は結局、王妃の友人という旨みを堪能しているようですね」
一部の夫人方へ注目が向けられる。
王妃様の友人と呼ばれるのが誰なのか、この場で分からない者はいない。誰もが王妃様が誰のことを指しているのか分かり、つい視線を向けたのだろう。
「私も見くびられたものだと、あの頃は落ちこんだ。もっとも歴代の中では色狂いの王がおり、そういう代の王太子は、公然と多数の女性と遊べると喜んだらしいが……。祖父からずっと、私達はそういう人間ではないのでな」
「ラテューを裏切っていながら、王子の気持ちは分かりますと言われ、どれだけ不快になっていたか……。この気持ち、君たちには分からないだろう」
王妃様は言われていた。ある意味、正面からぶつかってきた相手の方が信用できると。陰でこそこそ陰湿に動き回る、姉のような人物は信用できないと。
「……ふざけないで下さい……」
檀上から冷たい目を向けられながらも、低い声を出したのは姉上だった。
「つまり、こういうことですか? 王妃の試練を廃止したいけれど、難しい。だから各家に密偵を放ち味方を集め、ラテューは精神を病んだようにして隣国を巻きこみ、それで試練を完全廃止させると。それが終わったら、王子の一度解消した婚約を再度結んだ。そういうことですか?」
「端的に言えば、それで間違いではない」
まさかの展開に、姉上も仮面をかぶる余裕がないのだろう。引きつった笑みで、素を出している。
そんな彼女を残念そうに、ラテュー様は見つめる。
「レチェリ、私は幼い頃より王妃様から忠告を受けていたの。この国では、友情面する者ほど信用ならない。真に信頼できる者は、諫言を申せる者や正面から向かってくる者。貴女たちのように、褒めたり慰めたりするだけの人が近寄ってきて、王妃様が言われていたのは、こういうことだとすぐに分かったわ」
この瞬間、偽りでも存在していたはずの、ラテュー様と姉上の友情は消えた。
姉上はラテュー様のことを、おだてればすぐに本気にするおめでたい女と言っていたが、そのおだてた言葉は聞き流されていただけ。表面上は親しくしていただけ。それに姉上は気がつかなかった。
「貴女が私を嫌っていることは、ご友人の皆様との手紙のやり取りで判明しています」
そしてラテュー様は従者の持ってきた手紙の束を、投げるようにして床に散らばせる。
皆の目線は自然、足元へ。どの封筒も、家紋や封ろうでどの家から出されたものか分かるものが多い。全て密偵や僕や仲間たちが集めた手紙だ。
「……拝読してもよろしいでしょうか」
「許可する」
陛下から許可が出ると、恐る恐ると、手紙を拾い上げ中身を改める。
「……堂々と虐められる王妃の試練の制度とは、なんて素晴らしいのでしょう、ですか……。この便箋の下部にある家紋、伯爵家ですね」
名指しされた家の娘が涙目で、その場で腰を抜かすが、父親が無理やり立たせる。
「お前……! 手紙なんかで、そんなことを書いたのか?」
証拠を残すような真似を仕出かすな。そんな裏の声が聞こえる気がするのは、僕の気のせいだろうか。
「どれも酷い内容ばかりだ。娘が生き生きしている姿を見ると、思い出す。王妃になるための試練だけではなく、王妃を続けられるかの試練制度がなぜないのか、残念だと。なるほど、これでは王妃様が自称友人だと見限られたのも頷けます」
「ち、ちが……っ。冗談、そう、冗談なのよ! 親しいからこその冗談ってあるでしょう? 私もたまには日々の鬱憤を晴らしたくて……」
夫人の一人が弁明するとばかりに声をあげるが、誰の手紙なのか明かされていない。自ら墓穴を掘った妻を、隣に立つ夫が睨み黙らせた。
「ラテュー様のお父上と同じく、この国に生まれ育った私にとって慣習は当たり前のものであり、考えることを放棄しておりました。申し訳ございません」
手紙を読み、特に男性を中心に謝罪の言葉を述べる者が出た。
だが中には手紙を回収するように引ったくり、その場で破く令嬢もいる。
「なんで……。手紙は、だって、処分……。燃やすように……」
「言ったではないか、どこの家にも密偵を放っていると。彼らが手紙の処分を阻止し、城へ運んでくれたのだよ」
「大事なことは、言った言わないで揉めることになる。ある期間は手紙で保存し、互いに揉め事をなくしましょう。そう広めたのは、先代の王妃です。それが浸透するのに時間はかかりましたが、おかげで証拠集めは十分でした。また現代の令嬢の皆には、リムズがそのことを率先して薦めてくれ、おおいに助かりました」
「あ、あんた……」
姉上は怒りで体を震わせ、リムズ様を見やる。
「我が家は先代の頃より、王家へ協力関係にありました。仮に私が婚約者に選ばれても、同じように王妃の試練を廃止する動きは止めませんでした。それにしても皆さん、ラテュー様を甘く評価していたのではなくて? 私が唯一の好敵手と認めるのは、ラテュー様のみ! 彼女を負かし、あの頃、婚約者として私を選ばなかったことを皆様に後悔させたいほどの思いもありました。それなのに、私が一目置く彼女が、精神を病むと本気で思いこまれるとは……。ラテュー様、妃だけではなく、女優の素質もあるのでは?」
「私もリムズ様に恥じないよう、負けないようと意識しておりました。私達は立場から、言葉を交わす機会がなく……。それでも意識せずにはいられませんでした。だからリムズ様が最初から味方と知り、どんなに嬉しかったことか……」
このお二人の間には、独特の仲がある。
言葉を交わさなくても意識しあい、互いに負けまいと切磋琢磨する同士。互いに言わなくてもそれを感じあい、だからこそ、周囲からは不仲のように見えていたのだろう。
「リムズ様……。嘘、ですよね……? 公爵令嬢である、貴女様が手紙でやり取りするべきだって……。そう言って……」
「それが先代王妃の頃より、我が家に課せられた使命の一つでしたので。言った、言っていないという論争になるより、手紙で本音を語りあう。その方が、互いのためだと皆を思いこませることが。それに、私だけに責任があるのかしら? 身分が上の者に言われたから従っただけで、罪はないと? 先ほど陛下も言われた通り、誤った道であれば諫言するのも、臣下の努め! 貴女はそれを放棄なさったのよ!」
リムズ様は強い口調で閉じた扇の先を令嬢に向ければ、彼女は泣き出した。
大きな泣き声を無視して、陛下は口を開かれる。
「さて、ここで不思議な現象が起きているように思うのは、私だけだろうか。彼女のように子どもは家の地位を見て、相手の言葉に従っている。だが大人はどうだ。王族相手には試練だと虐め、本人の意向をろくな説明もなく却下する。こうなると王族というのは、公爵家より身分は下のようだな。いや、私がこの国の王にふさわしくないのだろう」
陛下は椅子から立ち上がると王冠を取る。
「へ、陛下、なにを……」
「王冠を捨てる」
「正気ですか?」
「正気だとも。私に王冠をかぶったままでいてほしいのなら、なぜ私の言葉に背いた。背いた所で問題のない相手と軽んじているのだろう? ならば別の者が王冠をかぶれ」
そして陛下は王冠を投げた。それは故意か偶然か、姉上の足元に転がった。
「こんな形ばかりの王冠、誰でも良い、譲ってやる。これより我々王族含め、仲間たちは計画通りこの国を捨て、新たな国を建国する! すでに諸国へ向け、伝達の馬も走らせている! 同時にこの情報が、国民に行き渡るよう、手配も住んでおる!」
「け、建国?」
「なぜ計画が長きに渡ったのか。それは王妃の試練を廃止するためだけではない。我ら王家を必要としないのであれば、その者たちで新たな血統で国を続ければ良い。我々同士は、愚かな慣習を捨てる国を造るため、土地が必要だった。災害が起きたり、収穫の良くなかったり、問題のある土地を国有地と改め、その周辺の地域の領主を仲間に加え、国を造るために。すでに三分の一の地域を手に入れておる」
気がついた者もいるようだ。最初に殿下へ向け、祝いを述べた者たちが、ある一定の地域に集中している家の者だと。
「我々は父上を国王のまま、国有地や同士の土地を新たな国とし、生きていく。なお各書類は、すでに父上が国王として座していた間に問題なく受理、処理された」
「こんな我々の馬鹿げた争いに付き合わされた民が、もし、この国を出たいと言うのであれば、新たな国に歓迎するか、別の国へ紹介する手筈も整えておる」
「陛下に幸あれ!」
仲間たちはすぐさま、陛下の考えに従う意を示す。
錫杖も投げ捨てた陛下を先頭に会場の出口へ向け、同士たちが歩き出す。誰かが引き止めようと声をあげても、無視をする。
途中アメント殿下は転がったままの王冠を拾うと、姉上の頭に乗せる。
「君は王族になりたかったはず。だったら、この王冠を受け取れば良い。女王の誕生だ」
姉上も両親も、権力、名声を手に入れたがっていた。それなのに、ちっとも嬉しそうではない。
マレディ殿下と一緒に歩く僕に向け、殿下が言ってくる。
「このまま僕たちと一緒だと、家族を捨てることになるぞ。本当に良いのか?」
「良いのです。僕は、僕が正しいと思った道を進みたい。それは今のこの国ではなく、陛下が造られる新しい国にあると考えているから」
「そうか……」
用意していた馬車に乗れば、前触れを聞いていた民たちが馬車へ向かってすがるように追って来る。
「王様、私達はこれからどうなるのでしょう」
「私達を見捨てられるのか」
「生活に不安があれば、新しい国へ来たまえ。痩せた土地だったが、地にあった農作物が分見つかったりと、仕事はある。ただまだ全員を迎える広さはない。なに、大丈夫だ。苦しい時はあるが、また前と同じ生活に戻れる」
陛下のその言葉は当たった。
仲間ではない貴族は、実はそんなに重要な役職の仕事を与えられていなかった。父上もそうだが、実務経験が乏しかったり、誰かの補佐だったりで、いざ自分が頂点に立つと、なにから手をつけて良いのか分からない。部下もごっそり減り、余計に仕事の流れが分からない。
姉上はたまたま王冠をかぶらされただけで、女王とは厚かましいという派閥と、揉めることになる。そんな奴らは権力争いに夢中で、政治どころではない。
その様子に見限った者たちは、新しい国へ流れてくる。中には領ごと差し出すので、領民共々保護を求めてきた領主もいた。それを陛下は有言実行だと受け入れた。
「旧王都に残っている連中は、適当に内容を読まず書類へ印を押すだろう。無償で領地を新国へ譲渡すると読めば分かるのに、今はそんな余裕もないらしいからな」
そう、密偵は全員帰還していない。まだあちらの国内に残らせ、動向を見張らせている。
近隣諸国からは、旧王都に残った面子は過去にしがみつき、悪しき慣習を続ける者たちと判断され、距離を取られている。当然だろう。非人道的な行いを嬉々として続けるような連中とは、親しくできるものか。
民が他所へ向かう流れも止まらない。国として機能しなくなる、援助を求むと訴えても、そもそも近隣諸国と強い繋がりを持つ者が少なく、難航していると聞く。
「違う、王家を蔑ろにした訳では……。こんなはずでは……」
追いこまれた貴族たちは、民からの殺気に脅えて暮らしている。
「もうそろそろ、旧王都周辺も入手できそうだ」
ボードゲームの駒を動かしながら、マレディ殿下が言われる。
「降伏する道を選ぶしかなくなりましたからね。しかし陛下へ怒りを抱いている民も多い。貴族の妙な習慣のせいで国が割れ、生きるのに必死だと言って」
「それは彼らの立場からすれば、当然だろう。だから土地を手に入れ、新たな国を造る基盤が整わせる必要があった。それでも土地は足りない。けれどあれ以上長引けば、裏切り者が出かねない。代が変われば、考えも変わる。僕だって、いつまで無邪気なお子様を演じられない」
「第二王子派閥も、作られようとしていましたしね」
「僕は兄上が王太子で問題ない。兄上とラテュー姉様の力になる方が良い」
僕の一手に、殿下が腕を組む。
「逃げた貴族もいるけれど、近隣諸国には、陛下が助力を求め、移住した元国民がいる。彼らが逃げた貴族を許すとも思えない。どうやって生きるつもりでしょう」
「さあね。時々大人って、子どもより愚かになるからな」
子どもにだって分かる、悪しき慣習。
それをなぜか続けたがる人がいて、国は割れた。けれど色々と長い間準備をしていたおかげで、割れた国はまた戻ろうとしている。
僕が暮らしていた家がどうなったかは、知らない。
朽ちているのか燃やされたのか、それとも別人が住んでいるのか。調べれば分かると言われたが、そこに住んでいた家族はもうどこにもいないので、断った。
とてもとても短い間だったが、王冠をかぶれ、アメント殿下から“女王”と呼ばれた姉上。そんな娘を持った両親。だけど彼らの欲は満たされなかっただろう。
結局陛下の捨てた王冠は行方知れず。
例え見つかっても、あの王冠をかぶりたいと思う者は、いないだろう。