その7 マザーコンピューター・アカネ
これはきっと夢だ。
長い悪夢を見ているんじゃないかと仄かな希望を持っていたが、どうやら現実と認めざるをえない。
だってぇ……。
口の中に広がる肉汁の感触はまぎれもない現実。
なんの肉か知らないけど、あえて聞かなかったのは妙な生き物だったら美味しさ半減だからだ、とにかくどの料理も絶品だった。
空腹の限界だった俺は夢中で食べ続けた。
食べている時は考えなくていい、というより考えられない。なんでこんな世界へ来てしまったのか、帰る方法はあるのか等々……そして、あの時見た富士山のような山が脳裏から離れなかった。
「よほどお腹が空いていたのね」
シュアンは呆れ顔。
アサギはそんな俺とは対照的に、お上品に少しずつ口に運んでいた、というより食が進まないようだった。
検査が済んだ俺たちは、ひとまずシュアンの家に連れて行かれた。
外部調査という危険なミッションをこなしているシュアンは、ある程度の地位があり、一戸建ての家に住んでいた。
俺とアサギは手続きが済み次第、番号を与えられて寮の個室がもらえるという運びになるらしいが、それまではシュアンの強い希望が受け入れられて、彼女の家で保護されることになった。
俺がガツガツと完食したころに、男が訪れた。
「シド・D3060よ、あたしと同じ外部調査員なの」
シュアンは紹介してくれた。
ブリーチしたような茶髪でちょっとチャラそうだが、日に焼けた顔からのぞく白い歯が爽やかな男前、ただの同僚でないことは雰囲気でなんとなくわかった。きっと彼氏さんだ。
「君たちが外部から来た子なんだ」
シドは興味津々で食いつくように俺たちを見た。物珍しそうな視線はちょっと不快に感じたが、外部からの来訪者は滅多にないらしいから無理ないのだろう。
「療養所送りにならなくて良かったね」
「療養所?」
「外部で保護した人はほとんどが検査にパスしないから隔離されるのよ、完全な健康体になるまで」
俺の問いにシュアンが答えた。
「外部からの人に限らないのよ、ここで産まれた人間も健康に問題が発生すれば療養所に入るのよ」
「病院みたいなものなのか?」
「微妙に違うんだけど、説明が難しいわ、病院か療養所かどちらに送られるかは上層部が決めるから」
なんか歯切れの悪い答えだ。なにか隠さなければならないことがあるような……。
シドは目を合わせようとしないアサギの顔を覗き込もうとしたが、アサギはソッポを向いて助けを求めるように俺を見た。
「なんか、嫌われたのかな」
「気にしないで、あたしにもそうだから」
シュアンは溜息を漏らした。
そうなのだ、アサギはなぜか俺だけに懐いている。ここへ連れて来て、親切に面倒をみてくれているのはシュアンなのに、なんの役にもたっていないし、これからも力になれそうにない俺を頼りにしているようだった。
「こんな調子で、学校へ行けるのか心配だわ」
シュアンは頬杖をつきながらため息交じりに言った。
「学校があるの?」
「学校を知ってるの?」
しまった! 外部には学校なんてないんだ。
「えっとぉ」
口ごもった俺にシュアンは眉をひそめた。
「記憶がなかったんじゃ?」
そうだった。頭を打って記憶喪失という設定だったんだ。慌てて頭を押さえて俯いたが、かなりわざとらしかったかも。
「なんか、断片的に……」
「ヒイロがいたコミュニティには学校があったってことね」
「かも知れない」
苦しい……、疑いを持たれたかもしれない。
「じゃあ、かなり大きなコミュニティが存在するってことなのかしら」
「……」
シュアンは訝しげに俺を見たが、迂闊にしゃべればボロが出る、黙っていたほうがいいと反省し、さらに大袈裟に頭を抱えた。
「なにも心配することないよ、きっとアカネがこの子たちに合ったプログラムを組むさ」
シドの言葉は助け船になった。
「アカネって誰?」
俺はさっさと話題を変えようとした。
「人間じゃない、カガミハラを造ったマザーコンピューターだよ」
「この町を造ったコンピューター……」
俺の頭にある考えが浮かんだ。
もしかしたら自分がカガミハラへ来たのは偶然じゃないのかも知れない。そのコンピューターがただの機械じゃなくて創造主なら、自分がこんなところへ転移した理由も知っているかもしれない、なんの根拠もない突飛な私見だが、確かめなければ! と居ても立っても居られなくなった。
「そのコンピューターのアカネはどこにあるの?」
「カガミハラの中心部の地下深くだ」
「行ってみたい! アカネと話がしたい」
思わず身を乗り出した俺にシドはビックリ眼を向けた。そして、
「アッハッハッ!」
大笑いした。
「なに言い出すんだよ」
そんなにおかしいことなのか?
「アカネはカガミハラの心臓なんだぞ、一般人が立ち入れるエリアじゃないよ」
「変なこと考えないでよね」
そう言ったシュアンの口元は微笑んでいるが、目は笑っていなかった。
「アカネに興味があるなんて、軽々しく口にしないほうがいいわよ、外部のコミュニティが送り込んだスパイの疑いをかけられたらどうするのよ」
そんな危険があるなんて考えもしなかった。俺って迂闊だ。
「わ……わかった、気を付ける」
気持ちははやるが、ここはひとまず引き下がった方が良さそうだ。スパイ容疑をかけられたら、重罪になって、死刑なんてことになりかねない。
「マザーコンピューター・アカネはあたしたちにとって神聖な存在なのよ、戦前には神話があったらしくてね、このシステムを造った科学者たちは、神話に出てくる世界の創造主アカネにちなんで名付けたらしいわ」
その話を聞いて、ますますアカネのところへ行きたくなった。神話は事実に基づいているのかも知れない。
なんとか行く方法はないだろうか、アカネがただのコンピューターじゃなくて創造主なら、俺を元の世界に戻す方法を知っているかもしれない。
考えすぎて深刻な顔をしてしまったのだろうか、アサギが心配そうに覗き込んだ。
アイスブルーの瞳に見つめられると、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥った。心の中まで見透かされてしまいそうな気がした。
「今日は疲れたでしょ、もう休みなさい」
シュアンは俺たちをさっさと寝室に追いやった。
アサギと俺は別々に個室をあたえられた。
そのあとシドと二人きりでゆっくりしたいのだろう。俺は想像をかきたてられて赤面してしまった。
ベッドも布団も枕も、元の世界と変わらなかった。いいや、自宅のものよりフカフカで快適だった。しかし、すぐには寝付けなかった。
頭に浮かぶのは同じことばかり、
あーーーっ!
なんでこんなことに来ちまったんだよ!
元の世界に戻る方法はあるのか?
俺は布団を頭からかぶって中でうめき声をあげた。本当は大声で叫びたいところだったが、悶々としながら寝返りをうつとなにかに触れた。
「えっ?」
目を開けると、アサギのアップ。
「え……」
アイスブルーの瞳が俺を見つめていた。
アサギは隣の部屋に入ったはずだ。いつの間に入ってきたんだ? それも俺のベッドに……。
「なんで?」
アサギは答えず、俺の胸に顔を埋めた。
そして俺の背中に手を回して、ピッタリ抱き着いてきた。
それはダメだろ! いくらまだあどけない少女だといっても、俺は一応男なんだから、どう反応したらいいのか。いいや、反応してはいけない、こんな無垢な少女相手に、なに考えてるんだ!
きっと彼女は心細いんだ、寂しくて一人では眠れないんだろう。わかってはいるんだ、でも、なんかいい匂いがする、彼女のやわらかい感触から心臓の鼓動か伝わる。いや、それは俺の鼓動なのかも……ドキドキが止まらない。
ほどなく寝息が聞こえてきた。
なんて可愛いんだろう、俺なんかに抱き着いて安心して眠ってくれたのか?と思いながら天使のような寝顔を見ているうち、目まぐるしい一日の疲れが出て、やがて俺も深い眠りについた。