3-2
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ヒナノは誰もいない非常階段を元気よく一段飛ばしで上がっていく。
「遅いですよ、ヨミせんぱい」
「きっつ……」
僕はぜえぜえと息を切らしている。そもそも今は休憩時間のはずだったし、ついていこうとする意志があるだけマシと思って欲しい。
「ほらほら、はやくー」
ヒナノは階段を上りきると、鉄の扉をがちゃりと開けた。
十数秒後にようやく追いついてその扉をくぐると、その先はショッピングセンターの屋上庭園に繋がっていた。隣に並んだヒナノが、空を見上げて呟く。
「雨、降りそうですね」
「今日は降らないって、さっき見たけど」
「そーなんですか?」
外は曇っていて灰色だった。湿気が身体に纏わりついてべたべたする、嫌な天気だ。
緑に囲まれた屋上庭園には誰もいなかった。天気が良くないにしても、日曜午後といえば一番客入りが多そうな時間帯なのに、なんだか妙に思える。
「行きましょうか。この先ですよ」
ヒナノと二人でウッドデッキを歩く。数メートル歩くと、開けた空間が見えてきた。
「……んん?」
緑が生い茂る広場の隅、不可解なオブジェが置かれている。石でできたような大きな灰色の像は、うずくまった人のようにも見えた。
いや、違う。あれはオブジェなんかじゃない。
理解できた瞬間、ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。あれは間違いなく……
「――虚像天使だ」
人間の二倍近いサイズの巨体は、微動だにせず庭園の端にうずくまっている。
左手には巨大な盾。右手には大ぶりの剣が握られていた。
「ガナンタイプの虚像天使みたいですね。顕現したてかも。ツェールも出現してませんし」
ヒナノは虚像天使を知っているらしい。しかも、個体名らしい『ガナンタイプ』、分身体を指す『ツェール』と、用語に関してもばっちりだ。
「またこのパターンか……」
「パターン?」
隣で首を傾げているヒナノに聞いてみる。
「それで、ヒナノさんはどこの秘密組織から来たの?」
「あれ、思ったより飲み込みが早いですね? あたしは『調律教院』ってとこの戦闘要員です」
「ちょうり……え? 戦闘要員?」
「そーです。見てればわかりますよ」
言いながら、ヒナノは背負っていたリュックをおろして、ジッパーを開ける。
「ちょっと下がっててくださいね」
「なに? どういうこと?」
「じゃあ行きますよ……『ゼノマイド』、起動よろしくっ」
ヒナノがリュックを高く放り投げた。
次の瞬間、リュックが反転し、オレンジ色の構造体に変化した。構造体は金属音をたてて展開し、伸展し、拡張され、瞬く間に体積が増加する。SF映画のよくできたCGみたいに、ガチャガチャと音をたてながら成長していく構造体。それはヒナノの身長を越えて膨れ上がり、ダークグレイとオレンジの機械へと変形していく。
「まさか――」
どずん、と大きな音をたてて、その構造体が着地した。
それは人型のマシーンだった。
二・七メートル高のそれは、明らかに現代科学を超越したテクノロジーで構成されていた。流線と直線が入り乱れる、洗練された装甲形状。細身のボディはダークグレイで、施された鮮やかなオレンジのペイントが目を引く。まるでスーパーカーのような印象の機体だ。
「虚数機兵アリストカインMark.18。コードネームは『ゼノマイド』。驚きましたか?」
ヒナノが悪戯っぽく笑う。
「虚数……?」
「虚数機兵、です。英語だと『ミラージュキャバルリー』ですね」
「ミラージュキャバルリー」
「はい。虚数格納式がコーディングされていて、リュックとかにしまって持ち運べる機兵です」
「そういうのもアリなんだ……」
ロゴスや虚像天使たちもどこからともなく現れるけど、ナナセ曰く『天使の鎧』なのでまだファンタジーとして理解できる。でも、ヒナノの後ろに立っているのは明らかに人工的な戦闘マシーンで、とうてい小さなリュックに入っていたとは思えない。
それでも、このオレンジのロボットが目の前でヒナノリュックから変形して現れたのは事実だった。こんなのもうハリウッドSF映画じゃん。
「もともと、『虚数機兵アリストカイン』はテクハール交廠ってとこで設計された機兵なんですけど、それをパクってきて勝手に量産して改造しちゃってるんですよ。やばいですよね」
「えっどういうこと?」
「で、『ゼノマイド』はその実用型十八号機。だからマークエイティーン。比較的新しい機体で、ほぼあたし専用です」
「えぇ……」
謎の巨人に命を狙われているJK天使、実は秘密組織の構成員だったクラスメイト――そして今度はリュックに自分専用の人型戦闘兵器を隠し持った自称後輩ときた。
どうやら、僕はとんでもなく物騒な世界に足を踏み入れてしまったらしい。
「そろそろ行きますね! ゼノマイド、ハッチ開けて」
ヒナノが声をかけると、オレンジ色の人型ロボットが立膝の姿勢にしゃがみこんだ。排気音のあと、金属がぶつかり合う騒々しい音が響いて、その胴体上面が展開していく。ハッチが完全に開くと、映画に出てくる未来戦闘機みたいな操縦席が現れた。
ツインテールと短いスカートを翻し、ゼノマイドの身体を軽やかに駆けあがったヒナノがその操縦席に飛び込む。ここからでは中の様子は良く見えなかったけど、レバーやらスイッチやら、高性能マシン的な装置が整然と並んでいた。
「ハッチ閉鎖。システムチェックよろしくー」
展開していた胴体パーツがガチャガチャと音をたてながら元の位置に戻っていく。その姿が見えなくなる直前、ヒナノがこっちに視線を向けたように見えた。確かめる間もなくハッチは閉じて、ヒナノはゼノマイドの中に完全に収納される。
オレンジ色の人型ロボットは小さな駆動音をたてながらゆっくりと立ち上がった。
『始めますから、ヨミせんぱいは下がっててくださいねー。霊術式光子ビームガン、セット!』
ゼノマイドは左腕に装備した小型シールドから巨大な板のような兵装を取り出す。ヒナノが戦闘の意志を見せた途端、ガナンがぶるりと震えたように見えた。
『いくよ、ゼノマイド!』
ゼノマイドが右手に握った武器、『霊術式光子ビームガン』を突き出す。その先端に青い光が灯り、次の瞬間には甲高い発射音と共に光子ビームが溢れ出していた。
熱い。
ビームガンから放たれた超高熱の閃光が、一瞬で空気を灼いたのがわかる。そう感じたのも束の間、光子ビームは亜光速でガナンへと迫り――
雷のような爆音と共に、ストロボめいた光が膨れ上がる。
「うわ!?」
思わず両腕で顔を覆った。
一方で、隙間から辛うじて視えた光景に息を呑む。虚像天使ガナンは無傷で立っている――左腕の巨大な盾で、ビームガンの一撃を防いだらしい。
『そう来なくっちゃ』
風切り音を立てながらゼノマイドが小さく浮き上がり、庭園に嵐が吹き荒れた。踏ん張っていなければすぐに飛ばされてしまいそうな暴風だ。
十五メートル先、ガナンが盾を構えたまま走り出すのが見えた。ゼノマイドは空中を滑りながらビームガンを構え――光子ビームを連射した。
「うそでしょ……!」
二体の巨人が、狭苦しい屋上庭園で本気の闘争を開始する。
耳をつんざく轟音をあげて、ガナンの盾に連続で光が爆ぜる。ビームガンの攻撃をものともせず、ガナンは冷徹に走っていた。ゼノマイドは逃げるように地面を滑ったものの、徐々に距離を詰められている。
『やっぱビームガンじゃ無理かあ』
ガナンが跳躍した。
その勢いのまま、巨大な盾が振り下ろされる。ウッドデッキが粉砕され、破片が四方八方に飛び散った。しかし、その攻撃を寸前で回避していたゼノマイドが、素早い動きで虚像天使の背後へと滑り込む。
『ならっ――!』
ゼノマイドの背中に装備された箱が、金属の擦れる音を響かせながらぐるりと回る。それはスライドして変形し、両肩から伸びた二門の大砲となった。その巨大な砲口に青い光が灯って――
「……っ!?」
爆撃のような音と共に、庭園に青白い光が満ちた。ビームガンとは比べ物にならない熱量の光子ビームが、周囲の空気を瞬時に灼く。全身を炙られているかのような熱さだった。あまりの火力に、ゼノマイドは発射の反動により後方へと飛ばされている。
『霊術式光子ビームキャノン! せーのっ!』
着地して姿勢を低くしたゼノマイド、その両肩の砲身からビームキャノンが連射される。連続する爆音が鼓膜を揺らし、ストロボのような光が幾度となく瞬いて、ウッドデッキごとガナンを蜂の巣にしていた。
「やった!? ……いや!」
『うそ!?』
それでも、まだガナンは動いている。巨大な盾は全くの無傷だ。ビームキャノンとビームガンの攻撃を完全に防御して、ガナンは再び走り出していた。
『――竜術式、境界防壁!』
鋼鉄が勢いよくぶつかりあう、耳障りな金属音が響き渡った。
気付けば、ゼノマイドは庭園の端まで吹っ飛ばされている。ガナンは大振りの剣を全力で振り抜いていた。咄嗟にシールドで防いだらしいゼノマイドは、低い姿勢のまま激しい音を立てて地面を滑っていた。
『あっぶなー! ちょっと本気だしますか!』
ガナンが地鳴りのような音と共に走る。その重装備からは想像もつかない機敏さで、あっという間にゼノマイドに接近していた。
『霊術式光子ビームエッジ、いくよ!』
じゃきり、と音を立て、ゼノマイドがビームガンを顔の横に構える。その平べったい砲身に、チェーンソーのように青い光が回転した。
ゼノマイドの四つ目が一層強く発光する。暴風のように迫ったガナンが剣を振り下ろし――
「……!?」
――次の瞬間、その剣は右腕ごと宙を舞っていた。
金属が焦げるような異臭が立ち込める。右腕を失ったガナンの背後で、ゼノマイドがビームエッジを振り抜いていた。通り抜ける一瞬の隙をついて、ガナンの腕を斬り飛ばしていたらしい。
しかしガナンはそれに怯んだ様子が全くなく、巨大なシールドを恐るべき速度で振るって追撃を繰り出した。それはゼノマイドを捉えたかのように見えたが。
『ざーんねん』
姿勢を低く、鋭く踏み込んだゼノマイドは、ガナンの左腕を巨大な盾ごと斬り落としていた。轟音をあげ、虚像天使の両腕がウッドデッキを粉砕しながら地面に落ちる。
「……すごい」
鮮やかな近接攻撃。ガナンの両腕が斬り落とされたのはわずか数秒の出来事で、その挙動、その技は美しくすらあった。
しかし、ガナンは動揺もみせずに鋭い蹴りを放つ。ゼノマイドはそれを軽々と回避すると、虚像天使の頭部にビームガンを突きつけた。
『ばいばい、天使さん』
光が爆ぜる。
頭部を光輪ごとバラバラにされた虚像天使ガナンは、大きな音をたててウッドデッキに倒れ込んだ。土埃が煙のように撒き上がる。それきり、灰色の巨体が動くことはなかった。
「終わった……?」
耳鳴りが止まず、目がちかちかしている。眩しいし熱いしやかましいしで、五感が全て麻痺してしまったみたいだ。熱いのか寒いのかわからなくなっていたし、目も耳もじわじわと痛い。
だから、声をかけられるまで、この状況に気付けなかった。
『せーんぱい』
「なん……えっ!?」
視界に入ったのは銃口。
ゼノマイドがこちらにビームガンを向けている。その銃口は青白く発光しており、今にも光子ビームが発射されようとしていた。
『黒い機兵、だーしてっ』
語尾にハートが飛ぶような可愛らしいセリフとともに、僕は命の危機に晒されていた。