6-3
ナナセを抱えたまま、校舎の屋上に立つ。
確かに、学校の敷地を覆うように不可視の壁のようなものが張られているらしい。普通に外に出ようとしても無理だろうだけど、コピーとはいえ高位の天界兵装であるシェキナーを使えば、もしかしたら穴を開けられるかもしれない。
そこまで考えた時、屋上の床面が爆音をあげて突き破られた。
純白の制圧躯体、高鳥のアルコーンが姿を現す。
それと同時に、崩壊が始まった。
「うわ!?」
がらがらと外の世界が崩れ落ちていく。
駐車場が、グラウンドが、敷地を囲む木々が、道路が、隣の建造物や住宅街が、遠くに見える高層マンションさえ、校舎以外の全ての物体が崩壊して下へと落ちていく。
「なんだこれ!?」
気付けば、校舎の下は青空だった。その青空へと全てが落下して、吸い込まれるように見えなくなっていく。
いや、今となっては逆だ。
どこまでも広がる青空に、この校舎だけがぽつんと孤島のように浮いている。
『閏間莉明に対する制圧行動の際には見誤ったが』
声が聞こえる。振り返ると、クロノゾールの頭部を右手に持った制圧躯体アルコーンが、二十メートル離れた地点に立っていた。
「高鳥……!」
『今回は節約せず、全ての力を使う。〈天使領域〉拡張』
アルコーンの右手が、クロノゾールの頭部を破壊しながら握られる。
瞬間、信じられない光景が展開された。
鏡合わせの回廊のように、縦横に無数の校舎が出現する。お互いに二十メートル程度の間隔を寸分の狂いもなく空けて、青空を覆いつくすように、コラージュ画像みたいに、見渡す限り無限に全く同じ形の校舎が並んでいた。
それだけじゃない。
六十メートル上空、反転した校舎が頭上に浮いている。そして、上下反転して空から生えた校舎もまた、縦横に二十メートルの等間隔で無限に並んでいた。
下を見れば、校舎の裏側から反転した校舎が生えており、その下方六十メートルにもまた、校舎が無限に並んだ層が見えている。
めまいを起こしそうな繰り返し構造だ。
縦にも横にも斜めにも上にも下にも全方位に、規則正しく全く同じ形状の校舎が等間隔で並んでいた。校舎の数は数えきれないほどで、どの方向を見ても無限に灰色だ。
あまりの非現実的な光景に、くらりと倒れそうになるのを必死でこらえる。
どこに行こうと同じ。
前後も上下も全く同じ校舎。
どこまで進んでも、その光景は代り映えしないんだろう。
「出口、ないよな……」
ここにいる限り、ナナセは消耗し続ける。僕に預けられたリソースも無限じゃない。このままここに居続ければ、彼女に送り込んでいる光界源素をそのまま高鳥に奪われて、結局ナナセは消滅してしまうだろう。
だからといって、この領域から脱出する手段があるわけでもない。
『言っただろう、ヨミ。お前はここから出られない』
正面に立つアルコーンが両手を広げる。
だったらどうするのか。
そんなの、考えるまでもない。ナナセを助ける方法は一つだけ残ってる。
「――わかったよ、高鳥。今度こそお前をぶっとばす」
『ほう。やれるものならやってみろ』
アルコーンは静かに佇んで、純白の鎧を輝かせている。
高鳥の目的はナナセを殺すことだ。だから、ナナセを抱えたまま戦うことはできない。
「ごめん、ナナセ……絶対助けるから」
校舎と校舎の間、灰色が永遠に続く底なしの隙間に目を向ける。
僕はその隙間にナナセを落とした。
銀髪の天使はロングヘアとスカートをたなびかせ、終わりのない灰色の穴へと真っ逆さまに吸い込まれていく。
大丈夫、ちゃんと視えている。ここでは前は後ろ、右は左、上は下だ。ひとつの円環をぐるぐると巡るように、ナナセは永遠に落ち続けるはず。
『この領域の特性を理解するか。少しはやるようだ』
「全然嬉しくないね」
『そうか。素直な称賛だったのだがな』
無限に続く校舎の群れ、その一画で白と黒が対峙している。
普通に戦ったら、前と同じように負けるだけだ。認識阻害でシェキナーは当たらないし、アルコーンの拳は触れるだけでロゴスをバラバラにできる。
だから、対策は考えてきた。
「《ネメシアウォール》、展開」
〈特殊制圧装甲展開〉
ロゴスの周りが陽炎のように揺らぐ。虚空から次々と湾曲した板が現れ、積み木のように重なっていく。それは上半身を覆う多重装甲だった。ロゴスは重武装の鎧武者のような姿へと変わり、鎧に埋もれた頭部の光輪が、紫色にぎらりと光っている。
〈外部天界兵装接続〉
排気音をあげて胸部装甲が開くと、現れたシェキナー・セヴディスが折りたたまれて接続された。がちゃりと鎧が変形し、シェキナーを完全にしまい込む。
――焔火式縮光ドライヴ臨界。
――バスターロック、スタンバイフェーズ。
――ネメシア・システム起動確認。
鎧の裏側に隠された縮光推進装置――スラスターが甲高い唸りを上げた。これが制圧躯体ロゴスの特殊装甲武装形態。天使ナナセによる命名、《ネメシア・ロゴス》。
「チャージ開始」
〈縮光変換開始〉
ネメシア・ロゴスの周囲に強風が吹き荒れた。シェキナー・セヴディスに搭載された光界駆動機関、焔火式縮光ドライヴが臨界稼働を開始し、ネメシアウォールの全機能にエネルギーを行き渡らせる。
恐らく、この状態でいられるのは十分が限界だ。それ以上使えばリソースが底をつき、ナナセが消滅してしまうだろう。
『愚かなやつだ。攻撃を捨て防御を固めるとは』
アルコーンが両腕を振り下ろす。
『第六段階解除申請……承認』
その両腕を覆うように、巨大なメイルブレーカーが出現した。
アルコーンの姿が、両腕を巨大化したようなシルエットに変化する。メイルブレーカーの先端には、鋭く尖った攻撃的な物体が装備されていた。あれで殴られたら、痛いどころじゃ済まないだろう。
優雅に両腕を構えたアルコーンの全身から、緋色の炎が噴き出す。
だとしても、やるしかない。
僕は息を吸って――
「リフトオフ」
合図を告げた。
全身のスラスターが吠えて、凄まじい速度で空中へとはじき出される。アルコーンを置き去りにして、無限に続く校舎の上を弾丸のような速度で飛んでいく。
〈縮光変換値:10〉
一般人でしかない僕が、高鳥に勝つためのスマートな方法。
前はみっつだったけど、今回はたったひとつ――『その時』が来るまで逃げるだけでいい。
ただ逃げて逃げて逃げまくって生き残る、それが高鳥に勝つために必要なただ一つの行動だ。
〈縮光変換値:12〉
スラスターの甲高い音を響かせて、校舎の上を飛行する。上も下も見渡す限り灰色。秒速一五〇メートルで飛行するロゴスにとって、灰色の世界は狭苦しかった。
急上昇して、校舎と校舎の隙間に入っていく。迷路のようにジグザグに、校舎の間を縫って上の方へと昇っていった。相変わらず、どこまで行っても景色は灰色で代わり映えしない。
〈縮光変換値:20〉
置き去りにしたアルコーンの姿はとっくに見えなかった。
このままいけば逃げ切れる。そう思ったとき、遠くで不自然な爆音が聞こえた気がした。校舎を爆砕するような音が立て続けに起きて、徐々に大きく、近付いてきている。
「え!?」
上昇するロゴスの真横で、校舎が爆発した。きらめく純白が見えたかと思うと、気付いた時にはアルコーンが目の前でメイルブレーカーを振り上げていた。
なんてパワーとスピードだ。
アルコーンは校舎をぶち抜きながらここまで一直線に飛んできたんだろう。
回避は間に合わない。迷ってる場合じゃなかった。
「《アウターシェル・ブローオフ》!」
そう叫ぶと、ネメシアウォールに装備された反応装甲が弾け飛んだ。破壊的な衝撃波が発生して、メイルブレーカーを間一髪で弾くことに成功する。
これは一度しか使えないとっておきだったのに、最初の一撃で使ってしまった。
背筋を冷や汗が伝っていく。
視線の先で、アルコーンが身体を捻る。コマのように回転した敵の躯体、その右脚が迫っていた。ダメだ、避けられない、直撃する!
鈍い衝撃が走った。
アルコーンに強烈な回し蹴りを食らったロゴスは、もの凄い勢いで直角に叩き落とされる。
躯体がきりもみ回転し、景色がめちゃくちゃに回っていた。めまいを堪えながら姿勢を立て直すものの、その時には目の前に校舎の壁が迫っている。
「――っ!?」
激突した。瓦礫とガラスの破片を飛び散らせても、勢いは止まらない。ロゴスは弾き飛ばされて、視界を埋め尽くす大量の校舎に向かって落下していく。
〈自動姿勢制御〉
〈縮光変換値:35〉
屋上に落ちて、コンクリートの床面を跳ね転がる。縮光推進器がなんとかロゴスの姿勢を制御し、ようやく視界が安定した。
「アルコーンはっ!?」
周囲を見渡す。七百メートル先、七つ向こうの校舎の屋上を駆けるアルコーンが見えた。