10.いざ凶悪犯《エネミー》戦③
「おい、どうしたんだ番犬。さっきの威勢はどうした?」
「……うるさいな。今から俺に倒される奴には関係無い事だ」
「倒す? ハハ、ハハハハッ! やれるものならやってみろよ──吸血鬼の亜人ッ!!」
凶悪犯の重たい拳が京夜に牙を剥く。上空に飛び上がってそれを避け、京夜は焦燥から眉根を寄せた。
(どうすればあいつに攻撃が当たるんだ? アリスみたいなタイプの能力じゃなくて、ただ純粋に避けられてるだけだっていうのに……どうすれば……っ!)
焦燥感を覚える京夜の目の前に、同じように飛び上がってきた凶悪犯の拳が現れる。それが振り下ろされた瞬間、すんでのところで剣を構え直撃は防いだものの、その衝撃で京夜は地面に叩きつけられた。
「ッ!」
「まだ終わりじゃァねぇよなァ!!」
まだまだ凶悪犯の攻撃は終わらない。
右、左、下、真ん中、後ろ、上──四方八方より飛んでくる変幻自在の敵による攻撃に、京夜が防戦一方になっていた、その時。
「京夜っ! ごめん、お待たせ!!」
頭部に耳を、臀部に尻尾を揺らす累の分身が、京夜に向けて彼の鞄を投げた。累は京夜のサポートする傍らで、己の分身を作り教室へと荷物を取りに行かせていたのである。
そこで更に、
「──いと愛おしき白無垢よ、霧と幻想に名を連ねし縁を結ぶ儀式を重ねよ。天衣妖術・狐の嫁入り!!」
その鞄を中心に広範囲に及ぶ結界を構築した。四方に青い火柱が立ち、点と点とを結ぶかのように結界が完成する。それは、結界内の天候を強制的に雨へと変える妖術。
見方を変えれば──……これは、一時的に太陽の光が届かぬ空間を作り上げる代物。
妖狐の亜人である累のお得意技だった。
「なッ──! 俺達の戦いの邪魔をしやがって!!」
当然、このような結界が突如現れたのだから凶悪犯も困惑する。男は結界を破壊しようとありったけの力を込めて結界を殴る。しかし、それはビクともしない。
男が何度結界を殴ろうとも、その結界には傷一つつかなかった。
これは、累が許可した者のみ出入り可能な結界だった。凶悪犯にはこの結界から出る事はまず不可能なのである。
「何も知らん凶悪犯が……妖術の名家舐めんなや」
分身が狐火に包まれて消えると、本体である累がほくそ笑む。
この瞬間。累もアリスも、勿論京夜も、勝利を確信した。
相手が正体不明の厄介な凶悪犯だったとしても、もはや関係無い。ここまでくれば、京夜の勝利は約束されたようなもの。
強力な結界に戸惑い錯乱する凶悪犯は、京夜があの鞄を受けて取っていた事を失念していた。
いや、万が一覚えていたとしても……あの鞄が結界の起点でしかないと考えてしまうであろうこの凶悪犯には、もう勝ち目が無いのだ。
「──能力が暴走して、脳が収縮した。だから強い奴と戦いたい亜人の本能に支配されてるんだと思ってたけど……お前、少しは理性が残ってたんだね」
鞄の中から板チョコのようなものを二枚取り出して、『食べるな危険』と手書きで書かれた包装紙を捲る。すると露わになるは、赤黒い二枚の固形物。
それを重ねたまま、京夜は二枚同時にかぶりつく。バリボリとそれを噛み砕き、あっという間に二枚とも完食した。
その様子を見た凶悪犯が、言い知れぬ恐怖を抱きその場で立ち尽くしていると、
「ふぅ……よし、凶悪犯。殺人等の容疑でお前を捕縛する」
妖しく光る紅い瞳孔が、男を捉えた。
ゾワリ、と腹の底から湧き上がる恐怖に息を呑む凶悪犯の目には、宵闇の色が満月の色に塗り変えられてゆく様が映っていた。
目立つからと黒く変えられていた、真昼と同じ美しい金髪──……それが、血液を摂取した影響で変化が解け世に晒されたのだ。
その様相を見て、男は絶望した。