2-3
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「そろそろ来そうなんだけどさ」
「どのへん?」
「……ナナセは一応隠れてた方がいいんじゃない?」
「ううん、ここで見てる。隠れてもあんまり意味ないし、ヨミが助けてくれるから平気でしょ」
「はいはい」
外はすっかり夜になって、月も星もない空は真っ暗だ。
僕とナナセは駅前の高層マンションの屋上、地上百三十メートル地点にいた。昨日視たのと同じなら、敵は四体でどれも空を飛んでいるはず。そして、ロゴスと同じように弓を使って攻撃してくるはずだ。
つまりは空中射撃戦。
もちろん僕は空を飛ぶのも初めてだし、空中で狙撃するのも初めてだ。四対一で、しかもナナセを守らなきゃいけない。条件はこちらが圧倒的に不利。
「来い、《ロゴス》!」
夜闇が揺らめいて漆黒の巨人が現れた。
風が強く、ナナセの銀髪が揺れている。彼女を屋上に連れてきたのは、いざという時に助けられるから。ここなら、少なくとも屋内にいるよりは助けやすい。
「じゃ、行ってくる」
「わかった」
金色の瞳に見つめられながら、ロゴスの背中に飛び込んで同期する。
〈躯体制御譲渡:深度10〉
ほぼ同タイミングで、どこからともなく上空に四つの円盤が現れた。虚像天使だ。夜空を飛行する灰色の巨人たちが、それぞれ弓を構えようとする――その前に、僕はキーワードを呟いた。
「《ファズリーパー》、展開」
〈臨時航空装備展開〉
ロゴスの背中に張り付いていた六つの箱が、勢いよく放射状に飛び出た。それらは鋭い排気音を発して伸展すると、各々が異なった装置へと変形していく。両端の装備は特に大きく、曲線的なロケットエンジンのような推進装置へと変化した。
〈外部天界兵装接続〉
背中のハードポイントに、虚空から出現したシェキナー・セヴディスが接続される。巨大な弓は、まるで翼のようにロゴスの背面に固定された。
――焔火式縮光ドライヴ正常稼動。
――バスターロック、スタンバイフェーズ。
――ファズ・システム起動確認。
背中のロケットエンジン――四基の縮光推進装置が甲高い唸りを上げて、エネルギーを蓄積する。これこそが、制圧躯体ロゴスの臨時航空形態。
天使ナナセによる命名、《ファズ・ロゴス》。
「リフトオフ」
そう言った瞬間、高層マンションの屋上に爆音が轟いた。
推進装置が吠え、凄まじい速度で空中へとはじき出される。四体の虚像天使が光矢を放った――しかしそれをすり抜けながら、ロゴスはミサイルのように超高速で上昇していた。
風の音がごうごうと唸る。眼下には上空数百メートルから見下ろす景色が広がっており、プラモデルのような街がみるみるうちに小さくなっていく。
あっという間に、地上千五百メートルに到達する。
米粒未満の大きさに見える虚像天使トルカンが、こちらを見上げているのがわかった。推進装置を停止すると、甲高い唸りは鳴り止んで、浮遊感が訪れる。僕は一瞬だけ空中で静止した。
それは刹那の静寂だった。
千五百メートルの高さから見下ろす夜の世界は、ぜんぶが小さく見える。無数に並ぶ建造物、境界線を引く道路や線路、黒々とした川と沼。駅を中心に広がった沢山の光は、まるで地上に広がる星空だ。
そして、高層マンションの屋上で、僕を見上げるナナセの金色の瞳が視えた。
がちり。歯車が噛み合う音がする。
次の瞬間、僕は落ちていた。けたたましく唸る風の中でロゴスはひらりと回転し、両腕と両脚を精一杯広げて減速をかける。眼下に広がった街があっという間に拡大していき、空飛ぶ円盤に乗る四体の虚像天使が散開する様子が目に入った。
「……これ、めっちゃ怖い!」
ロゴスは確かに飛べた。だけど、それは問題点だらけの飛行だった。
原理はシンプルで、シェキナー・セヴディスの莫大なエネルギーを推進力として利用しているだけ。つまり、空を飛んでいるときはシェキナーを武器として使用できない。
また、急ごしらえの装備なので、細かい飛行制御もできない。さながら宇宙へと向かうロケットのように、一定の方向に進むので精一杯だった。
『上昇』か、『落下』か。
ファズ・ロゴスにはその二択しかないも同然だ。
落下しながら、背中に接続していたシェキナーをパージして左手に構える。眼下では二体の光輪なし虚像天使……トルカン=ツェールがナナセの方に向かって弓を引いていた。がなり立てる風に抗って姿勢を変え、ツェールたちに狙いを定めて弓を引く。
「こっちだ!」
光矢を連続で発射した。狙いが甘く当たりはしなかったものの、牽制にはなった。火花を散らした金色のレーザーが雨のように降り注ぎ、二体のツェールはたまらずに飛び去っていく。
同時に、ほんの少し先の光景が『視えた』。マントを羽織った虚像天使トルカン、そしてトルカン=ツェールがロゴスを狙って光矢を発射する。
高度的にも限界だった。気付けば地面がかなり近づいていて、このままではロゴスは地上に衝突する。
「……やばっ」
シェキナーを背中にマウントすると、瞬時にロケットエンジンが再起動する。甲高い唸りをあげて縮光推進装置が発光した。ロゴスが風を切って垂直上昇し、虚像天使の放った赤い光矢を間一髪で避けていく。敵は螺旋を描きながら飛んで、急上昇するロゴスについてきた。
「いち、に、さん……よし、四体!」
四つの円盤が弧を描いて夜空を飛ぶのが見えた。散開して鮮やかに死角へと飛行し、視界から逃れていく。
地上千三百メートルに到達。
「できる、できる、できる―――いくぞ!」
推進停止。自由落下しながら、シェキナーをパージして左手に持つ。敵は自由に空を飛べるけど、こっちは無防備に落ちていくしかない。しかも四対一。できる限り素早く、できる限り多く、落下中に敵を撃墜するのが僕のミッションだ。
落下開始から約一秒。
僕は逆さまに落ちていて、四体の虚像天使がそれぞれ弓を構えるのが見えていた。大丈夫、落ち着いて観察すればきちんと『視える』。最初に狙うのは一番近いやつだ。
トルカン=ツェールが自由落下するロゴスに狙いを定める。同時に僕もそいつを狙ってシェキナーを構える。その瞬間、確信した――僕のほうが早い。
発射。
鋭い高音を残して金色の光矢が飛ぶ。それはツェールの胴体に勢いよく突き刺さると、円盤から落下した灰色の巨人はもがきながら空中で爆散した。
「よし……っ!」
視界の隅で、ちか、と何かが光る。カーブを描いて飛行する残り三体の虚像天使が、次々に光矢を放ったのだ。三本の赤いレーザービームのような光が、無防備に落下するロゴスへと殺到した。
いける、『視え』てる。
手足をめいっぱい広げ、下から吹きつける風を全身で受ける。空気抵抗が瞬時に膨れ上がって、浮き上がったと錯覚するくらい減速した。敵の狙いがわずかに逸れ、目の前ギリギリを赤い光矢がめまぐるしく行き過ぎる。
高度八百メートル。
三体の虚像天使はもうロゴスよりも上空にいて、それぞれが螺旋を描いて高速飛行しながら、再び弓を引いてこっちに狙いを定めている。次は避けられない――けど、避ける必要もない。
なぜなら僕は既にシェキナーを発射している。遠くを飛んでいたトルカン=ツェールの円盤に光矢が突き刺さり、その勢いのまま虚像天使は爆炎を上げて撃墜された。
「時間切れか……!」
もう市街地が目の前いっぱいに広がっていて、あと三秒もすれば地面に叩きつけられてしまう。残る二体の虚像天使が次々に光矢を発射する未来も『視えた』。まずい、色々と限界だ。
「やばいやばいやばい――」
すぐにシェキナーを背中に接続して推進器を再点火。甲高い唸りとともに、ロゴスは夜空へとかっ飛んでいく。赤いレーザービームはロゴスの足元ギリギリを通り過ぎ、間一髪で回避に成功した。
しかし、上昇するロゴスの周囲をぐるぐると飛行した残り二体の虚像天使は、再び狙いを定めようと弓を構えている。対して、飛行中のこちらはシェキナーを使えない。
――でも、攻撃手段がないわけじゃない。
「《ホーミングレイ》、展開!」
〈誘導式縮光弾展開〉
ロゴスの背中に装備された四つの箱、その蓋が次々に開く。僕は、弓を構えて高速飛行するツェールに右手を向けた。
「投射」
〈投射〉
花火のような音をたてて、ロゴスの背中から四つの縮光弾が発射された。シェキナーよりも威力と弾速は劣るものの、敵を追尾可能な光弾……いわばホーミングミサイルだ。
指揮者のように右手を振ったロゴスの動きと連動し、紫色に輝く光弾が生き物のようにトルカン=ツェールを追いかける。ついにそれが着弾すると、眩い爆炎を上げながら円盤を食い破り、激しいフラッシュと共に虚像天使が爆散した。
「よし! あと――うわ!?」
赤い光が視えて、慌てて推進を停止した。
がくんと自由落下したロゴスに、残った一体の敵――マントを羽織った虚像天使トルカンが発射した、レーザービームのような光矢が襲い掛かる。
ばち、と激しい音がした。トルカンの光矢がロゴスの鎧を掠ったみたいだ。ギリギリで致命傷は回避できたけど、少しでも遅かったら直撃だった。
「今のはヤバかった……! けど、あと一体!」
残るはボスである虚像天使トルカンのみ。推進器を再点火し、弾丸のように上昇するロゴスの周囲を旋回しながら、右肩にマントを羽織ったトルカンが油断なく弓を構えている。回避されることを警戒してなのか、トルカンはすぐには射ってこなかった。
そうしているうちに、高度は千五百メートルに到達していた。そろそろ覚悟を決める時だ。
「――よし、最後、いくぞ!」
推進停止。速度ゼロ。
一瞬の浮遊感の後に、ロゴスは落ち始める。街に背中を向けて落ちると、まるで夜空が遠ざかっていくかのように見えた。
視界の端っこで、曲線飛行したトルカンが弓を引いている。シェキナーを左腕で掴み取り、即座に狙いを定めて発射。
勝った――そう思った。僕の方がトルカンよりも早かったからだ。
放たれた金色の光矢は、火花を散らして夜空を飛行した。狙い通り、高速飛行するトルカンに吸い込まれるように光が伸びて――
「は……!?」
トルカンが右肩のマントを翻すと、光矢があらぬ方向へと弾き返された。飛行する円盤に仁王立ちした虚像天使は無傷で、いつの間にか弓を引いてこっちに狙いを定めている。
「あ――やばい」
今ので完全に集中力が切れた。さっきまでは調子が良かったのに、今は何も『視えて』こない。焦りを覚えながらシェキナーを背中に戻すものの、その時にはもう赤いレーザービームのような光が迫っていた。再点火、加速。ダメだ、遅すぎた――
強烈な衝撃に襲われる。
敵の攻撃が直撃し、どこかが爆発したらしい。視界がめちゃくちゃに揺れ、躯体全体がきりもみ回転して制御を失い吹っ飛ばされていた。天地が反転を繰り返し視点が定まらない。まずい、まずい――。
〈三番縮光推進器破損:機能停止〉
〈四番縮光推進器破損:機能低下〉
〈自律姿勢制御〉
生き残った推進器が吠えて、歪にバランスを取ったロゴスが斜め方向に上昇している。高度千メートル。がたがたと嫌な音が背後から響いて、ファズリーパーが半壊していることが分かった。
視界の端に光が見えて、敵に狙われていることにようやく気付く。振り向いたときにはトルカンが光矢を放っていた。
「――っ!」
間に合わない。
推進停止、再点火。わずかに姿勢を変えたロゴスの推進器を、火花をあげた赤い光矢が抉っていく。僕は歯をくいしばって強烈な衝撃に耐えた。
〈一番縮光推進器破損:機能停止〉
〈二番縮光推進器破損:機能維持〉
四基の推進器のうち三基を失ったロゴスが、満足な推進力を得られずにがたがた震えながら落下していく。揺れる視界の先、高速で旋回したトルカンが再び弓を構えているのが見えた。半壊したファズリーパーではきっと満足に避けられない。そもそも、いつ、どんなタイミングで、どの方向に射ってくるかも今は視えなかった。
「あー……」
さすがにこれは死んだ。もう打つ手がない。
途中までは結構うまくいったと思うんだけどな。四対一の状況から一対一まで持ち込んだし、そこまでは割とスマートに戦えてたはずだ。
じゃあなんで負けたのか。それは全部あのマントが悪い。あのマントはシェキナーの光矢をいとも簡単に弾いてた。あんなの反則でしょ。視た感じただのぺらぺらのマントで、ロゴスの力なら簡単に引き裂けそうなのに。
でも、だとしたら、トルカンはどうやってシェキナーの光矢を弾いたんだろう?
「――っ!」
がちり。歯車が噛み合う音がした。
よく観察しろ、夜見府容。あきらめるのはまだ早い。
現状高度は八百メートル、まだ攻撃のチャンスはある。即座に推進停止し、地表へと落ちていくロゴスの背中からシェキナーがパージされる。躯体を回転させながらひったくるようにシェキナーを掴むと、コンマ秒でトルカンを狙って光矢を発射した。
飛行する円盤の上、マントを翻したトルカンが、金色の光矢を難なく弾く。
「視えた!」
マントが夜闇を映してきらめいていた。あれは反射だ。高エネルギー体である光の矢も、光であることには変わりない。奴のマントは鏡のように光矢を反射する性質を持っているんだろう。シェキナーが光を放つ指向性エネルギー兵装である限り、トルカンを倒すことはできない。
現状高度は六百メートル。
「なら――」
ごうごうと風が唸り、がたがたと躯体を揺らすロゴスは為す術もなく落下していく。左肩の鎧が上下に開く。敵の円盤は、遠く暗闇の夜空を優雅に飛んでいた。その円盤の上で、頭部の光輪を輝かせたトルカンがマントを構える。
身体を無理やり捻って、シェキナーを発射した。スパークをあげてレーザービームのような光軸が伸び、トルカンに向かって一直線に光が奔る。
それは光矢じゃない、剣だ。
シェキナーによって発射された光剣ケオ・クシーフォスが、紫色の軌跡を描いて、マントを翻したトルカンへと超高速で飛んでいく。
ばきん、とひときわ大きい音が夜空に響いた。
光剣がマントを貫き、一瞬にして虚像天使の胴体を食い破る。トルカンは勢いのままバラバラに砕けて、激しい閃光と共に爆散した。
「よし、よしっ!」
勝った! やれた!
四対一で、圧倒的に不利な状況でも、ナナセを助けることができた!
とても気分がいい。まるで風を切って猛スピードで空を飛んでいるような――
「――あ」
飛んでるんじゃない。落ちてるんだった。
「やばい! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
もう高度は三百メートルを切っていた。推進器が半壊したロゴスは、既に飛行能力を失っている。
シェキナーを戻し、残った一基の推進器をフル稼動させても、落下の勢いは全く落ちた気がしない。身体をめいっぱい大の字に広げ、脇の下からロケットエンジンのような推進器を垂直に下へ向けた姿勢のまま、ロゴスは無防備に落ちていく。
広げた四肢は激しく揺れ、今にも千切れそうだ。唸りをあげる風の音はやかましく、僕の焦りをいっそう加速させていく。視界に張り付いた高度を示す数字は嘘みたいな速さで減っていって、まるで無慈悲に死を予告するカウントダウンのようだった。
「あ、マジで終わった……」
みるみるうちに眼下の街が大きくなっていって、僕は目を閉じた。後は野となれ山となれだ。きっと数秒後には地面に衝突して、そして――
そこまで考えて、僕の意識はぷっつりと途絶えた。
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「ねえ起きてよ、ヨミ。ヨミってば」
誰かに身体を揺すられている。この声はナナセだ。ナナセ、ナナセ……
「ナナセ!?」
「うわ、急に起きるじゃん」
上体を起こすと、ローファーを脱いで素脚の状態の、全身びしょびしょに濡れたナナセがしゃがみこんでいるのが見えた。天使は頭までずぶ濡れで、銀髪がぺっとりと素肌に張り付いている。唐突すぎて何も理解できないけど、逆に意味不明すぎて笑えてくる。
「……なにこの状況? え?」
「ちょっと。なんで笑ってるの」
「いや、だって、びしょ濡れだよ。何やってんの?」
「ヨミもなんだけど」
「えっ、ホントだ。さっむ! なにこれ!」
「ロゴスがそこに落ちたの。だからわたしがヨミを助けてあげたんじゃん」
眉間にしわを寄せたナナセに言われて、やっとここが調整池だったことに気が付く。ロゴスはもう影も形もなかったけど、多分僕が死なないように落下地点を選んでくれたんだろう。
ああ、思い出してきた。ギリギリだったけどトルカンに勝てたんだ。安心したからなのか、ずぶ濡れでめちゃくちゃ寒いのになんだか笑いが止まらない。
「ってか、え、待ってよ。ナナセ、靴脱いでるのになんで全身濡れてるの?」
「……思ったより深かったんだよ」
「でもさ、頭まで濡れてんじゃん。あ、泳げないのか」
「……」
「あっはっはぐえ」
笑ってたら脇腹を勢いよくつつかれた。そっか、ナナセは泳げないんだ。きっと溺れそうになりながら、僕の身体を陸地まで引っ張り上げようとしたんだろう。
そんなナナセの姿を想像すると、なんだかいじらしく思えてくる。それだけで頑張りが報われたような気がして、自分の単純さに苦笑するしかなかった。
「今度はニヤニヤしてるし。もー、なんなの?」
「いや、助かったよ。ありがとね、ナナセ」
「……ふん」
そっぽを向いた天使の髪は、街灯の光を受けてきらきらと輝いていた。
なお、夜の駅前を歩くびしょ濡れの高校生男女は危うく補導されかけたのだった。
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